虹の待つ森へ 

第8章  湖

草原、視界を遮る物は何もない。空は曇り、辺りは暗く、台風が来た時のような強い風が吹いている。少し遠くの方に林が見える。

バタバタバタバタ…

たくさんの人が走る足音、自分の後ろから聞こえてくる。自分を追いかけてきているのだろうか、よく分からないがなぜか怖い。追いつかれてはいけないと脳が命令を下している。

周りの景色は流れるように早く後ろに行く。

…自分も走っている?

息が切れて、倒れそうになる。手には何だろう、布にくるまれた物を大事そうに抱えている。

足がもつれて転びそうになる、でも必死に持ち直す。

やっと林まで来た。木の陰をぬうようにして走るが明らかに追いかけてくる団体のほうが自分よりも足が速い、その上こちらはもう走れそうにない。追いつかれるのは時間の問題か。

急に二度連続して曲がり木の陰に隠れ一度腰を下ろした。

自分を後ろから追いかけてきた大群が、角を曲がった自分に気付かず素通りしていく。

軽く武装している。麻の服のうえに薄い金属の板で出来た鎧と呼べそうな物を着け、手には槍や長めの刀等の刃物を持っている。

ふと、反対側を見た。いつの間にか長い銀髪を流した、優しそうな顔の青年がいる。自分の手を引いて、走り出した。

また、後ろからたくさんの足音が聞こえ出した。見つかった…

時々、手を引く青年が振り向いて笑いかけた。だが、走る足は止まらなかった。

…行き止まり。断崖絶壁、遥か下は霧のような物で隠れている。

後ろを向くと沢山の凶器の先ががこちらに向けられた。

青年が自分を抱き寄せた。

「心配しないで、僕らには羽根がある。」

ハッと、目が覚めた。

辺りを見回すと、真っ暗な崩れた遺跡の中。近くにはシンとナルスがいる。遠くの方にはまだロンジが寝ているようだ。

「夢か…」

フゥッと一つため息をついて、体を起こす。

一つ伸びをすると、お腹の虫が音を立てた。

「お腹空いたぁ…」

夜明けから大分経ったというのにやはり遺跡の中は暗い。足下に気をつけながら、シンとナルスの方へ向かった。

「おはよ、ござい、ます」

「お嬢様、おはようごさいます。」

「…おはよ」

二人は平らで湿っていない所を選び、火を焚いていた。手には、串に刺された魚があった。どうやら朝ご飯は焼き魚のようだ。

「魚が焼けるまでまだまだ時間があります。ここから南に5分ほど歩いたところに湖がありました。顔を洗ってくると良いですよ。」

ナルスの言葉にわかったと首を縦に振り遺跡の外へ出た。

想像以上に綺麗な湖だった。うすく青みを帯びた水が光を浴びて、キラキラと光っている。手ですくうと冷たく透明な液体が指の間から砂のようにサラサラと煌めきながら落ちていく。

顔を洗うと、すっきりした。ついでに一口飲んでみると冷たい水がカラカラに渇いていた喉にしみこむような感じがした。

湖は岸と水の境で壺のように急に深くなっているが、縁から六メートルほど離れた真ん中の方はなぜか浅い。あの辺りなら足が付きそうだ。ふちに手をかけて、湖の中を覗き込んだ。透き通る水の中には沢山、魚などの生き物が岩陰に隠れている姿が見えた。

夢中になって身を乗り出して覗き込んでいると、ジェルナはバランスを崩し前に倒れた。

バシャッっと水しぶきが上がった。少ししてジェルナの頭が水面に出てきた。

「ビックリした…」

いちど頭を振って軽く水を飛ばした。まっすぐ落ちたはずなのに陸は結構遠かった。

ジェルナはあまり泳ぎが得意ではない。必死に陸の方へ泳ごうとするがバシャバシャと水がはねるだけでちっとも進まない。傍から見れば溺れていると思われるだろう。

「どうしよぉ」

服が水を吸って重くなってきた。正装であれば沈んでいただろうなと考えると少しぞっとする。

潜ってみるが、尖った岩だらけで下手に触れない。幸い靴は履いているがサンダルのような物でカバーできない場所も多い、その上ヒールときている。

「あぁ、もう最悪…」

ポツリと呟いたとき、近くの茂みがガサリと揺れた。誰かこっちに向かってきているのだろうか。

ザッ

見えたのは青い短髪頭…ロンジだ。眠そうな半開きの目をして頭をくしゃくしゃと掻きながらこっちに向かって歩いてくる。

「助け…」

ジェルナがロンジに助けを求めようと、声を出したとき、急に何かに足を触られたような感覚がした。不思議に思いながらも、魚が触れたんだと勝手に納得をして、再度ロンジの方を見た。次の瞬間…彼女の視界は急に水の中へと沈んでいった。

眠い、とにかく眠い。こんなに早く起こされるとは思わなかった。

ロンジは、自分を無理矢理起こしたナルス達を恨みながら、言われたとおり湖まで来た。

「へぇ…こんなところが城の近くにあったなんてな。」

ロンジもジェルナと同じく、湖の美しさに少し見とれていた。

ふと、視野の片隅に何かもがくように動いている物がうつった。

何だ?

その動く物体のとなりで魚のような、しかし魚にしてはあまりにも大きい尾ビレが水を大きくはじいた。

変なの…

あまり気にもせずに、とりあえず顔を洗った。

次の瞬間、顔を洗う手の隙間からとんでもない物が見えた。

ジェルナの姿だ。

背中のマントを口で掴まれ、宙吊りの状態。吊っているのは体長、34mほどありそうな・・・・・・人魚。さっき見た大きい尾ビレは人魚のものだったようだ。

人魚、美しい姿と醜い姿を持つといわれ、不老不死の体を持つとも言われている。美しい姿を使い相手を魅了させて獲物を捕る。が、その裏に隠された醜い姿を見たものはいないという。それは醜い姿は獲物を食べるときにしか見せないから…

そして、今目の前にいる人魚が見せているのは――――――――まるで何かの毒に侵されているように皮膚がただれ、目がむき出しになっている目も当てられないような醜い顔。

この場合、あの姿が意味しているのはジェルナを食べるということであろう。

「姫さん!」

大きな声を出して、ジェルナを呼ぶ。が、反応がない。気を失っているのか、ぐったりと首を垂らしている。

ふと、ジェルナのマントをくわえている口の下の辺りから無数の触手が伸びてきた。ジェルナの手や足に巻きついていく。

クッと、ジェルナの表情が痛みに歪んだ。

「ざけんじゃねえよ!」

大声と共にロンジは脇に差した剣をぬき、人魚に飛びかかった。下に落ちれば、水。相手にとっては絶好の場所だろう。だが、躊躇している暇などはない。

グゥルルグァ

尾ビレにのっかってきたロンジを、人魚は振り払おうと尾を大きく振る。しかしロンジは見かけよりも身軽な動きで、少しずつ長い尾を頭に向かい走ってゆく。幸い人魚の体は胴囲が大きいせいか中心地に近い浅瀬では半分ほどは水面に出ている。

ひょいひょいと軽く飛びながら近づいてくるロンジの姿に、人魚はバタバタと尾を振る。

魚の尾と人の体の境に来たところでロンジは高く跳んだ。

「とっとと放しやがれ!下衆(げす)が!」

大声で叫びながら、人魚の頭に向かい一直線に剣を構える。

グゥア?

頭の悪そうな返事。

人魚が上を向いたとき、ロンジは全身の力を込めて振り下ろした。

ザクッ

大きな水しぶきが上がった。

落ちたのは…人魚の口の辺りからのびていた触手。ロンジは、まだ少し触手が乗っているジェルナを抱えて人魚の尾に着地していた。

その目は、しっかりと人魚の顔を睨んでいる。

人魚はその目に、恨めしそうな目を返している。しかし、ゆっくりと動き出した口がニタァと歪んだ笑みを表した。

何がおかしいんだ?あいつ…

不思議に思いながらも、ロンジは人魚から目をそらし岸に向かって走り出した。

前方、ザバァッという水音と共に水の中から何かが出てきた。

――――――――さっき切り捨てた触手だ。

「ウソだろぉ…」

斬られて本体から放された短い触手達は、空中を自由に舞っている。

ふと、触手の動きが止まった。次の瞬間、一斉にそれらがこちらに向かい一直線に跳んでくる。

「くっそ。」

近づいてくる奴らを蹴っ飛ばして行くが、次から次へと飛んでくる。

キリがねぇなぁ…

出来れば剣を使いたい。が、ジェルナを片手で支えるのは少し無理がある。

触手の一本が肩をかすめた。服が少し溶け、赤くなった肩に痛みがはしる。

「あっぶねー」

赤い肩を見ながら、ロンジはジェルナを落とさないようにしっかり抱きながら人魚の体の上を走る。

この触手…溶解液でも出すのか?

そう思い、先ほど触手に巻きつかれていたジェルナの体を見る。しかし特に目だった外傷もなければ、服に一つも溶けた様な跡はない。

人魚がバタバタと暴れるせいで、足下はかなり不安定である。

「うわっ!」

岸まで後十メートルほどの所でロンジがバランスを崩した。

落ちる!そう思った瞬間、茂みの方からなにやら光が見えた。こちらの方へ飛んでくる。

その光は、バランスを崩して倒れるロンジの上をまさに危機一髪と言える幅でかすめていった。

次の瞬間には、ロンジはジェルナと共に湖へ落ちた。

少しして…二つ頭が水面に出てきた。

どうやら浅いとはいえ水底には大量の水草が茂っていて怪我をせずにすんだようだ。

「何なんだよ…一体さぁ…」

水面に出てきたふくれっ面の青髪はぼやいた。

光の飛んできた方をよく見てみると、長い茶髪を一つにまとめた見覚えのある姿がある。シンだ。左手に弓を構え、右手は背中に背負った矢立からもう一本矢を取り出そうとしているところだった。さっきの光はたぶんシンの矢だろう。

「あの馬鹿…オレを殺す気か?」

またもぼやきながら、ロンジはまだ気を失ったジェルナを抱えて、岸に向かい急いで進み出した。

水に入っちまった。これじゃいつまで助かるか…

そう思いながら人魚の方を見た。

おい、あれって…

人魚の姿を見てロンジは立ち止まった。体の左半分が吹き飛ばされている。

それでもピンピンしている人魚の姿を見てドキッとするが、奴はもうこっちに興味はないようだ。シンを睨み、ギェエエエエと怒りの雄叫びをあげる。

これなら大丈夫かと、ジェルナを抱え直すとジェルナがゴホッといきなり水を吐いた。

どうやら、気を失ったのはこれのせいのようだ。

「大丈夫か?」

声をかけると、うっすらと目を開けた。

「ロ…ンジ?」

返事を返すと、ジェルナはハッと目が覚めたようにロンジに平手をくらわした。

その場に響くような澄んだ音が、辺りの空気を震わせる…

「何すんだよ!」

たった一撃なのに痛そうにまっ赤に腫れた左頬を手で押さえて言う。

「あ〜、ビックリした。」

平手打ちをかましたと同時にロンジの腕の外へ出たジェルナは心臓の辺りをおさえながら、深呼吸をする。

「あのなぁ…オレはお前を助けて…」

そこまで言うと、またシンの矢がロンジの体をかすめ、飛んでいった。

「どいつもこいつも…」

ギェエエエエ

その矢も、しっかりと人魚に当たった。

「あぁ…もういい。早くここを出るぞ。」

そう言って、ロンジはジェルナを連れて走ろうとした。が、足を岩にはえている水草にすくわれ転倒する。

「くっそぉ…」

ジェルナを見ると、その顔には失笑…

「馬鹿じゃないの?」

心臓を貫くような厳しい一言…

このアマ…いつかぶっ殺す。

「いいから岸まで走れ、早く!」

怒りをこらえ、生きて戻ることを最優先させる。

「走れるわけないじゃん。こんなとこで、この靴で。」

そういって、サンダルを見せる。

その言葉で、とうとうプッツンいったようだ。いきなりジェルナを抱え、足場が悪いというのに走り出した。

「ば、バカ。何すんの!」

暴れはしないものの少し恥ずかしいようで、顔を赤くさせている。

「黙れ。」

いつもより低く、どすのきいた声でジェルナの言葉を遮る。目はいつもよりきつく、岸の方だけ見ていた。ジェルナは本能的に逆らってはいけないと感じた。

「待って。その辺りは深い…」

忠告しようと、ジェルナが言い終わる前にロンジは大きく跳躍した。六メートルほどの距離を岸までひとっ飛びで跳んだ。

大丈夫なの?この人…

そう不安に思いながらも落とされては困るのでしっかりとロンジに捕まっていた。

無事に湖を抜け、茂みに入るとロンジはそっと、抱きかかえていたジェルナを降ろした。

「…ありがと」

短く礼を言うとロンジの目はいつもの様子に戻り、照れたように顔を背けて少し早足で歩き出した。

少し行くとシンが見えた。もう一本矢を用意しているところだ。

シンを見つけると、ロンジは小走りで近づいていった。

「このアホ!」

ボカッと、一発グーで殴った。

「何する。」

不機嫌そうにシンはロンジの方を向いた。

「オレを殺す気か?馬鹿野郎!」

いきなりでいまいち何のことか分からないようだったが、あぁ!と思い出した様な素振りを見せた。

「思い出したか、このヤロー」

ロンジは怒りを込めて拳をぐっと握りしめている。

「お前、が、悪い。狙い、の、一直線、ギリギリ、いるから。」

ナルスに教わったのか、やっと少し文章になってきた言葉で説明をする。その姿がよっぽど腹が立つのか、ロンジの拳がさらにきつく握られた。

「…と、ともかく、逃げよ。相手は不死身だから。ね?」

何とかジェルナが仲裁に入り、二人は喧嘩を止めた。

後ろで水音がした。また触手がこちらを追いかけてきたようだ。

「し、しっつけーな。こいつら。」

思わず冷や汗が流れた。

「走れ!」

シンの言葉と共に慌てて三人は走り出した。

後ろから大量の触手が追いかけてくる。

途中、シンは後ろ向きでスキップのようにぴょんぴょんと跳びながら二人に遅れないように進みだした。

「何してんだお前…」

ロンジが聞くと、シンは弓を構え直して引いた。矢の先に光が集まる。やけに引きが長かった。

そして、矢を放つ。バシュッという変な音と共に、矢が飛んだ。

放った矢は、後ろに三角柱のような形になった光線を流しながら一直線に進む。

一本の矢で、あいつらを全部倒すなんて出来ないだろ。

そう思ったが、やはりシンは普通ではなかった。

矢先だけではなく、光に当たった触手もまるで焼かれるような音を立てて消えた。

「…うそだろぉ」

目の前に起きた、不可解な出来事に思わず足を止めてしまった。

そういえば、人魚も一本の矢で体の半分が吹き飛ばされていた。その理由がよく分かった気がする…

どうにしろ、オレは人間じゃない奴らと一緒にいるんだな…

そう思うと、急に疲れを感じた。

 

 

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