虹の待つ森へ 
第1章  始まりの日々
窓から鮮やかな朱と茶のすっきりとした動きやすそうなデザインの服を着た少女が忍び込む姿がある。
「お嬢様、どこに行かれていたのですか。」
その言葉を聞き、少女はびくりと反応した。振り向いてみるともうすぐ中年と呼べるのではないかというような召使いだろう金髪女性が立っている。
「どこってちょっとそこまで出ていただけじゃない。ナルス、あなたが気にする事じゃないわ。」
少女は口をとがらせた。
――――ここは、樹海に四方を囲まれたロゼマナ国の城。国といっても、城壁に囲まれた城以外建物は十件もない小さな国。窓から忍び込んできたのは、右頬に一筋の特徴ある傷を負ったその国のジェルナ女王。ジェルナは十七歳だが外に出してもらえない。だから、昔からこっそり城を出て樹海に住む魔物と遊ぶ事があった。
「女王様のことは私に任せて下さい、ナルスさんは他のたまっている仕事を頼みます。もうすぐ、国立祭が始まりますからね。」
丁度、扉を開けて入って来た緑の帽子の青年。ジェルナと年の近い親友、側近のシェラフが召使いの総主任ナルスに言った。
「そうね、お願いするわ。お嬢様の扱いはシェラフが一番上手ですからね。」
そうナルスが言うとジェルナはやった!と言わんばかりにガッツポーズを取った。
シェラフはナルスが部屋から出ていくのを確認すると、ジェルナに静かな声で話しかけた。
「姫様、魔物連れ込んではいませんか?」
そう言ってシェラフはジェルナの持っていたかごを指差した。
「やっぱりシェラフはごまかせないか、この子のためだけにわざわざかごを改造したのに・・・。」
ジェルナが持っていたかごの布をはずすと大きな耳と右目の上に宝石のような飾り付いているかわいらしい動物が出てきた。
「昨日生まれたモノクルの赤ちゃん。モノクルのナクルの子供だよ。出産の時手伝ってあげたんだ。五つ子だったから大事に育てられるなら一匹あげるよ。っていっていたんだもん…ねえ、お願いだからこの子の事は誰にも言わないでね。」
ジェルナは泣きそうな声でシェラフに言った。
「もちろんよ。」
シェラフは笑顔で言った。
「私を誰だと思っているの、私は半分モノクルなのよ、仲間を見捨てる訳ないじゃない。」
シェラフはいつもかぶっている大きな帽子をはずし、大きな耳をみせた。
実は、ジェルナが城を抜け出すようになったのはシェラフとの出会いのせいだった。
ジェルナがシェラフと出会ったのは四年前のことだった。ジェルナが十三歳の時、社会の勉強で樹海の中に入っていると、うっかり先生とはぐれいつの間にか樹海の中で迷子になっていた。
ずっと、ジェルナは泣いていた。すると、そのときリス達と遊んでいたシェラフが泣き声に気付きおそるおそる近づいて行った。ジェルナは、体は木に隠しているが、大きな耳が隠せていないシェラフにすぐに気付き、見たこともないシェラフの姿を見て驚いた。
体はジェルナと同じ年ぐらいの人間の姿なのに、耳がウサギのように大きく、なぜか、左目はジェルナと同じように青いのだが、右目は赤かったのだ。足もまるで猫か犬のような足をしていたのだ。それもそのはず、シェラフは、この国ではほとんどみられない、人間と樹海に住む魔物とのハーフだった。
シェラフにとっても、普通の人間を見ることはめったに無かった。と言うより避けていた。
2人とも魔物は悪いやつだの、人間は悪いやつだのいろいろ両親などから言われてきたが、だんだん二人とも相手のことを知りたいという好奇心がわいてきた。
「ねえ、あなた名前は?」
はじめに声を掛けたのは、ジェルナの方だった。
「あたしは、シェラフ、レクル・シェラフ・コナメ。シェラフって呼んで!あなたはなんて言うの?」
「シェラフね!私はジェルナ・ロゼだよ。」
笑顔で名乗ったが、シェラフの顔は一瞬にしてひきつった。
「ロゼ…あなたこの国の王家の人なの!まさか…魔物狩りに来たんじゃないでしょうね。」
シェラフはあとずさった、顔にはおびえが浮かんでいる。
「ええ確かに。私はこの近く、ロゼマナ国の女王だけど。・・・魔物狩りって何?」
ジェルナは、聞いたことのない言葉を聞き返した。
「それは・・・簡単に言うと魔物を殺す事よ・・・」
シェラフは、悲しそうな目で語り始めた。
魔物狩り、それは魔物にとって一番恐れていること。
本来魔物は人を襲ったりしない。確かに、魔物の中には、なわばり意識が強く、他の魔物や人間が自分のなわばりに入り込んだとき襲うやつもいる。だが、めったに人を襲うことはない。勿論、人間が恐いから。
だが、人間はその数少ない例だけで、魔物は人を襲うやつと決めつける。それだけではなく、人を襲うと言うだけで、悪魔のように扱い、殺した方がいいものだと錯覚する。
そうして、魔物狩りが始まった。
はじめは人の目の前を通ったものだけを殺したり、人に危害を与えてから殺したりしていた。だが、最近は樹海の奥深くまで魔物を追い、おとなしい魔物やまだ赤ん坊の魔物なども殺していった。それをまるでスポーツのように楽しんでいる人が多いらしい。
そして、シェラフの父と兄弟たちも、シェラフと母の目の前で人間に剣で派手に斬られ死んでしまった。母は、その剣で父たちを切った人になんて事をするの!と、泣きながらあの子たちは何もしていないでしょ。なぜ殺したの!と訴えていた。斬った人間はうっとおしそうに何回か舌打ちしていた。だが、始めはそれでも聞いていた。
そして何十分が過ぎようとしたとき、斬った人間が、とんでもない行動に出た。
ならあんたもあいつらを追いかけろよ。と真っ赤な血の滴る剣の先を母に向けた、シェラフが止めようとした時、銀の鈍い線光が見えた。
目の前で、母が倒れた。急いで母に寄って行くと、苦しそうに咳き込んだ。当てた手には真っ赤な血がべっとりとついていた。
「あなた達の方が神に召された方がよかったのに・・・同じ人間として許さないからね。」そういって事切れた。
シェラフは泣いた。
無理もない、普通の人でも愛する人を亡くすとショックを受ける。だが、そのころシェラフは五歳、心に大きな傷を負った。そして、まだ真っ赤な液体を滴らしながらも銀に光る剣を持った人間に向かいシェラフは、ぎこちない人間の言葉でこういった。
「アナタ達ハ悪魔ダ、アタシタチノ血ト肉ヲ喰ライ喜ンデイル悪魔ダ。アナタ達ハロクデナシダ。」
そこまで言うと、急いで逃げていったそうだ。
それからシェラフは森の奥深くでずっと泣いていたそうだ。
ずっと、人間のことを恨んでいた。ジェルナの泣き声に反応したのはそのとき自分でも驚いていたそうだ。
・・・それはジェルナに共通点があることを暗示していたのだろうか。
それは十年前、ジェルナも七歳の時、城で起こった内乱で反乱軍により、母が亡くなった。父もまた生と死の境目を彷徨っていた。内乱で死んでいった人の中には友達や、親しかった人も大勢いた。その上、反乱軍の力のほうが大きくいつ負けるか時間の問題のようだった。そしてジェルナにも心に大きな傷を作り、一度自殺を図ろうとしていた。だが、ナルスはそれを止めた。
「いいですか、ここでお譲様がいなくなってしまうと、王家の者を守ろうと戦ってくれた人たちに申し訳ないと思いなさい、ここで王家の者が全員倒れてはいけないのです。兵士を励まし、この国を守ろうと声をかけてやってください。」
ナルスの言葉を聞き、何か良い案を思い付いたかのように泣いていたジェルナは立ち上がった。
「私がいることで、王家にも光があるということですね、なら試してみましょう。」
年が一桁とは思えない、しっかりした言葉でそう言うと反乱軍の攻撃でぼろぼろになった城の通路を通りバルコニーに向かった。ナルスは今までみたこと無いようなジェルナの姿に何も言えなかった。
バルコニーに着くと、幕を開けさせ、外を見下ろした。すぐ下の門のところで争いが起こっている。
鈍い銀の光。あちらこちらに広がる赤の池・・・狂気が狂気を呼ぶ戦場の上。ジェルナは大きく深呼吸をした。
「争いをやめろ。誰の命であろうと命は命、たとえ敵の命でも失ってはいけない物。命を命で返すことは出来ない。」
誰の声も、誰の耳にも入るはずの無かった戦場にその声は響いた。
「敵を討って何が楽しい?誰も喜ばないぞ。言いたいことは私が聞く、まだ年の関係で信用してもらえないかと思うが国や国民の力になってやる、だからこんな血まみれの、おぞましいことをやってはいけない。自分一人のことだけでなく、この国全部を考えろ。すべてはおまえ達国民から成り立つ国だ。おまえ達国民がすべてなんだ。」
堂々と言い放った。
その言葉を聞いて、戦いが一時中断された。皆こんな小さく、年も1桁しかまだない子供がこんなにも大きな事を言うとは思えなかったのだ。
ナルスもまた驚いていた。先ほど自分は何といっていただろうか。ナルスは、戦いを続けるように兵士を応援しろとジェルナに言っていた。兵士を応援することは誰かの死に繋がることぐらい安易に想像できる。しかしそれに気付かずにいた自分をナルスは恥ずかしく思ったのだそうだ。
とその時、一発の矢がジェルナの右頬をかすめ、ジェルナの頬に一筋の血がつたった。
矢を撃ったのは、すすで顔も毛もまっ黒くした少年だった。皆その矢を撃った少年に目線を向けた。
しかし、矢を撃った少年はそんな周りを気にせず大きな声でこう言った。
「俺らも別に好きでこんな人殺しをやっているんじゃない。俺らがなぜ戦争をしていると思う?みんなはおまえらのやり方に反対しているが、おまえらが聞いてくれないからこうやって戦うんだ。俺は別にこんな事したくない、でも俺も大事な家族を失って…それの復讐をしたいと思う。今は、やらなきゃやられる状態なんだ!そんな状態にしたのはお前らだ。兵士達に反対派をつぶさせるお前らのせいだ。まだ小さいおまえに何が出来る、大人でも出来ないんだから、おまえのようなチビには無理だ。」
皆はざわめきだした。確かに、ジェルナの言っていることは正しい。が、本当に成立できるのだろうか。
「無理なわけない。」
いきなりジェルナの後ろで大きな声が響きわたった。それは、ナルスの声だった。そしてナルスは続けた。
「子供だから無理ですって。そんなふざけたことを言う者は誰ですか!確かに今は反対派を亡き者にさせるようなおかしな状態です。子供には責任が重すぎるでしょう、ですが、子供は純粋な心を持っています。自分だけ都合のよいというような汚い政治はしません。きっとジェルナお嬢様ならすてきな政治を行ってくれるでしょう。」
ナルスはそこまで言うと。ジェルナによく頑張ったわねと頭をなでた。そしてジェルナに話しかけた。
「ジェルナ姫、本当に国民のことを考えてくれるなら、私はあなたの代わりに責任を持ちます。そのために命でさえ捧げます。この国の政治を任せてもいいですね?」
「え…えっと、私はいいけど…でもここにいる民衆は私が政治をすることに反対しないのかな。」
ジェルナは、ナルスに心配そうに聞いた。すると、ナルスはバルコニーから再び外に向かった。
「この中で、ジェルナお嬢様が政治をするのに賛成の人は拍手を!」
下の広場の者、すべてに向かい大きな声で呼びかけた。
すると、驚いたことに盛大な拍手が沸き起こった。これにはジェルナもびっくりし、皆の期待に応えなければと張り切った。
国民は早速国の修復に取りかかった。もちろんジェルナも働く、国民の意見を聞いて城全体の設計図を作っていた。
ジェルナは国の修復の時、主に修復をしてくれている者の分のご飯づくりを手伝ったり、両親などを亡くした子供などを城に引き取ったりと他にも雑用を難なくこなし、ジェルナもジェルナなりに一生懸命に働いた。
あのジェルナに向けて矢を撃った少年も城に引き取られていた。
初めは目つきの悪い少年としか思えなかった。だが、ある日城内ですれ違ったときに悪かったと、少年は謝った。その少年にジェルナは笑顔を返した。
城は二年とちょっとで完成した。
その日、ナルスの提案で、町の中心に作られた広場でパーティを開いた。そこで、ジェルナは協力してくれた町の人にお礼を言った。
「みなさん、戦後間もないときでしたがよく頑張ってくださいました。おかげで町は綺麗になりました。本当にありがとうございました。」
そう言ってジェルナは深々とお辞儀をした。
「さて、とても遅くなりましたが、けがをしている方は城へ来てください。今までは、骨折や大きな傷を負っていた人だけでしたが、これからは、城を病院だと思って小さな傷でも病気でも治療をしますので来てください。」
と言った。なぜ、今になってそのことを言ったのかというと、ジェルナにとうとう魔法が使えるようになったからだった。
ロゼ一族は、なぜか普通の人と違うところがいくつもあり、その中でだいたい十歳くらいになると不思議と魔法が使えるようになるということがあった。ジェルナは早くも、その術を手に入れた。と言っても、まだ回復ぐらいしかまともに使えない。だがそれだけでも十分だった。
いつの間にか、ジェルナは、国民のほとんどの人に好かれていった。特に、子供には人気があった。やさしいお姉さんのような雰囲気があり、どんな子供でもすぐジェルナに心を開き親しくなっていた。ほとんど、ジェルナの悪口を言う人はいないらしい。
そういえば、シェラフが話すのをずっと夢中になって聞いていたっけ。そんなこと聞いたこともなかったのに王なんて名乗っていていいのかなって思っていた。そういうこと考えていたら、いつの間にか日が暮れていて…
シェラフが案内してくれたおかげで城まで戻れたんだっけ。そして帰るところはないって聞いて…シェラフを雇ってもらえるよう、ナルスに一生懸命頼んだんだよなあ。
 
第2章  不思議な旅人
「さて、それじゃあその子をどうするつもりか聞かせてもらいましょうか。」
「うーん、そこまで考えてなかったなぁ…どうしよう?」
無責任そうな声でそう言うと、シェラフはやっぱり。というように肩を落とした。
「やっぱり考えてなかったのね!そんなことだろうと思いましたよ!うーん、そうだなぁ…ねえ、ナルスはなんて言うかな?やっぱ、幼い頃から面倒を見てくれた人ぐらいから、了解を得てからのほうがいいはずよ!」
なるほど、内緒にしておくよりもかえってその方がいいかもしれない。
しかし、ナルスはどう言うだろうかとても心配になった。
生まれたときから見てもらっているが、こればかりは反応はわからない。いままで魔物のことについて話したことはなかった。
「そうね、ナルスを呼んでくれる?一度話すことにする。でも、やばそうだったら途中で止めるから。」
そう言うと、シェラフは首を縦に振った。
「いいよ。でも、私もドアの向こう側から聞いていていい?」
「ええ、いいけど。・・・もしかして答え方によっては仕事をやめるとか言わないでね。」
自分で言っておきながらも、どこからか嫌な予感がした。もしかして、私も国から追い出されるかも…
「たぶんないよ。約束する。」
笑みを浮かべそう言うと、シェラフは扉を開けて出て行った。
何か外で声がするのに気が付いた。さっきまでシェラフと話していて分からなかったが、なにか言い争っているような声だった。窓を開けて外を見ると、城の門のあたりに人だかりができている。
なんだろう。見に行ってもいいかな?
そう思ったとき、扉が開いて、ナルスが入ってきた。
「お譲様、話とは何ですか。」
「だから、その呼び方やめてっていっているじゃない。一応立場的には王なんだから。」
いつものやり取りだ。
「まあまあ、それで話とは?」
「あのね、ナルスは、魔物のことどう思っている?」
ナルスは顔をしかめた。やばいかな?と思ったが、一瞬だけだった。
「そうですね、モノによります。まぁこの国の近くに住むモノは、結構おとなしいですけど、遠いところの方では、人を襲うモノが多いらしいですね。」
少し安心した。ナルスはやっぱり何でも知っていて落ち着いて話を聞いてくれる。とってもありがたい存在だ。
「そう、ならうれしいんだけど。一つ頼み事があるの。」
「何でしょうか?」
「あの…その…えっと…」
心臓がバクバク言っているのが聞こえる。こんなことは初めてだ。
「なんですか?」
「えっと…その、あっ、あの門の人だかりは何?何かあったの?」
あまりの怖さに問題から逃げてしまった。
…少し後悔した。
「ああ、あれですか、たしか、この城で働きたいという者が来たそうですよ。ちょうどその件で話に行こうと思っていたところなのです。」
「そうなの…で、どうしてそれが人だかりの原因になるの?ただ働きたいだけでしょ?」
話が遠ざかっていく。
シェラフはどう思っているだろう?話を戻さなくっちゃ。
「ええ、初めは私もそう思いました。話を聞けば、それが、旅人なのです。」
「旅人!?」
シェラフが驚いて大きな声をあげた。
やばい、見つかった!
「シェラフですね!出てきなさい。いつもお嬢様の隣にいるのに、いないと思ったら・・・盗み聞きなどはしたないですよ!」
するとゆっくりと扉を開けて、シェラフが出てきた。
「すみません。ただ、気になる話だったのでつい…」
そう言って、シェラフは頭を下げた。
「そう、やっぱりあなたでも気になるのね。そうねぇ…確かに、旅人は最近見ませんからね。」
「その…よろしければ、もう少しその話を聞いていてもよいですか?」
シェラフが興味を持つ事は、凄く珍しい。と思う。いつも相談に乗ってくれるが、自分の話はほとんどしてくれない。
「まあ、いいでしょう。初めはただの商人か何かだと思ってました。ですが、一人きりで持ち物は少なく、金属製の武器を持っていました。その金属は、この辺りの物とは違い。なにか、不思議な光を中にやどしてました。まるで…宝石のよう、と申しましょうか…」
この国に来る商人はあまりいない。隣の国から、十名ほどが年に四回ほど、樹海をわたってくるぐらいだ。
本当にこの国は不便だという人はとても多い。が、ほとんどは自給自足の生活でも十分である。
「ねえ、通してあげてもいいかな。私は玉座に行くから、そこまで通しておいて!」
会ってみたいという気持ちが膨らんだ。旅人はこの世界全部を見てもただでさえ少ない。
そして、樹海に囲まれたこの国に来る者はいないと言ってもいいぐらいだ。
「えぇ、ですが、明日が国立祭ですので、お嬢様につける人はいないと思いますが…」
ナルスは困っているようだ、心配してくれるのは分かるがそんな事言っていたら始まらない。
「なら、シェラフはどう?一応シェラフは、側近の立場だし。」
これは、シェラフが仕事についた時の私がくだした判断だ。もし正体がばれたら大変なことになることぐらい当時でも安易に予想できた。
「まぁいいでしょう。シェラフがいれば、おおかた大丈夫でしょうし。」
「え!いいのですか?」
シェラフは喜んでいる。まぁ、シェラフは、結構武道ができる。もしものことがあっても何とかなる…かな?
「それでは、呼んできますのでお二人は、玉座のほうへ。お嬢様の事頼みましたよ。」
それだけ言うと、ナルスは、扉を開けて出て行った。
「ねぇ、魔物のこと、言うんじゃなかったの?」
シェラフの声が低くなっていた。
少し不安になる。
「ごめんなさい!ちょっと怖かったの・・・」
「まあいいよ、また今度聞こう。それより、旅人ってどんな人だろう。」
さっきの声と顔がうそみたいに元に戻った。
「早く行こう!待たせちゃ悪いよ。」
とりあえずジェルナは着替え、二人で部屋をでて玉座に向かった。
玉座に座るのは久しぶりだと思う。座る機会がないって言うより、座る気がない。普通の比較的狭い部屋や、外のほうがジェルナにとって居心地がいいのだ。
座ってから十分ぐらい経っただろうか、扉が開いた。そこには自分よりも少し幼いと思われる、茶髪の長い髪を束ね、茶色の瞳で、白いヘアバンドを額にした少年が立っていた。
本当にこの子が旅人だったのだろうか。確かにナルスが言ったように武器を持っている。剣を脇にさし、弓を持ち、矢立を背負っている。少しおどおどしたような感じだ。
扉が閉まり、少年はこちらの方へ歩み寄ってきた。そして、五メートルほど離れたところで止まり、いきなり弓矢を引いた。
「何のつもりだ!あなたは、こちらに働きに来たと聞いた。なぜ弓を引く!」 
少年は、仮面でもかぶっているかのように表情を変えないまま答えた。
「それ、俺、セリフ、なぜ、城の中、魔物、いる。答えろ。」
後ろで、シェラフが息をのんだ。
もちろんジェルナも驚いた。何故正体が分かったのか分からないからだ。そして少年の矢はジェルナではなくシェラフに向けられていることが分かったから・・・
「それは、驚かせてすみません。ですが話す前にその矢をしまってもらえますか?いつ撃たれるか分からないままで話すのは少し苦しいですから。」
聞いてくれるだろうか…
と、少年は弓を下ろしてくれた。分かってくれたようだ。
「すみません、この子は私の恩人です。おとなしいので、雇いました。今では友達と呼んでもよいくらいです。それより、あなたは何故、この子が魔物と分かったのですか?」
少年は黙っている。
すごく知りたいから、答えて欲しいのに…
「まあ話を変えましょう。あなたは働きに来たのですね。」
シェラフが、少し震えたような声で、話を変えてきた。
相手が頷くのを確認してから続ける。
「・・・名前を教えていただけますか?」
少年は考えているようだった。もしかして自分の名を忘れたのか?
「…シャイン。シン、呼べばいい。」
『輝き』なんてふざけた名前・・・
しかも姓を名乗っていない、普通、旅人は家族がいることを示すため自分の名と性を名乗り、必要ならば出身地も答えるはずだ。
もしかして家族がいないとか?
「確かに、ここで、働くため、来た。しかし、条件、出したい。」
どんな条件だろう。自分の立場をわきまえたうえで言っているのだろうか?
「物にもよりますが、いいでしょう。言ってみてください。」
シンと名乗る少年は三本の指を立てた。
「全部、三つ。一つ目、住み込み、けど、一人部屋。二つ目、仕事、ほかの人、かかわり、避けて。三つ目、仕事、太陽、出ている、時間、だけ。」
変わった条件?特に三つ目の条件は不思議だ。もしかして完全昼型人間なのだろうか…
「まぁいいでしょう。ですが一つ目の条件は個室でも二人で一部屋と決まっております。ルームメイトがいてもよろしいですか?」
言い方が変かもしれないが、少年はしぶしぶというようにうなずいた。
「それでは、残りの二つの条件から、あなたには、『水汲み』をしてもらいましょう。仕事方法は、食堂の建物の横においてある空の樽の中に、城を囲む塀の門からまっすぐ行った所にある湖の水を組んでくるのです。時間帯は別にかまいません、ですが、城に水がない状態がないようにしてもらいたい。あと、魔物と出会うこともしばしばあると思いますが頼みます。」
水汲みは最近魔物が出るようになってから誰も志望者がいなくなり、当番製になっていた。しかし、それでも時々サボる奴がいて、たまに城では飲み水がない日ができたりする。とても苦しかった。それが夏なら死にそうになる。頼れる人が欲しかったところだ。
「いい。今日から、する?」
「はい、ではこれが制服です。」
青を中心とした色使いの服をシェラフから受け取る。
それを少年に手渡すと、なんだこれ?とでも言いたそうに片袖をつかみペロンとぶら下げた。
「城の中にいるときは着ていてください。そうではないと食堂や資料室などに入れませんので、それと明日は、国立祭で仕事をしなくてもよいのです。ですので、明日しごとをするつもりが無いのなら、沢山汲んでおいてください。樽は全部で二十五個あります。一日で大体・・・十個ほどあれば何とかなりますのでよろしくお願いします。」
「…変な、仕組み。それより、部屋、教えて。」
少年は本当に不思議そうな顔をしている。さっきまで無表情だったのがうそみたいだ。少年がいた国には国立祭のように仕事をしなくてもいい日がなかったのだろうか。
「分かりました。ロンジ、ロンジ・ガルネ。来なさい。」
青髪の青年がすぐに来た。
ロンジというのは門番の青年。
剣の扱いがうまく弓もうまい。その分野では城一と言ってもいいくらいだ。
すぐに来たのは、もしも旅人が住み込みたいと言ったときのために一人部屋を使っていたロンジを呼んでおいたからだ。 
よかった用意してもらっておいて。
「…こいつか?その・・・働きに来た旅人は?チビだよなぁ・・・体の割に武器が明らかに大きくねえか?」
忘れてた…ロンジは、腕はいいが、口はあまり良くないんだった…
「口をつつしめ。今日からこの少年…じゃなくって、シャインを頼むよ。」
「へーへ、分かりやしたよ、今後よろしくな、ええっと…シャインだったっけ?」
ロンジは残念だなあというように肩をすくめた。まあそれもそうだろう、今まで一人で二人用の広い部屋を使っていたんだから、考え方によっては没収されたようなものだろう
「…よろしく、ロンジ。あと、わざわざ、シャイン、呼ぶな、シン、呼ぶ。」
シンは、相変わらず元の無表情で言った。
「無愛想な奴・・・わーったよ、んじゃシン、部屋はこっちだ。」
シンはロンジにつれていかれて、宿舎の方へ向かった。
「変わった奴ね、ちっとも表情を変えないし、しゃべり方が変。文章になってないよ。それにあんな小柄な体に、武器が二つも。どこで手に入れたんだろうね、あの武器」
シェラフに向かってぶちぶちと愚痴をもらすと、シェラフも不思議そうな顔をしていた。
「・・・うん、それもそうだけど、あの人一匹も魔物を殺してないみたいだねえ、服に少し魔物の感じがついていたけど武器からも服からも、髪の毛からもまったく、血の匂いが付いてなかった、普通、半径三メートル以内で血を見た人からは、匂うんだけどな。でも、いきなり矢を向けてきたよね。何でだろう。」
そういえば、シェラフは鼻が良い、匂いだけでなく、なんか体全体で感じるんだって、その感じる物は知らないけど…
「それじゃ、ほかの魔物とは違う行動をとったってことになるよ。やっぱそれは無いのじゃないのかな。」
他の魔物は殺さず、シェラフにだけ矢を向けるなんて、絶対ひいきだ。そうとしか思えない。
「それはどうかな?私と同じように見極めてから決めるって事もあるし、この辺りの魔物は、ほとんど武器に脅えてすぐに逃げるからね。」
そんなものなのかな…?
 
第3章  国立祭
旅人ってこんなに凄い奴ばっかなのか?
部屋に案内した後すぐに仕事の交代時間だったから部屋を出たが、いつの間にかあいつは外に出ていて、門を通って出て行ったと思ったら、すぐに何か台のような物を担いで戻ってきた。
その後またすぐにその担いでいた台に樽を四つも乗せて、五往復。あっという間に中が空になっていた樽が無くなっていたのには驚いた、そのうえ、疲れた様子も少しもみせず、夕暮れ前には終わらせてそろそろ日が暮れると思うころに部屋に向かって走っていった。
「よう、もう寝たか。」
部屋には、シンがいるはずなのに、灯りもつけず真っ暗だった。
灯りをつけてみると、二段ベッドの下のほうでカーテンが閉めてある。
「おーいシン、寝るには少し早ーぞ。」
カーテンを開けてみると、蒲団に包まっていた。なんか、外からの者を遮断するように、足の指はもちろん髪の毛一本、蒲団の外に出ていない。なんか凄い。
「しゃーねーな、今日は寝かしといてやるよ。だけど明日は覚悟しろよ、朝まで寝かせねーからな!」
もちろん、毎年国立祭の日に寝るやつなんていない、みんな、朝まで酒飲んでいたり、カードをしていたりするようなものだ。寝ている奴がいたらしっかり部屋に鍵を掛けないと酒癖の悪い連中の餌食になるだけだから、それもあって寝る奴はあまりいない。
「おはよう…」
「ん…ああ・・・お前か、意外に朝早いな・・・」
朝に起こされるなんて久しぶりだ…それも国立祭に。
…それより、いくらなんでも早すぎだ。太陽がやっと昇ったって言う時間。
朝は苦手なのに、何のようだ…
「はぁ…シン、朝っぱらから暗い挨拶すんなよ。んで、こんな朝早くに何のようだ?」
「国立祭、何の日、教えろ。」
そんなこと、昨日聞けばいいのに…
「人に聞くのに、そんな態度をとるのか?教えて下さいだろうが、。」
「…教えて、下さい」
・・・こいつと話していると俺がばかみたいなような気がしてくる。
ロンジは眉間にしわを寄せた。が、相変わらずシンは無表情である。
「まあいい。国立祭ってのはな、十年ほど前にあったの大きな戦争が終わって、これからは平和に過ごしましょうって言うことをきめた日だ。」
相手が頷くのを見て、続きを話す。
「でもな、人間は戦いが好きな生き物なんだ。だからな、国立祭では、広間とかで試合が出来るんだ、そして勝負を挑まれたら絶対断っちゃいけないんだ、まあ勝負っても木刀で叩き合いってもんばっかだけど。」
シンはふーん、とでも言いたそうな顔をしている。
「そんじゃ、ま、一応国立祭では、制服じゃなくて私服でいるのがふつうなんで、更衣室に行きましょうか。」
「更衣室、知らない、まだ、教えてもらってない。」
そういえば…と昨日部屋に元着ていた服があった事を思い出す。
「これから案内してやる。それと、お前が着ていた服はもう更衣室のロッカーに入れといたから。」
「…そう。」
「ここがその更衣室、城を出るときには特別なとき以外制服で出ちゃ駄目。んで、城の外に出るときはここで着替えるんだ。」
「俺、毎日、城の外、出る…」
「だからそれが特別なときなんだよ。仕事で出るときはいいの。」
更衣室は幾つかあるがここは、暗くて狭くて長い。こういうところは倉庫向きだと思うんだがな、使いにくい…
「ここ、おまえのロッカーナンバーはF3の408だ、覚えておけよ、たまにこのナンバーで呼ばれる事ってあるんだからな、特におまえは新入りだからあまり名前を知ってる奴がいねーだろ、そう言うときはナンバーで呼ぶんだ。ま、奴隷みたいだからやめろという奴もいるが、これが便利なんだよな。」
もちろんナンバーは水増しで、本当は五十個しかないが。
「…これ、俺の、ちがう。」
シンが持っていたのは、金色のひらひらドレスだった。
いきなり見せられその豪華なだけのセンスのないドレスを見て笑いがこみ上げてきたが、必死に押さえようとした。
「あー、またか、新入りいじめ、安心しろ、いじめってもからかってるだけだ。国立祭では歓迎の意味も込めてこうやってからかうんだよ。あきらめてそれ着ろよ、かえって反抗して制服で行くと睨まれるぜ。」
「…」
困った様子を顔に表したシンが、可愛く思えやはり我慢できずに笑ってしまった。
「早く着替えないと、他の奴が来るぜ。おまえ人前に出るの嫌いなんだろ。」
そう言うと慌てて着替え始めた。
やっぱ、なんかこいつおもしろい。
「先に行くぜ、大広間にいるから、なんかあったら来いよ。あとロッカーの扉に鏡が付いているから姿が気になったら見たら。」
未だ不安そうな顔をしているが頷いたシンを確認して部屋を出ると、同僚の緑髪。セジックが声をかけてきた。
「おっ、おはよー。珍しいなロンジが早起きしてる…今日は雨か?国立祭なのに、降らないといいんだが。」
「・・・会ってはじめの挨拶がそれかよ。俺も好きで起きた訳じゃないんだよ。」
ロンジは苦笑を浮かべた。
たまに早く起きるとこれだからなあ…
「ふーん、じゃなにか、旅人の新入り君が早起きなのか?」
「ま、そんなとこ。今からどこ行く気だ?」
「ん、あぁ格闘大会見に行こうと大広間にな。おまえも来るか?」
「あぁ行くつもりだ、一緒に行かせてもらおうか。」
今のような朝の時間帯には格闘大会のように準備が少なくてすむ物ばかり人が集まる。
ま、ここ五年ほど行ってないけど。
広間に行くと、以外と人が多かった。
起きてるのはセジックを合わせて十人前後だと思ってたが、意外にみんな早いんだな。知らなかった。
…シン、大丈夫だろうか?
少し不安になってきたが、迎えに行くのも面倒だ。心配しても仕方がないのでセジックの隣でぼーっと観戦する。
「やっぱ、競技って見てておもしろいよな。やってるとさ、ひどい目に遭うけどな。やっぱみてるだけで十分だ」
「セジック、そんなこと言ってるから弱虫扱いされるんだぞ。って言うか弱虫だからそんな事言うのか?」
嘲笑を浮かべる。
「ほっとけよ、どうも俺は殴り合いが嫌いなんだ、あ、もちろん血が流れるのもな。」
ばかばかしい。自分が痛い目に遭うのが嫌いなだけだろうが。弱虫が
「おーいロンジ、女の子が呼んでるぜー」
遠くから声が聞こえた、ロゼム騎士隊、騎士隊長のヤミナだ。
「ん、誰だ?女の子って?」
ヤミナの近くに行くと、ヘアバンドをした茶色のロングヘアーの子が立っていた。少しひいているようだ近づくと、俺の背中に回り込みしがみつくような状態で、ヤミナを警戒するように睨んだ。
どうしてそんなに警戒するんだ?
………っていうか、なぜ俺の後ろは平気なんだ?
しかし、こんな子いただろうか?
茶色の長い髪、茶色のくりくりした目、そして彼女が来ているのは金色のドレス…
シンか!
「おまえ、シンか!かわいい顔をしてると思ったら、ほんとに女みたいだな。」
センスの無さそうに見えたドレスだが、こうしてみると案外似合っている。
・・・言ったところでシンは喜ばないだろうが。
「ヤミナ、こいつは男だ。」
ロンジはハハハッと笑いまじりでシンに話しかけ、ヤミナにもふった。しかしヤミナは嘘だというばかりの動作をした。
「男だー?じゃあ、何でそんなドレス持ってるんだよ。もしや女装が趣味なのか?んなわけないよなぁ」
気付いてない…ほんとに女だと思っているようだ。
「あのな、この服はお前のいたずらだろうが。ナンバー408ってったら分かるだろ。」
「…え、じゃあこいつ新入りの…」
新入りの服のいたずらはいつもこいつの仕業だ。自分で服を入れておきながら忘れるとは呆れてしまう。まあこいつらしいが…
「そ、分かった?こいつ、この様子からして他人にはすぐに慣れないみたいだな、あんまりいじめるなよ。」
と言っても、なんかシンの反応が俺の時よりもひどいぞ…そんなにヤミナのことを警戒しなくてもいいんじゃないか?ていうか、俺や姫さん、それに側近の奴にもそんな態度取ってなかったのにな。まるで昨日とは別人だ。
「シンこっちに来てろ。じゃヤミナ、後でな。」
これ以上シンのひいている姿を見るのはなんだか気が引け、その場を立ち去ろうとした。
「ちょっと待てよロンジ、昼あいているか?勝負だ、広場で、そうだな…フェンシングで勝負だ。否定は受け付けないぜ。今年こそは勝つからな、覚悟しろよ。」
…またか、こいつもこりないなぁ。と心の中で呟く。
「はいはい、なんなら午後の部一番でやるか?」
「お、言うねえ。じゃ申し込み行って来るわ。」
反応が早い。まあいい、これでヤミナもどっか行ったしシンもいいだろう。
と、思ったが、相変わらずシンは離れない。
「おーい、シン君。もう離れてもいいだろう。ヤミナは戻ってこないからさぁ。それに友達待たせてるんだよ。いい子だからねぇ。」
ロンジはシンの方へ向き、大げさに手を動かし、小さな子をあやすような馬鹿にした様子で言った。
呼びかけに答えてくれない。っと、おもったら返事が返ってきた。
「…やだ、人おおすぎ、落ち着かない。ロンジ、近く、居たい。部屋、帰りたい。」
昨日からちょくちょく思ってたが、単語ばかりだ。今の発言で俺には少年と言うより、幼児みたいに思えるぞ。
「はぁ、分かりやしたよ、よしよし部屋に帰ろうなぁ。でもその前に友人の所行くぞ。いいな?」
シンがうなずいたのを確認して、うっかり放って行ってしまったセジックの方へ向かった。
「全く、いくら彼女が呼んでるからって、放って行くなよな。」
「わりい。うっかりしてた。って言うか、こいつは女じゃないよ。新入りの奴だ。」
「嘘だ〜、照れなくてもいいぜロンジ。かわいい子じゃねえか。しかし凄い服だな。」
セジックは、碧眼を面白そうだなと言うようにきらきらと光らせている。こいつもヤミナと同じ間違いをしているようだ。
「こいつがこれを着てるのは、ヤミナのイタズラだ。」
「あ〜ぁ、そっか。へ〜、なんか俺の時よりましじゃね〜か。ロンジの時なんてあれだろムググ…」
焦った様子で、ロンジはセジックの口を塞いだ。
「余計なことまで言わなくてもいい。誰も言えなんて言ってないぞ。」
こうでもしとかないといつまでもしゃべってそうだな。このおしゃべりが…
するとシンが(まだ後ろにひっついてるよ…)服の裾を引っ張ってきた。振り向くと、セジックの方を指差した。
「ロンジ、友人、苦しそう。離す。」
セジックを見ると、口をふさいでいた手が、鼻まで隠している。そのせいか、苦しそうにもがいている。
「わ、わりぃ。つい。」
慌てて手を離すと、セジックは、むせこんだ。
「つい、じゃね〜よ。ゲホ… 死ぬかと思った…ありがと、新入り。」
「どういたし、まして」
「いくら思い出したくないからって、やりすぎだろが。まあ、ムキになっても仕方ないかな。」
元はと言えば、自分のせいだろが…
「セジック、俺は午後までこいつと部屋にいるわ。用があったら呼びに来いよ。」
セジックは何か考え込んでる…もしかすると
「じゃ、俺も一緒でも良いか?」
やっぱそうくるか…
「はぁ、どうするシン。」
「…別に、いい。部屋、帰れる、それで、いい。」
あっそ。
「だとよ。セジック、くれば。」
「そうこなくちゃ!」
「じゃ、行くかシン。」
呼びかけると、うれしそうな顔で元気よく頷いた。
…おい、こんな顔昨日から一回も見たことないぞ、部屋に戻れることがそんなにうれしいのか?
部屋に着くとシンは、部屋の隅に走って向かい、角に背中を向けて座った。
本当にホッとしているようだ。
「そう言えば、新入り君、なんて名前?」
セジックは、シンに近づいて名前を聞いた。
シン、びびってなかったらいいが…
「…シャイン。シン、呼ぶ。えっと、ナ ンバ…408」
声が少し震えているように聞こえるが、大丈夫だろうか?
「シンか、俺はセジックだ、ロンジの友人、ってのは聞いてるのか?」
俺にふるなよ…
「…聞いた。よろしく、セジック。」
相変わらず、少しふるえたような声で、後ろが壁なのに後退ろうとしている。やはりセジックにも少々怯えているようだ。
「おぅ、そうだお前、旅人だったんだよな。ここに着くまでどこに行って来たんだよ、話してくれないか?」
「お、そうだ。俺も聞こうとしたんだ、話してくれよシン。昨日は早々と寝ちまったから聞けなかったんだよな。」
「…」
返事が返ってこない。
「どうした、思い出せないのか?」
今度は返事があった。
「…うん、気付いた時、樹海の中、倒れていた。自分、その前、思い出せない。」
…どういうことだ?
「と、言うことは、行った場所だけではなく、これまでの生い立ち、両親が誰か、どこで育ったかのかもすべて分からないって事か?」
コクリと首を縦に振る。
「…知ってる、事、武器、両親が、くれた。あと、このヘアバンド、絶対、はずしちゃ、いけない。それだけ、ぼんやり、頭の中、誰かがささやく。それだけ…後は、何もない、空っぽ、なんだ…」
シンが、つらそうに頭を落としている。
空気が重くなったような気がした。
「じゃあ名前は?シャインって言う名前は?」
セジックがさらに聞いていく。
「…名前、何となく、頭に浮かんだ…でも、シャイン、長い、シン、短い。スペルちょっと変えた。」
…シンらしいな。と感じた。
しかし、ないのは記憶だけか。しっかり言葉の意味とかスペル知ってるんじゃないか。
「さぁて、もうそろそろ昼だな、昼飯取りに行くか。」
セジックがいきなり話題を変えた。確かにもう昼前だ。朝飯食べてないから、腹減ってたんだったんだ。
「そうだな、朝飯も食ってないし、シンは…この部屋で食った方法がいいか?」
シンは首を縦に振った。
「おっと、シン、その場合は残念だがロンジと一緒に入られねえぜ。」
セジックが目に意地悪そうな光をたたえて言う。
「なぜ?」
案の定シンが質問してきた。
確かになぜなんだ?
「おいおい、ロンジが大広間で何したのか覚えてないのか?」
「俺が…? なんかしたか?」
ロンジとシンが首をかしげると、セジックが続きを話しだした。
「まだ解らねえか?あっさり降参されるとつまらねぇなぁ…しゃあねえ、答えは、勝負だよ。ロンジは午後の部一でフェンシング、ヤミナとやるんだろ。毎年あきねえなあ。」
そうだ、忘れてた。午後の部一って事は、食堂で飯を取ってからここへ運んで喰うってのでは、確かに少し時間オーバーだな。そういうことか。
「シン、どうする?ここで食べるか?それとも、俺と一緒に来るか?」
「…ついてく、ご飯、もらう、方法、知らない。」
「わりぃ。そう言えばこれも教えてなかったな。俺ってシンになにも教えてないな。」
「じゃ、行くか。」
食堂は、混んでいた。ここには、モニターがあり、わざわざ広間の様な会場に行かなくても、ここで観戦することが出来る。それ目当てでくる奴がほとんどだ。
適当にパンをもらって、食べながら会場の中庭まで行くことにした。
「フェンシング、どんな、競技?」
不意にシンが質問してきた。
「お前、そんなのも知らねぇのか。いいか。フェンシングってのは片手で持った剣で戦う剣術で、本当なら、切ったり、突いたりして相手を傷つけるんだけど、国立祭では、まあ、傷が付かない程度で、叩いたり、突いたりすることになっているんだ。」
セジックが説明した。
セジックは、いつも質問されたがっている。自分では、「資料館と同じぐらいの情報を知っている。」といっているが、本当かどうかは定かではない。
「…ありがと、セジック、さん。」
シンもだいぶセジックに慣れたようだ。
 
第4章  国宝の光
国宝の整理と掃除。年に一回、この日にやる。
あまり好きではないけど、これが王家に生まれてきた者の仕事。一応いつも一人でこなしてきた。でも、ナルスが珍しく、シェラフに手伝ってもらってもいいといってくれた。
毎年、国立祭の間に終われそうになかったらナルスに手伝ってもらっていたが、ナルスも今日はとても忙しいらしい。それでシェラフが変わりにする。というわけだ。
「…それにしても、埃っぽいわね。」
国宝のしまわれている宝物庫の大きな扉を開けると。鼻が良いシェラフは苦しくなったらしく、ゴホゴホとむせた。
「まあね、そりゃこの部屋が開くのは、一年に一回、国立祭の日だけだもん。先々…あれ?いくつだったかなぁ。」
確か私で第十一か二代目だったことは憶えているのだけれど…
シェラフが横でクスクスと笑った。
「よく憶えてないけどずっと前の王様が、そういう鍵の魔法をかけたんだってさ。」
でも、そんなに言うほど埃っぽいとは思わないけど…
「まぁいいや!さあ、取りかかりましょうか!」
何故かこの国の国宝は多くて、宝物庫は広い。毎年、朝早くから始めても夜遅くぐらいにやっと終わっていた。
それは人不足もあったが、やる気も起こらないでいたのが大きかったな。と思っている。
「ねえ、この箱には何が入っているの?」
ふと、シェラフが聞いてきた。シェラフの手には丈夫そうな宝石箱がある。
国宝の中には、一つだけ丈夫そうな箱に入った物がある。
「ああ、それは確か、紅い玉だよ。」
「紅い玉?なぜそんな物が国宝なの?」
そういえば…毎年、整理の時にナルスに国宝の説明をしてもらっていたが、覚えていない。というより聞く気がなかった。覚えているのは、一つだけ、宝物庫の至る所に飾られている指輪のことだけだ。
その指輪は、王家に生まれた者の結婚の時に使われていた指輪なのだそうだ。「お嬢様の指輪もいつかここに飾らなくてはね!」とナルスが言っていたのを覚えている。
「…ごめん、覚えてないや!でも、ナルスならたぶん知っているよ。ここの辺りのことなら、資料館の本よりよく知っているからね。あ〜あ、あたしも見習わなくっちゃ。」
これから憶えれば、なんとかなる。それがいつものパターン。だけど憶えた試しは一度もない。
「ねえ、あけても良い?見てみたいの。」
キラキラと、シェラフには珍しく好奇心を表した目でこっちを見る。
ここの所、シェラフはよく自分の気持ちを言うようになったな…
「いいよ、直接さわらなかったら、たぶん何ともないだろうし…」
アハッとシェラフは本当に嬉しそうに笑った。
「ありがとう。」
そういって、シェラフはそっとふたを開けた。ジェルナも気になって横から覗いた。
中には、紅い玉。その紅い玉は、不思議な光を宿していた。まるで紅い煙が中でぐるぐる回っているような、ジッと見ていたら自分の魂が奪われてしまいそうな…そんな感じだった。
しばらく見とれていたが、その後、シェラフに目を向けると、シェラフの様子が少しおかしいのに気が付いた。体が、小刻みに震えている。明らかにいつもと違う目をしている、まるで目の前の紅い玉がそのままシェラフの右目の眼球になったような…そう、喩えるなら獰猛そうな目…
慌ててふたを閉じた。そして、シェラフの目を見てみた。すると、シェラフはいつものような優しそうな瞳に戻っていた。
「どうしたの?」
シェラフが聞いてきた。
「あなたの顔が怖くなった。」なんて言えない。
「いや、別に…あ、あまり時間なくなると後がとっても大変だから早く続きをやろう!」
適当にごまかしておいた。
「…そうね。」
声のトーンがいつもより少し下がっていた。シェラフは何か考えているようだった。
シェラフが何を思っているのか、何を考えているのか。少し気になるが、聞いてはいけないと感じた。
この時はまだ何も知らなかった。知っていたら…この時箱を開けることをあきらめさせていたら…何もかも起こる事を防げたのかもしれない…
 
でも、もう遅いんだ。
「残念だったな。今年も俺の勝ちだ。」
ヤミナとの戦いはいつもの通り、俺の勝ちで納められた。だが、少し危なかった。あいつもだんだん強くなってきている。負けるのはもしかしたら時間の問題か?
それはない。と頭を振り、同時に不安な思いも振り払った。
試合終了の合図がなり、ヤミナに一言言った後、急いで観戦者をかき分けセジックとシンの所に戻った。
「強いのは相変わらずだな〜。お前ぐらいの実力者なら昇進させてもらっても良いんじゃないか?」
そう言われて、照れくさそうにヘヘッと笑う。
「いいんだよ、門番で。間違っても、騎士隊にははいらねーぞ。俺は、魔物殺しの趣味はない。」
騎士隊の仕事は王族の護衛と魔物の退治にある。俺は、遊びで戦っているんだから、その遊びを仕事に回す気はちっともない。
「ったく、宝の持ち腐れってのはお前のような奴のことを言うことをいうんだぜ。」
ククッとセジックは笑う。
「…俺、フェンシング、やってみたい。」
ボソッとシンが呟いた。
なんだよ、いきなり。
「…お前できんのかよ。」
馬鹿にしたような態度で、シンに接する。
「相手、して。」
「なんか、やりたくねえな。」
ごまかして断ろうとした。
「バーロ、国立祭のルールは何だったか。ロンジ、分かってるだろ。申し込まれたら断れないってな。」
笑いながら、セジックが言う。
余計な事をつっこみやがって。
「わーったよ。じゃ、シン、こっちだ。付いてこい。」
試合終了の合図。立っているの一名・・・
意外だ…。シンに負けた。この負け知らずの俺が初めて負けた相手が、こんなチビなのか?
「…俺の、勝ち?」
シンは余裕のある顔で、倒れているロンジを前にレイピアを持ち立っている。
あいつ、これで終わりか?って、いうような顔をしていやがる。
「おぉすっげー、城一の剣使いが、負けたぞ!」
「しかも、相手は…金のドレスの少女だぞ!」
周りがはやしたててきた、うっとうしい。
「うっへ〜、ロンジが負けるなんてな。シン、お前スゲ〜ぞ。」
驚きながら、セジックが二人のもとへ近づいてくる。
セジックまで…
「信じられねーな。お前どこで剣術習ったんだ?もしかしてロンジに教わったのか?」
「そうじゃねえ、俺は何も教えてねぇよ。教える暇はなかったからな。」
そこがムカツクんだよ。
「わからない。ただ、思いどおり、以上、体が動いた。それだけの話。」
シンは表情一つ変えず、淡々と話す。
まあ、あの動きは、だいぶ体術をやってなければ出来ないような動きだったな。脇腹に剣を当てようと思ったら、ふわっと浮いて、宙返り。あっという間に後ろに回られて、あっさり倒されたもんだからな。
「お前のは、剣術じゃなくて、体術だよ、あんな技。反則だ、反則。」
「大人げないぞ、ロンジ。負けは負けだろ。まあ、あの技で、シンのこと精霊だって言う奴が何人かいたな。ふわぁって飛んでさ。格好良かったぜ。」
あれは感動ものだ。とセジックはシンを誉めた。
「精霊、なんて、いる?」
アホ。
「いるわけねーだろ。喩えだよ。喩え。分かった?」
「…うん」
その言葉にシンは俯いた。
なんか、きゅうにシンの顔が暗くなったような気がするんだが、そんなことで暗くなるだろうか?
「まぁまぁ、俺初めて見たよ、あんなの。感動したぜ。 よし!俺は食堂へ行って、シンの分の飯も買ってきてやる!もちろん、俺のおごりだ!」
セジックがなぜか何もしていないのに胸をたたいて言う。
「シン、昼飯いるか?」
シンの方を向くと首を横に振っている。
「だとよ、パンで十分みたいだぜ。ついでだから、俺にも何か買ってくれよ。」
「やだよ、負けた奴はどうでもいいよ。」
何だと?
セジックを思いきり睨むと、そそくさと去っていった。
「分かったよ。今日は記念パーティだ。ロンジの負けのな!」
ハハハと笑いながら、セジックは食堂の方へ向かった。
「…アイツ、ぶっ殺してやる。」
握った拳に力がはいり、関節が白くなる。
「ダメ、殺す、いけない。」
ボソッと漏れた愚痴に、シンがつっこんだ。
「なんだよ。お前まで…」
あっという間にもうすぐ日が暮れる時間になった。国立祭は時間が早くて困る。一日だけなのは少し辛いが、休みボケをする奴が少ないという面ではいいのかもしれない。それでも明日は徹夜明けの奴が多いかもしれないが・・・
国立祭の夜は、うるさい。外は暗いので、戦いゴッコは終わる。だから、あちこちで宴会を開く。酒飲みがさけび、賭け事をする奴もいる。みんな羽目を外すので、誰も羽目を外すことに抵抗が無くなる日でもある。だから、うるさい。酒癖悪い奴がいるとまわりが面白がって思いっきり飲ませる。男女、老人や子供まで関係なしだ。
「おい、もうすぐ日が暮れるぞ。中に入ろうぜ。」
セジックが一番先に言い出した。セジックは酒飲み集団が嫌いで、夜は部屋にこもっている派だからだ。
その言葉を聞いて今まで、夢中で観戦していたシンが急に目が覚めたようにハッとした。
「先、部屋、帰る。」
そういって、シンは駆けだしていった。
「…何があるんだ?」
「さぁ…日の入りが見たいとか」
「それはないだろ…って言う前にそんなのどこでも見れるし」
「あ、やっぱり?」
 ロンジとセジックは呆然とその様子を見ていたが、結局追いかけることとなった。
「おい!待てよ! シン!」
ロンジの呼びかけも耳に届いていない様子で、シンは夢中で走っていた。
「は、はえー…お、俺ギブ。ロンジ、先行って。」
体力のないセジックはあっさりギブアップして座り込み壁にもたれた。かなり息が切れている。
「ほいほい、お前サァ、少しは鍛えろよ。」
「ハッ、ほっとけよ。」
それだけ言うと、ロンジはスピードを上げた。全力疾走。しかし、追いつかない。あっという間にはなされた。
シンは城の入り口の前を素通りして、どこかへ行った。
「…どこへ行くんだ?」
ロンジの問いには、すぐに答えが返ってきた。 窓だ。
ロンジとシンが使っている部屋の窓の真下まで来て、思いっきり跳んだ。窓まで飛ぶと窓枠に落ちないように捕まり、すっと窓を開けた。窓は内開きなので、軽く押すと開いた。
「…嘘だろ?あいつ。絶対異常だ。…本当に人間か?」
ロンジとシンが使っている部屋は、三階にある。ひとっ飛びなんて信じられない。が、実際に今見たのだ。見たということは信じなければなるまい。
ロンジがぼやいた瞬間、何か光のような物がシンをつつんだ。
「なんだありゃ。」
不思議に思いながらも、自分は窓からはいるのをあきらめて城の入り口から入った。
「あれ、シンは?」
二階に着いたとき、後から声が聞こえた。セジックだった。
「あいつ、窓から部屋に入った。」
「ハハッ、嘘だ〜。そんなまじめな顔して言うなよ。シンどこに行ったんだ?お前と一緒だったんだろ?」
真面目に本当のことを言ったのに笑われた。まぁ、仕方がない。
「信じる信じないはお前の勝手だけどな。」
もうこいつには通じないとロンジはあきらめた。
「なんだよそれ。ま、とにかく俺は自分の部屋に戻るわ、シンによろしくぅ」
それだけ言って、セジックは自分の部屋に戻った。
ロンジがシンのいる部屋に着き扉を開けようとした。が、開かない。鍵がかかっているようだ。
「おい!シン!開けろ、俺だ!」
扉をドンドンと叩いたが返事がない。
「おい!開けろ、いるんだろ!」
もう一度呼びかけたが、返事はない。
カチャ
鍵の開く音がした。
「なんだよ、いるじゃねぇか。」
そう言って、ロンジは扉を開けて中に入った。
「おいシン、灯りもつけずに何をやっているんだ?」
やっぱり返事が返ってこない。
灯りをつけながらシンの姿を探してみた。
ゴソッ
二段ベッドのカーテンの閉まる方…下のベッドの方から物音がした。
「そこか?」
シャァー
ベッドのカーテンを開けてみた。 
そこにいるのはシンではなかった。部屋の明かりに照らされてきらきら光る銀髪を長く伸ばした少女が顔に驚いた表情を浮かべて座っていた。
きれいだ。ロンジは目を丸くしている銀髪の少女に見とれて数秒間動けなかった。
「あ…の」
「あ…わ、わりぃ。部屋、間違えた。」
ハッと、目が覚めたようにロンジはそれだけ言うと慌ててカーテンを閉め、部屋から逃げるように出た。
「あ、焦った…って言うか、あんな奴この城にいたか?」
ドアを閉め、少し乱れた息を整えるついでに部屋にいた少女のことを考えてみた。
とりあえず、見たことがない顔だ…と思う。という答えが出た。
あとは、一体どこの誰だ?なぜ俺の部屋にいる?っていうか、本当に俺が部屋を間違えたのか?という問しか浮かばなかった。
これでもロンジは今まで八年間ここで働いている。だいたい城の中にいる人とは顔見知りのはずだ。会って顔に覚えがない人はたまに来る商人の中で数人いるかいないかぐらいと家や家族を失いどこにも居ることができなくなって、また新しく城で世話になることになった子供達ぐらいだ。
さっき開けたドアのプレートにもう一度、顔を近づけて見てみる。そこは間違いなくロンジの部屋だ。間違ってはいない。ということは…
「泥棒か?」
その答えを出すと、いきおいよくドアを開いた。
バンッとドアが壁を叩いて大きな音が鳴り、明かりに照らされた部屋を見回す。ベッドのカーテンの隙間から見るとやはりさっきの銀髪の少女がいた。
勢いよくカーテンを開けようとする。すると今度は少女の抵抗があった。カーテンをしっかりと掴んで開かなくしているようだ。
「オイ、不法侵入で訴えるぞ。」
「…何それ」
とりあえず、カーテンを開けようとしながら叫んでみるが、一瞬力がゆるんだだけで、結局開けてはくれない。
仕方ないので最終手段…反対側から開けてみる。
するとあっさり開いた。結構馬鹿だなこのガキ…
 
第5章  悲劇
「やーっと、終わったー」
シェラフのおかげでいつもの半分、四時間で終わった。
「ありがとうシェラフ、おかげでかなり早く済んだわ!ナルスにもお礼を言わなくちゃ!」
主に物の置かれる宝物庫内の二階から階段をゆっくりと下りる。
「う、うん…そうだね。」
シェラフはあの玉を見てから、ずっとソワソワとしていて落ち着きがないようだ。どうかしたのだろうかと不安になる。
「シェラフ、どうしたの?鍵をかけるから早く出て!」
「う、うん」
シェラフは、名残惜しそうに一度振り返ってから部屋を出た。
宝物庫の大きな扉を閉め、扉の真ん中に鍵穴の変わりにある手形に手を当てる。少し手のひらに痛みを感じながらも扉を閉めることに集中する。
この宝物庫の扉は王家の血で封印されているらしい。仕組みはよく知らないが王家の者の血自身がこの部屋の鍵となるらしい。
この城には王家の者の血が関係するものがありすぎるぐらいある。どうしてそんなに血が必要なのかよく分からない。
「ねぇ、もし王家の者でない人がこの扉の手形に手を添えるとどうなるの?」
不意にシェラフが問いかけてきた。
「えーっとねぇ…確か全身の血を吸い取られて死んじゃうんだって、ナルスが言っていたような気がする。」
「ふーん、そんな力が…」
シェラフは、自分の身長の四倍はありそうな大きな宝物庫の扉を見上げた。
「そっか。じゃぁ、中にある物は絶対似盗まれたりしないよね。」
「当たり前じゃない!さ〜て、お腹空いたなぁ〜」
ジェルナは、疲れた様子で扉から離れていった。
「…時は満ちている…」
あまりの疲れにシェラフの小さな呟きに気付かない様子で…
…?
少しうつむき加減でベッドに座っている少女…イヤ、少年が長い銀髪を手ですくう。
「本当に…シン…なのか?」
すると、少年は小さくうなずいた。
シンの話では、昼と夜とでは今のように姿が変わるらしい。日が出ている間は茶髪に茶眼だが、日が暮れると今のように銀髪にグレーの瞳となる。
だが、ロンジの予想では姿だけではなく性格も変わるようだ。昨日や今日の様子を見ていると、まぁ昼の間は元気でしっかりした感じがある。ところが、日が暮れるとどこかナヨナヨした内気な…それこそ少女のように感じられる。
「あの、えっと…ここに来る前からこんな感じで…えっと、それで…どうしたらいいか分からなくて…」
しゃべる言葉も今の方がしっかり文章になっている。が、声が小さくて聞き取りにくい。
「あ〜っと、無理してしゃべらなくてもいいぞ。てか、もう寝とけ。」
ロンジはその少女のような内気なシンと話すと、少女を泣かせかけているような複雑な気分になってきた。さすがにロンジもそういうのは苦手のようだ。さっさと二段ベッドの上の段へ上がり仰向けに寝転がった。
「す、すみません」
シンは聞こえるか聞こえないかぐらいの小さな声で礼を言った。
……
「なぁ、お前って二重人格か?」
「え!?」
しばらく続いていた沈黙をロンジがいきなり破った。
「だから、お前の雰囲気って言うの?それがなんか違うような。」
「やっぱり、そう思いますか?」
やはりシンの声は小さい。昼のイメージとは大違いだ。
「なんて言うんでしょうか…太陽と月がそれぞれを呼ぶんです。」
「太陽と月!?」
あまりにもとんでもないことを言うので、ロンジは急に大声で聞き返した。
「…はい、なんて言うか…その…」
さっきのロンジの大声で驚いたのか、少しおどおどした様子で続きを話そうとした。
「ということは、お前は自分のことがよく分からないってことだよな。」
ロンジはベッドから飛び降りて、両手を上の段にかけ、シンのいるベッドを覗き込むようにして言った。
「えっと…その通り…です」
シンはさらにうつむいて、小さな声を返した。
さっきからシンは恥ずかしいのか、目を合わせようとしない。時々話がとぎれたときにちらっと覗くように見てくるだけだ。
そんなシンに、ロンジはある提案を出した。
「探さねぇか?一緒に。お前の過去を。」
その言葉を聞くとずっとうつむいていたシンの顔がロンジの目を見た。
驚いた表情を浮かべて。
「えっ!…で、でも…仕事があるんでしょ?」
一瞬だけシンの顔がパッと輝いたが、また俯いてしまった。
するとロンジは右手で自分の胸を任せろと言いたげにどんと叩いた。
「心配するなよ。そろそろここを出たいと思っていたんだ。外の国の様子とかも知りたいし。」
そういってロンジは笑みを浮かべた。
「…結局それが目的じゃないですか?」
シンもクスクスと笑い、部屋の中を穏やかな雰囲気がつつんだ。
「キャー」
しかしその穏やかさも、とつぜん聞こえた叫びにかき消された。
ど、う…して?
魔物に右脇腹の辺りを切り込まれ、階段に背中から落ちるように倒れていくジェルナの心の中はいっきに空っぽになった。
それは今よりほんの少し前に起きた。
ジェルナが眠ろうと床につき、明かりを消した時。黒い影がジェルナの寝室から出ていくのを感じた。
誰だろう…
寝室に、それも眠る時間の前後に人が出入りすることはない。不審者だろうか。そんな事が、ジェルナの頭によぎった。しかし、ジェルナはそんなことに怯え、明日の朝まで待つというような事はしない。むしろ興味を持ち、探ろうとする。そんなお転婆な女王様は、完全にさっきの黒い影が部屋から出たのを確認してから、行動を起こした。
部屋の明かりをつけずに寝間着から鮮やかな朱色の動きやすい普段着に着替え、手に愛用の短剣(実際人に対して使ったことはないがとりあえず護身用)を持ち無謀にも一人で黒い影を追った。
黒い影が止まったのは、宝物庫の大きな扉の前。
泥棒かな…?
本当は、少し怖がらなければいけないがジェルナは興奮からソワソワとしていた。滅多にない事は結構どんなことでも楽しむとても前向き(?)な性格なのだ。もちろん、それによって周りの者が振り回されて苦労するのは言うまでもない。
ガガガガガ…
扉が…開いた?どうして?開かないはずなんじゃ…
黒い影は、二本の長い手を扉に突っ張り押している様子だ。
「な、なんで?」
突然の目の前に起こっている事態にジェルナはパニックになった。
その間にも、扉は大きな音を立てて開いていく。
そしてある程度開いた扉の隙間から黒い影がスッと中に入っていった。
捕まえなきゃ!
そんな思いがジェルナを動かした。
もう、手遅れだったのだ。この時点でもう…
中に入ってみると真っ暗で何も見えない。
上の方から物音が聞こえてくる。しかし階段を昇っても視界にはいるのは闇しかない。
しかし、いきなりボウッと赤く光る丸い物が浮いているのが見えた。それも、二つ。
シェラフが掃除の時に見ていたあの玉に似た丸い玉が。しかし、すぐその玉は小さくなった。そして横に移動した瞬間、まばゆい光につつまれた。
なんだろう。
ジェルナは光が消えた後さっきの光の原因求め、その玉が浮いていた場所に近づいた。
グルルルルル…
まるで猛獣の喉が鳴るような音が響いた。
次の瞬間。ジェルナは見てしまった。
あのシェラフがまるで別人のような…イヤ、別の獣のような姿をしていたのを。
二つの小さくなった紅い玉はシェラフの瞳だったのだ。
「キャー」
そう叫んだ瞬間、ジェルナはぎらぎらと紅い目を光らせるシェラフの爪の餌食となった。
「平気か?」
ジェルナが階段から転げ落ちる寸前。後から、がっしりとした手が抱きかかえるように支えた。
そっと目を開けてみると、人の顔の輪郭と青の短髪がぼんやりと見える。だが、はっきりとは見えない。
「だ…れ?」
今ジェルナは、判断がいまいち出来なくなっていた。
「こりゃ重傷だな。血の流し過ぎか?ったく、姫さんも大変だな。」
その言葉でハッとした。ロンジだ。
「ロンジ、お姫様は大丈夫なの?」
だんだん目が慣れてきた。横から長い銀髪を垂らした少女が覗き込んでいる。
「だ、大丈夫だよ、このぐらい。」
少し無理をしながら、起き上がる。右脇腹に激痛が走った。
「ッ!」
「ほら、無理すんな。」
右の脇腹を見てみると、かなり血が流れている。
「シン!そこのカーテンとれ!」
シン?その子が?
「破っていいよね。」
「当たりめーよ。」
ガシャ。という音とビリ。という音が同時に鳴った。
「はい。」
シンの手にはびりびりに破けているカーテンがある。
ロンジはジェルナを右手で支え、左手でシンから破れたカーテンを受け取り、起用に口を使いそれをまた細く裂いた。
「シン、ジェルナを支えろ。」
ロンジはシンに痛みに顔をしかめているジェルナを渡し、さっき裂いたカーテンをジェルナの体に一周させた。
「ったく。おっ、結構細い腰だな。」
ロンジはジェルナにきつく睨まれた。無礼な発言に睨むぐらいの力はあるようだが、さすがに手は出せない。
ついでにロンジは、ジェルナを挟んだ向かい側からも冷たい視線を感じた。
「あらら、あんまり力が残ってないようだな。ぶたれると思っていたが・・・」
その言葉を聞いて、元気になったら二・三発ぶん殴ってやろうとジェルナは心に誓った。
「さ〜て、ドレスじゃこんなコトできなかったかもな。かなりきつくいくぞ。」
グッ
ロンジの持ったカーテンがジェルナの傷口を硬く、きつく塞ぐ。一度結んでからまたぐるぐるとジェルナの体に巻き始める。
「こんなもんか。とりあえず一生傷になるのは覚悟しておいた方がいいな。まったく、よく傷が付くぜ。」
最後に結び終わるとロンジの口からため息が出た。たぶん、集中した作業で疲れたのだろう。
「ありがと。」
応急処置だがしっかりとした止血がされ、少し楽な気がしてきたジェルナはスッと立ち上がった。
「でも、不思議。ただのカーテンの止血だけなのにかなり楽な気がする。」
「普通、楽になるわけないと思うんですけど。血があんなに流れ出たんですから。」
シンが不思議そうな顔をして聞く。
「ま、あれじゃないの?確か、姫さん治療の魔法使えるんでしょ?」
「なるほど。」
ロンジの言葉に二人が同時に納得した。
「なるほどって、姫さん。気が付かなかったのか?」
「うん!」
「うんって…」
もう一度、ロンジの口からため息が出た。今度のは疲れからではなく、呆れからのようだ。
「そういえば!宝物庫から出てきた人、誰か見なかった?」
ジェルナはハッとして二人に聞いてみた。こんな聞き方をしたのは、もしかしたらシェラフではないかもしれないという淡い期待からであった。
すると二人は顔を見合わせ、さぁ。と一言
「そっか。」
思わずため息がでた。でも、心のどこかで少しホッとしている自分がいた。
 
第6章  旅立ち
「ロンジ…外が…」
シンが、ロンジの袖を引っ張ってカーテンをはぎ取った窓の向こうを指差した。
「え!?」
シンに言われて始めて気が付いたが空がまっ赤に染まっている。まるで燃えているようだ。
慌てて窓を開けて、身を乗り出した。窓から外を見下ろすと城内の庭は、騒がしい、みんな大声を上げて走り回っている。たしかに火は上がっている。が、火の元は、城とは別館の小さな方の食堂からで空を赤くするほどの火ではない。ジェルナには、もう一つおかしなものを見た。城の外門に人の山が出来ている。みんなで門の扉を開けようとしているようだ。しかし、門は開きそうにない。
「どうして外門が開かないの?」
ジェルナが、身を乗り出している後で窓枠の上の部分に手を掛けているロンジに聞いた。
「あ〜っと、鍵がかかって…イヤ、鍵は内側からか…。おかしいな。あの扉ぐらい二人ほどいれば開くはずだぜ。」
門番ならわかるかと思ったが、どうやらそういう訳でもないようだ。
「魔物だよ。」
シンがそっと呟くように答えた。
「え?」
「姫様、魔物といっしょにいたでしょ?あの子だよ。」
まさか、シェラフが…
嘘だと思いたいが事実、自分を襲ったのはシェラフだ。さっきの様子だったらやりかねない。
「あの子モノクルでしょう?モノクルはあまり力が強くないからね、標的に幻覚を見せて弱らせてから殺るんだ…。」
そっと、ささやくほどの声でシンは続ける。
「このままじゃ…」
そこまで言った時。城の外門前の人山をのぼり一番上で扉に体を張り付けていた人が一人、急に倒れた。
…血塗れの姿で。
さらに、騒ぎが大きくなった。よく目をこらすと人と同じぐらいの大きさの緑色をした素早く動く影が見えた。
「おい、シンに姫さん。モノクルって確か緑のちっさな体したあのかわいらしい奴だよな。」
ロンジはたぶんそんなに魔物に詳しくはない。が、モノクルはこの辺りではよく見かける動物だ。
「えぇ…でも…シェラフは…人の姿よ。」
ジェルナは、低く辛そうな声で途切れながらも答えた。
「やっぱりね。」
シンは、呆れたような仕草で返した。
そんな話をしている間にも次々と倒れていく人山で、すでに城門前は血の海となっていった。
「そんで?どうするよ。今日みたいな日にゃ生き残りは俺らぐらいだろうな。」
ロンジは呆れ口調で壁にもたれた。
「様子を見よう。モノクルの暴走は私も初めてみるし。」
「私って…お前、それぐらい統一しておかないか?」
お気楽なロンジはどうでもいい事にばかり気がいくようだ…
そうしている間に外門前には生きた人はいない。死体の山の上で、シェラフが…あの親友だったやさしい魔物が…返り血を浴びた左手を舐めている。
一瞬そんなシェラフと目が合った。すると、まるで嘲笑うかのような微笑を返してきた。
あれは、もうシェラフではない。そんな思いが湧き出てきた。その思いはいつの間にか、目から頬につたう熱いものになっていた。
「姫さん!」
ジェルナは、泣き崩れた。もう二度と戻ってこないだろうあのシェラフとの別れを感じてしまった。
「ロンジ!モノクルがこっちに来る!」
窓の外をずっと見ていたシンがいきなり声を上げた。どうやら城内に入ってきたらしい。シンが走り出し、階段の角のところでしゃがみ、警戒するように角の向こうを確認してから大丈夫と判断したのか手招きした。
「チッ、どうしろって言うんだよ。」
とりあえず、ロンジはジェルナをかっさらうように抱き抱えてシンの元まで走った。
「ちょっと、モノクルと話そうと思ってね。」
わけの分からない、シンの様子にロンジの頭もパニック寸前だった。
「じゃぁ、姫さんはおいて行った方がいいのか?」
そう口に出したとき、ロンジはジェルナに襟をつかまれた。
「連れて行ってちょうだい。私も話がしたい。」
ジェルナの言葉には声こそ小さいものの強い気迫が込められていた。
三人は、階段をゆっくりと降りていった。宝物庫は最上階の五階だ。四階は王族の者のみが使う部屋ばかりだ。一周したが何も見つからない。まだここまでは来ていないようだった。
二・三階は、主に兵士寮になっている。が、三階を見て回ると部屋は一つ一つ空けられ、鍵がかかっている部屋も扉が破られ中にいる者は皆殺しの状態だ。あまりにもひどい有様にジェルナは何度も吐き気をこらえた。
三階の一番奥の部屋に着いた。部屋からなにやらゴトゴトと物音がする。生き残っている者がいるのだろうか?
そっと部屋を覗いてみると…いた。血で全身を赤く染めた魔物の姿がそこにあった。部屋の住人は、首だけがシェラフの右手の上にあった。
あまりの酷さに絶句した。そんなジェルナにシェラフは持っていた首をその場に投げ捨ててスッと寄ってきた。
「お姫様、ご機嫌がよくないようですね。苦しいのなら一瞬で楽にしてあげましょうか?」
シェラフは長い舌でジェルナの右頬に刻まれた…あの辛かった日にできた古傷を舐めた。
「てめぇ、今まで姫さんをねらっていたのか?」
ロンジの言葉には、怒りが感じられた。
「フフフ、そうね。別の人格を作ったんだけどちょっと作りすぎたわね。なかなか実行してくれなかったし。」
クスリと笑うシェラフの胸ぐらをロンジが掴んだ。
「てめぇ、姫さんを利用しようとしてたんだな。」
襟を掴んだ手に力がこもり、だんだんシェラフの体が宙に浮いてきた。
「フフ、当たり前。」
「どうして!なんで?シェラフ!」
ジェルナは、泣きながら強い口調でシェラフに尋ねた。
「貴女にはわからない。一生かかっても。きっとね。」
さっきまでのお茶らけたような声ではなく真剣そうにそう言うとシェラフはスッとロンジの手を払った。そんなに力が込められていないように見えたが、払われたロンジはまっすぐ飛ばされ、血がべっとりと付いた壁に激突した。
「ウフフ、もうすぐ人間は終わりよ。いえ、終わらせるの。でもあなた達は最後。しっかり同胞が消えていくさまを頭に焼き付けてもらおうかしら。」
そう言って、シェラフは近くの窓を割り、飛んで逃げていった。ジェルナが最後に見たものは頬笑みながら城壁を跳び越えていく魔物の姿だった。ジェルナはまた、あの斬りつけられたときのように心が空っぽになった。
何が起こったのだろう。
自分が何をしていたのだろう。
わからない?…違う。わかりたくない。知りたくない。
…わかりたくない? 何を?
そっと目を開けてみる。目に映るのは…赤い…血?
誰の?誰がしたの…?
思い出せない?思い出したく…ない。
「…ま……さま、姫様。」
小さく聞こえた声に反応して隣を向いてみると、銀髪の少女がこちらを覗き込んでいる。
「姫様、ロンジが…」
「ロンジ?」
誰?
銀髪少女が向いた方を見ると、血の付いた壁にもたれ、ぐったりと頭を垂らした青の短髪の青年…
何があった?ロンジ…ロンジは?魔物にやられた?
魔物?…シェラフ! 私を…陥れたんだ。
「イヤ―――――」
パニックに陥ったジェルナは叫んだ。しゃがみ込んで、頭を両手で隠すようにしてまた泣き出した。
「ロンジ!ロンジ!」
大粒の涙が頬をつたう。ぐったりとしたロンジの肩を両手で揺する。
起きてほしい。これ以上誰もこの場所で死なないでほしい。そんな思いがジェルナの頭を駆け巡った。
「姫様。そんなにしなくても…」
「うるさい!うるさいうるさい、うるさい!」
シンの言葉をジェルナは大声で遮った。
「…うるさいのは姫さんの方だろ?」
「え…!?」
さっきまで、死んだようにぐったりとしていたロンジが髪を片手でくしゃくしゃとかきながら片目を少し開けた。
「単なる、打ち身ぐらいでしょう?」
「ま、そんなとこだな。」
ヘヘヘと、ロンジがいまいち力なさそうに笑う。
「なんだ…」
ジェルナの顔にも緊張が一気にほぐれたのか、ロンジの肩に置いた手を降ろすと自然に笑みが漏れた。
「ただ…あばら、折()かれたみたいだ。左が痛てえ。」
痛みに顔をしかめながら、無理に立ち上がろうとする。
「無理すんなっていったのロンジでしょうが。」
ジェルナはクスリと笑い、ロンジを座らせた。
「骨折直せるの?」
シンが心配そうにジェルナの肩越しにロンジの左胸を見た。
「骨折と外傷の治療は得意だから、任せなさい!」
そう言うとジェルナの手が、暖色系の明るい光につつまれた。
「一瞬で楽になるよ。」
そう言って、光につつまれた手をロンジの折れたあばら骨に当てた。
ハシュ
間の抜けた、空気が圧縮されたような音が鳴り、一瞬ロンジは痛みに顔をしかめた。
「はい、おしまい。」
ジェルナがそう言った後、ロンジは立ちあがり体をひねってみた。
「おぉー、すげー。これが魔法っていうヤツか。」
「さすが姫様!すごいです。」
二人とも、ジェルナの魔法に感心した。
「アハハ、それほどでも。」
さっきのまでの事を忘れて、気楽な三人は楽しそうに笑っていた。
「で、どうしましょう。この城…」
一通り見て回ったが、血塗れの…生存者たったの三名。城としてだけでなく、国全体でこれだ。再建は不可能だろう。
「シェラフ…あのモノクルは他の人間も殺すつもりみたい。私達のせいでもあるから、かたをつけに行った方がいいのかな?」
「ま、それも一里あるか。」
「私も賛成です。」
反対の意見がないので早速旅立つことに決定した。
「馬、生きてるかな?」
ジェルナは心配そうに馬小屋の鍵を開けているロンジに声をかけた。
「どうだろうな。」
シンだけは武器を取りに行っている。あの宝石みたいな変わった武器以外の武器はいまいち使いにくいらしい。
ゴトッ
馬小屋の扉を開け、中を覗くとそこは血の海…
というわけでもなく馬たちがぐっすりと寝ていた。
「完璧にモノクルの眼中にはなかったって事か?」
「そう…かな?」
呆れて言葉が浮かばなかったが、とりあえず馬小屋の中にいる全十頭の馬を連れて行くことにした。
もちろんその十頭とずっと一緒にいるつもりはない。どこかの国で余分な馬を売ればいいだろうという、とってもいい加減な考えだった。
馬の中で一頭だけ、馬車をひかせることにした。別に特に意味はないが、あえていうなら一つは絶対必要だが、そんなにたくさんはいらない。ということだ。
馬車を取り付け終わり、他の馬にも馬具を取り付けて、死体が山積みとなった門の前に向かった。
「…どうしよう、この人山。」
よく考えてみれば、この国の出口はここしかない。しかしこの門は何十人という死体の山でふさがれている。
そこへ、息を切らせた様子もなくシンが戻ってきた。背中に矢立、左脇のベルトに弓をぶら下げ、右脇には剣を下げている。
「すみません、遅くなりました。」
シンはジェルナに向かい軽く頭を下げた。
「ええ、それはいいけど、この人山を越えないとでられないの。」
そう言ってジェルナは視点を死体の山に戻した。
「それじゃあ、城壁を破ったら外にでられますか?」
またもや、シンの驚きの発言に二人は絶句した。
「あのな、城壁ってものは壊されないように頑丈に作った物なんだぞ。そんなに簡単に壊れるかよ。」
しかし、シンはロンジの言葉には耳を貸さずに、左手で剣をぬいた。両手でかまえて、集中する。
ボウッと剣が青白く光った。次の瞬間シンは両手で剣を大きく振り下ろした。
すると剣が当たったわけでもないのに、城壁がガラガラと音を立てて崩れた。
「…どうやったんだ?」
目の前で起こったあり得ないことに今日は驚きっぱなしのロンジが呆れまじりの声でシンに尋ねる。
「まぁ、気にせずに行きましょう。」
もう一度剣を振るい、壁を崩してからシンは国の外へ出た。
二人は呆気にとられながらも崩れた壁をどかしながら、外へ出た。
十頭の馬を率いた三人の無茶苦茶な旅はこうして始まった。
 
第7章  樹海の遺跡
草…蔓…木…緑…深緑…暗い緑…
どこを見ても一面緑色。それもそのはず、樹海の中だから当たり前だろう。
「…少し休もーぜ。だりーよ。」
先頭を進んでいたロンジがついに音を上げた。
「何言ってんの!さっき城から出たばかりじゃない!」
止まったロンジにすぐ後からジェルナがきつく言う。
「だってよー。」
「休んだ方がよい気もしますが、ここを抜けてからの方が絶対いいと思います。」
文句を言うロンジにシンが注意した。
「お前ら…眠くないのか?」
呆れたような顔でロンジが言う。
たしかに出発は夜で、一睡もしていない。その上ロンジはシンのせいでいつもより早く起きている。疲労がたまっていても仕方がないだろう。
「これは忠告です。いいですか?ここには野生の魔物が多くでます。特に樹海の奥、城から離れるほど強く凶暴化した魔物が多いです。ここで怯えながら寝るよりも、樹海を抜けてある程度落ち着いたところで寝た方が体も癒えると思うのですが。」
「さすがシンね、いいこと言うわ!」
ジェルナに誉められ、シンは照れくさそうにうつむいた。
「…わーったよ、ったく」
しぶりながらもロンジはやっと動き出した。
しかし樹海は大きくて、暗い。これでは、どちらが町かもうすぐ朝なのかさっぱりわからない。
「それより、シンってこの城に来たとき茶髪じゃなかったっけ?」
ジェルナはシンがなぜこんな姿をしているのかを知らない。銀髪の姿で初めてあったとき、いろいろあって聞いているいる暇など無かった。
「…説明する必要はないと思います。もうすぐですから。」
シンはさらりと訳が分からないことを口にした。だが、すぐにシンが言った言葉の意味が分かった。
木々の間から光が差してきた。夜明けだ。
なぜかいきなり苦しそうに体を丸めたシンの体をいつか見たような光がつつむ。スウッとシンの髪は根本から茶色に染まっていく。
「…な、なるほど。」
ジェルナは少し驚いていたもののすぐにあることに気が付いたようだ。
「理解、した?」
シンはまたさっきとは違う独特の特徴ある単語ばかりの話し方で言った。
「魔物なの?」
ジェルナは他の言葉が見つからないので、とりあえずストレートに聞いてみた。
「…それとこれとなんのつながりがあるんだ?」
前から、ロンジが首だけを後ろに向けて不思議そうに聞いてきた。
「それ、一種の魔法でしょ。魔法が使えるって事は…」
ジェルナの王家に伝わる魔法は三代目の王が魔物の術を研究した結果生み出したらしい。それが血で伝わるのも何か変な話だが…まぁ、それが当たり前ということにしてほっておこう。
「魔法?俺、魔物?」
「たぶん…そうじゃないかな?」
少し、暗い沈黙が流れた。
「ったく、そういう話はここから出た後でいいだろ。」
ロンジは疲れた様子でその沈黙をさえぎった。こういう話は苦手なようで、すぐに逃げ出したくなるようだ。
しかし、樹海は広い…進めど進めど見えるものは木ばかり。しばらくして、遺跡のようなものを発見した。ツタが絡み形はよく見えないものの、所々柱や屋根のようなものが見える。そして見つけた。まるで大きな口を開けたような怪しい、奥の見えない真っ暗な入り口を…
「…なんだこれ」
ロンジは思わず硬直してしまった。
「入る、休む。」
ロンジの様子を気にする様子もなく、シンはてくてくと中に入っていた。
「オイ、待てよ。そっちの方が危なそうに見えるぞ!」
ロンジの呼びかけに振り向きもせず、奥にむかって先にスタスタと行くシンを仕方なく追いかけて中に入ることとなった。
入ってみれば、そんなに中が暗いわけでもなかった。所々天井の方から光が漏れている。大分派手に壊れているようだ。あの入り口からしばらく歩いているが、どこも天井から滴り落ちてくる水で濡れている。数日前に降った雨がまだ上に残っているのだろうか?
ドンッ
上ばかり見て歩いていたロンジは、急に立ち止まったシンに気付かずもろにぶつかった。
「いてぇ、なんで止まんだよ!」
シンは静かに、と伝えるジェスチャーをした。
「奥、血、臭う。たぶん、人間。」
ジェルナの方を振り返ると、ジェルナもこちらを見てきた。目は、どうする?と問いかけたそうだ。
「行ってみるか?」
シンは静かに頷いた。
足音を立てないように気をつけながら奥を目指して進む。ふと、遺跡の派手に崩れた部分に腰をかけている人の影が見えた。あれがシンの言う血の匂いの元凶か?
人影は、ゴソゴソと動いてはかがんでいる。怪我は足の方にあるのだろうか。
パシャン!
ジェルナが足を滑らせて、すぐ後ろにあった大きな水たまりに背中からダイブした。
「誰です!」
きつい声がかえってきた。
まずい、人影にこちらに人がいることを気付かれた。
「どうする?」
「どうするったって…」
逃げようか、しかしかえって怪しまれるとまた厄介な事になりかねない。
「ごっ、ごめんなさぁぁぁぁぁい」
水たまりにはまっていたジェルナがパシャパシャと水音を立てながら反射的に誰かも分からない人影にむかって頭を下げ、謝っていた。
「お、おい!」
どうすんだよ、完全に気付かれたぞ。もう逃げるなんて無理だろ!どうすんだよ!
いきなりのジェルナの行動にロンジはパニック寸前だった。
「…聞き覚えのある声ですね。」
人影はスクッと立ち上がり以外にも優しそうな声で一言言うと、一歩ずつ近づいてきた。
足下の辺りから光のよく当たる範囲に入ってきた。黒い靴をはき、長いスカートの上にエプロンがされている。召使い風の女性だ。
「ナルス!」
「お嬢様!」
城がシェラフの術にかかったとき、ナルスだけは逃げることが出来た。ナルスはモノクルの幻術から逃げるすべを知っていたからだと言う。
そして城を抜けた後、しばらく樹海を歩き回りこの場所を見つけ、休んでいたらしい。
「でもよかった、ナルスが無事で…」
「お嬢様こそ…」
二人はホッとしたような優しい笑みを浮かべている。
「さっき、血、匂い。なぜ?」
そこへ割ってはいるようにシンが疑問をナルスにぶつけた。
あーと言うようにナルスは結構どうでもいい怪我のような言い方をした。
「少々、そこの岩で引っかけたんですよ。たぶん、これでしょう?」
そういってスカートを少しあげてふくらはぎを見せた。スッと長く入っている傷口からタラタラと血が流れ出ている。
「ダ、大丈夫なのかばっさん。」
「誰がばっさんですか!」
ロンジは心配していったつもりだったのであろうが、逆に怒りを買ったようだ。
「まぁまぁ、ロンジの口は今に始まったことではないですから…」
ジェルナがナルスをなだめるように言った。
「なんだと?お転婆な姫さんには言われたくないな!」
「なんですって?」
にらみ合って、二人はまた口を開く。しかも口から出るのは悪口ばかりだ…
「もとはと言えば、お前が外へ出てあんな魔物を雇うからだろう!」
「なんですって!私だけのせいじゃないじゃない!」
「何言ってんだよ、お前が何にも考えないからだろ!」
…………
口は禍の門とはこのことだろうか、ほんの少しの不注意が口論まで発展していってしまった…
シンは呆気にとられて、その様子をジッと見ていた。
「まぁ、そこまでにしておきましょう。別にどうでもいいのですから…」
二人を止めようと真ん中に入りなだめようとした。
「よくない!」
二人は口を揃えて、ナルスを睨んだ。
ナルスが二人の様子に一歩退いたとき、また懲りずに睨みあい、口論を続けた…
数時間後…二人は疲れたのか口論をやめた。隣を見てみると、シンはナルスの隣でぐっすりと眠っていた…
「俺、もう寝るわ…」
ロンジも瓦礫の中に寝転がるのにちょうどいい場所を見つけ、そこに寝床を決めた。
「お嬢様…」
ナルスがそっとジェルナに声をかけた。
「何?」
「お疲れの所すみませんが、傷の治療をお願いしたいのです。」
「ああぁ、うん。そうだね。」
ジェルナの手がまた輝きだした。光る手をナルスの傷口に当てる。すると、傷口の両端から徐々にふさがっていく。ふくらはぎに伝わり、流れている血も傷口に戻っていく。
しかし、急に指先に激痛が走った。どこから来たものかは分からないが針で刺されたような痛みがして、ジェルナは治療を中断した。
「どうかしましたか?」
ナルスが心配そうに声をかけてきた。
「ううん、何でもないよ。」
少し無理をして、笑顔を作った。上手く笑っていられたかはわからない。
「そうですか、それでは。どうもありがとうございました。」
ナルスはそういうと、シンの隣の平らなところで眠りだした。
大丈夫だと答えたが、まだ指がじんじんと痛む。いったい何が起きたのだろうか。
不思議に思いながらも、体を横にすると睡魔に襲われすぐに深い眠りに落ちた。
 
第8章  湖
草原、視界を遮る物は何もない。空は曇り、辺りは暗く、台風が来た時のような強い風が吹いている。少し遠くの方に林が見える。
バタバタバタバタ…
たくさんの人が走る足音、自分の後ろから聞こえてくる。自分を追いかけてきているのだろうか、よく分からないがなぜか怖い。追いつかれてはいけないと脳が命令を下している。
周りの景色は流れるように早く後ろに行く。
…自分も走っている?
息が切れて、倒れそうになる。手には何だろう、布にくるまれた物を大事そうに抱えている。
足がもつれて転びそうになる、でも必死に持ち直す。
やっと林まで来た。木の陰をぬうようにして走るが明らかに追いかけてくる団体のほうが自分よりも足が速い、その上こちらはもう走れそうにない。追いつかれるのは時間の問題か。
急に二度連続して曲がり木の陰に隠れ一度腰を下ろした。
自分を後ろから追いかけてきた大群が、角を曲がった自分に気付かず素通りしていく。
軽く武装している。麻の服のうえに薄い金属の板で出来た鎧と呼べそうな物を着け、手には槍や長めの刀等の刃物を持っている。
ふと、反対側を見た。いつの間にか長い銀髪を流した、優しそうな顔の青年がいる。自分の手を引いて、走り出した。
また、後ろからたくさんの足音が聞こえ出した。見つかった…
時々、手を引く青年が振り向いて笑いかけた。だが、走る足は止まらなかった。
…行き止まり。断崖絶壁、遥か下は霧のような物で隠れている。
後ろを向くと沢山の凶器の先ががこちらに向けられた。
青年が自分を抱き寄せた。
「心配しないで、僕らには羽根がある。」
ハッと、目が覚めた。
辺りを見回すと、真っ暗な崩れた遺跡の中。近くにはシンとナルスがいる。遠くの方にはまだロンジが寝ているようだ。
「夢か…」
フゥッと一つため息をついて、体を起こす。
一つ伸びをすると、お腹の虫が音を立てた。
「お腹空いたぁ…」
夜明けから大分経ったというのにやはり遺跡の中は暗い。足下に気をつけながら、シンとナルスの方へ向かった。
「おはよ、ござい、ます」
「お嬢様、おはようごさいます。」
「…おはよ」
二人は平らで湿っていない所を選び、火を焚いていた。手には、串に刺された魚があった。どうやら朝ご飯は焼き魚のようだ。
「魚が焼けるまでまだまだ時間があります。ここから南に5分ほど歩いたところに湖がありました。顔を洗ってくると良いですよ。」
ナルスの言葉にわかったと首を縦に振り遺跡の外へ出た。
想像以上に綺麗な湖だった。うすく青みを帯びた水が光を浴びて、キラキラと光っている。手ですくうと冷たく透明な液体が指の間から砂のようにサラサラと煌めきながら落ちていく。
顔を洗うと、すっきりした。ついでに一口飲んでみると冷たい水がカラカラに渇いていた喉にしみこむような感じがした。
湖は岸と水の境で壺のように急に深くなっているが、縁から六メートルほど離れた真ん中の方はなぜか浅い。あの辺りなら足が付きそうだ。ふちに手をかけて、湖の中を覗き込んだ。透き通る水の中には沢山、魚などの生き物が岩陰に隠れている姿が見えた。
夢中になって身を乗り出して覗き込んでいると、ジェルナはバランスを崩し前に倒れた。
バシャッっと水しぶきが上がった。少ししてジェルナの頭が水面に出てきた。
「ビックリした…」
いちど頭を振って軽く水を飛ばした。まっすぐ落ちたはずなのに陸は結構遠かった。
ジェルナはあまり泳ぎが得意ではない。必死に陸の方へ泳ごうとするがバシャバシャと水がはねるだけでちっとも進まない。傍から見れば溺れていると思われるだろう。
「どうしよぉ」
服が水を吸って重くなってきた。正装であれば沈んでいただろうなと考えると少しぞっとする。
潜ってみるが、尖った岩だらけで下手に触れない。幸い靴は履いているがサンダルのような物でカバーできない場所も多い、その上ヒールときている。
「あぁ、もう最悪…」
ポツリと呟いたとき、近くの茂みがガサリと揺れた。誰かこっちに向かってきているのだろうか。
ザッ
見えたのは青い短髪頭…ロンジだ。眠そうな半開きの目をして頭をくしゃくしゃと掻きながらこっちに向かって歩いてくる。
「助け…」
ジェルナがロンジに助けを求めようと、声を出したとき、急に何かに足を触られたような感覚がした。不思議に思いながらも、魚が触れたんだと勝手に納得をして、再度ロンジの方を見た。次の瞬間…彼女の視界は急に水の中へと沈んでいった。
眠い、とにかく眠い。こんなに早く起こされるとは思わなかった。
ロンジは、自分を無理矢理起こしたナルス達を恨みながら、言われたとおり湖まで来た。
「へぇ…こんなところが城の近くにあったなんてな。」
ロンジもジェルナと同じく、湖の美しさに少し見とれていた。
ふと、視野の片隅に何かもがくように動いている物がうつった。
何だ?
その動く物体のとなりで魚のような、しかし魚にしてはあまりにも大きい尾ビレが水を大きくはじいた。
変なの…
あまり気にもせずに、とりあえず顔を洗った。
次の瞬間、顔を洗う手の隙間からとんでもない物が見えた。
ジェルナの姿だ。
背中のマントを口で掴まれ、宙吊りの状態。吊っているのは体長、3・4mほどありそうな・・・・・・人魚。さっき見た大きい尾ビレは人魚のものだったようだ。
人魚、美しい姿と醜い姿を持つといわれ、不老不死の体を持つとも言われている。美しい姿を使い相手を魅了させて獲物を捕る。が、その裏に隠された醜い姿を見たものはいないという。それは醜い姿は獲物を食べるときにしか見せないから…
そして、今目の前にいる人魚が見せているのは――――――――まるで何かの毒に侵されているように皮膚がただれ、目がむき出しになっている目も当てられないような醜い顔。
この場合、あの姿が意味しているのはジェルナを食べるということであろう。
「姫さん!」
大きな声を出して、ジェルナを呼ぶ。が、反応がない。気を失っているのか、ぐったりと首を垂らしている。
ふと、ジェルナのマントをくわえている口の下の辺りから無数の触手が伸びてきた。ジェルナの手や足に巻きついていく。
クッと、ジェルナの表情が痛みに歪んだ。
「ざけんじゃねえよ!」
大声と共にロンジは脇に差した剣をぬき、人魚に飛びかかった。下に落ちれば、水。相手にとっては絶好の場所だろう。だが、躊躇している暇などはない。
グゥルルグァ
尾ビレにのっかってきたロンジを、人魚は振り払おうと尾を大きく振る。しかしロンジは見かけよりも身軽な動きで、少しずつ長い尾を頭に向かい走ってゆく。幸い人魚の体は胴囲が大きいせいか中心地に近い浅瀬では半分ほどは水面に出ている。
ひょいひょいと軽く飛びながら近づいてくるロンジの姿に、人魚はバタバタと尾を振る。
魚の尾と人の体の境に来たところでロンジは高く跳んだ。
「とっとと放しやがれ!下衆(げす)が!」
大声で叫びながら、人魚の頭に向かい一直線に剣を構える。
グゥア?
頭の悪そうな返事。
人魚が上を向いたとき、ロンジは全身の力を込めて振り下ろした。
ザクッ
大きな水しぶきが上がった。
落ちたのは…人魚の口の辺りからのびていた触手。ロンジは、まだ少し触手が乗っているジェルナを抱えて人魚の尾に着地していた。
その目は、しっかりと人魚の顔を睨んでいる。
人魚はその目に、恨めしそうな目を返している。しかし、ゆっくりと動き出した口がニタァと歪んだ笑みを表した。
何がおかしいんだ?あいつ…
不思議に思いながらも、ロンジは人魚から目をそらし岸に向かって走り出した。
前方、ザバァッという水音と共に水の中から何かが出てきた。
――――――――さっき切り捨てた触手だ。
「ウソだろぉ…」
斬られて本体から放された短い触手達は、空中を自由に舞っている。
ふと、触手の動きが止まった。次の瞬間、一斉にそれらがこちらに向かい一直線に跳んでくる。
「くっそ。」
近づいてくる奴らを蹴っ飛ばして行くが、次から次へと飛んでくる。
キリがねぇなぁ…
出来れば剣を使いたい。が、ジェルナを片手で支えるのは少し無理がある。
触手の一本が肩をかすめた。服が少し溶け、赤くなった肩に痛みがはしる。
「あっぶねー」
赤い肩を見ながら、ロンジはジェルナを落とさないようにしっかり抱きながら人魚の体の上を走る。
この触手…溶解液でも出すのか?
そう思い、先ほど触手に巻きつかれていたジェルナの体を見る。しかし特に目だった外傷もなければ、服に一つも溶けた様な跡はない。
人魚がバタバタと暴れるせいで、足下はかなり不安定である。
「うわっ!」
岸まで後十メートルほどの所でロンジがバランスを崩した。
落ちる!そう思った瞬間、茂みの方からなにやら光が見えた。こちらの方へ飛んでくる。
その光は、バランスを崩して倒れるロンジの上をまさに危機一髪と言える幅でかすめていった。
次の瞬間には、ロンジはジェルナと共に湖へ落ちた。
少しして…二つ頭が水面に出てきた。
どうやら浅いとはいえ水底には大量の水草が茂っていて怪我をせずにすんだようだ。
「何なんだよ…一体さぁ…」
水面に出てきたふくれっ面の青髪はぼやいた。
光の飛んできた方をよく見てみると、長い茶髪を一つにまとめた見覚えのある姿がある。シンだ。左手に弓を構え、右手は背中に背負った矢立からもう一本矢を取り出そうとしているところだった。さっきの光はたぶんシンの矢だろう。
「あの馬鹿…オレを殺す気か?」
またもぼやきながら、ロンジはまだ気を失ったジェルナを抱えて、岸に向かい急いで進み出した。
水に入っちまった。これじゃいつまで助かるか…
そう思いながら人魚の方を見た。
おい、あれって…
人魚の姿を見てロンジは立ち止まった。体の左半分が吹き飛ばされている。
それでもピンピンしている人魚の姿を見てドキッとするが、奴はもうこっちに興味はないようだ。シンを睨み、ギェエエエエと怒りの雄叫びをあげる。
これなら大丈夫かと、ジェルナを抱え直すとジェルナがゴホッといきなり水を吐いた。
どうやら、気を失ったのはこれのせいのようだ。
「大丈夫か?」
声をかけると、うっすらと目を開けた。
「ロ…ンジ?」
返事を返すと、ジェルナはハッと目が覚めたようにロンジに平手をくらわした。
その場に響くような澄んだ音が、辺りの空気を震わせる…
「何すんだよ!」
たった一撃なのに痛そうにまっ赤に腫れた左頬を手で押さえて言う。
「あ〜、ビックリした。」
平手打ちをかましたと同時にロンジの腕の外へ出たジェルナは心臓の辺りをおさえながら、深呼吸をする。
「あのなぁ…オレはお前を助けて…」
そこまで言うと、またシンの矢がロンジの体をかすめ、飛んでいった。
「どいつもこいつも…」
ギェエエエエ
その矢も、しっかりと人魚に当たった。
「あぁ…もういい。早くここを出るぞ。」
そう言って、ロンジはジェルナを連れて走ろうとした。が、足を岩にはえている水草にすくわれ転倒する。
「くっそぉ…」
ジェルナを見ると、その顔には失笑…
「馬鹿じゃないの?」
心臓を貫くような厳しい一言…
このアマ…いつかぶっ殺す。
「いいから岸まで走れ、早く!」
怒りをこらえ、生きて戻ることを最優先させる。
「走れるわけないじゃん。こんなとこで、この靴で。」
そういって、サンダルを見せる。
その言葉で、とうとうプッツンいったようだ。いきなりジェルナを抱え、足場が悪いというのに走り出した。
「ば、バカ。何すんの!」
暴れはしないものの少し恥ずかしいようで、顔を赤くさせている。
「黙れ。」
いつもより低く、どすのきいた声でジェルナの言葉を遮る。目はいつもよりきつく、岸の方だけ見ていた。ジェルナは本能的に逆らってはいけないと感じた。
「待って。その辺りは深い…」
忠告しようと、ジェルナが言い終わる前にロンジは大きく跳躍した。六メートルほどの距離を岸までひとっ飛びで跳んだ。
大丈夫なの?この人…
そう不安に思いながらも落とされては困るのでしっかりとロンジに捕まっていた。
無事に湖を抜け、茂みに入るとロンジはそっと、抱きかかえていたジェルナを降ろした。
「…ありがと」
短く礼を言うとロンジの目はいつもの様子に戻り、照れたように顔を背けて少し早足で歩き出した。
少し行くとシンが見えた。もう一本矢を用意しているところだ。
シンを見つけると、ロンジは小走りで近づいていった。
「このアホ!」
ボカッと、一発グーで殴った。
「何する。」
不機嫌そうにシンはロンジの方を向いた。
「オレを殺す気か?馬鹿野郎!」
いきなりでいまいち何のことか分からないようだったが、あぁ!と思い出した様な素振りを見せた。
「思い出したか、このヤロー」
ロンジは怒りを込めて拳をぐっと握りしめている。
「お前、が、悪い。狙い、の、一直線、ギリギリ、いるから。」
ナルスに教わったのか、やっと少し文章になってきた言葉で説明をする。その姿がよっぽど腹が立つのか、ロンジの拳がさらにきつく握られた。
「…と、ともかく、逃げよ。相手は不死身だから。ね?」
何とかジェルナが仲裁に入り、二人は喧嘩を止めた。
後ろで水音がした。また触手がこちらを追いかけてきたようだ。
「し、しっつけーな。こいつら。」
思わず冷や汗が流れた。
「走れ!」
シンの言葉と共に慌てて三人は走り出した。
後ろから大量の触手が追いかけてくる。
途中、シンは後ろ向きでスキップのようにぴょんぴょんと跳びながら二人に遅れないように進みだした。
「何してんだお前…」
ロンジが聞くと、シンは弓を構え直して引いた。矢の先に光が集まる。やけに引きが長かった。
そして、矢を放つ。バシュッという変な音と共に、矢が飛んだ。
放った矢は、後ろに三角柱のような形になった光線を流しながら一直線に進む。
一本の矢で、あいつらを全部倒すなんて出来ないだろ。
そう思ったが、やはりシンは普通ではなかった。
矢先だけではなく、光に当たった触手もまるで焼かれるような音を立てて消えた。
「…うそだろぉ」
目の前に起きた、不可解な出来事に思わず足を止めてしまった。
そういえば、人魚も一本の矢で体の半分が吹き飛ばされていた。その理由がよく分かった気がする…
どうにしろ、オレは人間じゃない奴らと一緒にいるんだな…
そう思うと、急に疲れを感じた。
 
第9章  遺跡出発
「ロンジ!何ボーっとしてるの?」
後ろの方でジェルナが呼んでいる。見ると、そこはもう遺跡前だった。
なるほどな…それで矢を…
シンを見ると満面の笑みで――不器用なのかがんばって――手でピースマークを作っている。
入り口では、朝飯の用意が出来ていた。串で刺した焼き魚と、小さな卵の目玉焼き。卵はシンが見つけてきたとナルスが言った。
「なかなか二人が帰ってこないので心配になって。やっぱりシンに行ってもらってよかった様ですね。」
ナルスが、フフッと笑った。
「俺、いない、死んだ、だろ?」
焼き魚をモグモグと食べながら、生意気な事を言う。
この野郎…と握った拳に力が入る。
「こら。食べながらしゃべるのはお行儀が悪いでしょ!」
ナルスに注意され、ビクッとなるシン。どうやらナルスに反抗は出来ないらしい。
その様子を見て二人は思わず笑ってしまった。
「笑うな。」
恥ずかしそうに―――今度は口の中のものを全部飲みこんでから――呟いた。
朝食の後、ナルスが出発は昼すぎにしようと言った。馬車を連れてシンと水をくみに湖まで行くらしい。
「水は何よりも必要ですからね。」
そう言って朝食の後、二人はすぐに出発した。全員でいった方がよいのだろうが、ジェルナもロンジももう湖には近づきたくないと言ってきかなかった。
まぁ、当たり前ではあるが…
ロンジは一眠りしようと、今朝と同じ場所に寝転がった。
少しすると、近づいてくる足音が一つ聞こえた。
魔物か?
足音に警戒して、寝たふりを続けた。
ゆっくり手を伸ばし、ベルトに差したナイフを構える。ギリギリまで近づいてきたときに、のしかかって攻撃しようという考え。
足音でおよその距離を測る。後、三歩…
体が緊張してくる。
二歩…
ナイフを持つ手がじっとりとしてきた。
一歩…今だ!
近づいてきた生物を押し倒し、馬乗りの状態でたぶん首の辺りに値する場所にナイフを向ける。
……人?
「キャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア」
耳元で絶叫された…鼓膜が破れそうだ。
暗い場所に慣れた目が、相手の正体を見る。
「姫さん…?」
頭がパニックになりそうになる…
「変態変態変態変態変態変態変態変態!」
変態と連呼され思わず目が点になる。
「いい加減どかんかい!」
まともな(?)相手の言葉でハッとして、一瞬で頭の中がすっきりする。
やっと頭の中で状況を整理できた。
「うわわわわわわわわわわ…」
やっと自分がとんでもないことをしていることに気付き、慌てて起き上がる。
「な、何してんだよ…」
ロンジは慌てて落としてしまったナイフを拾い鞘にしまった。
心臓はまだばくばくと波打っている。
「それはこっちのセリフ!」
それもそうかと、普通に納得できてしまう自分に悲しくなる。
「せっかく人がその方の傷直してあげようと思ったのに…一度とならず、これで三度目。」
ジェルナはプウッとふくれて見せた。
指は肩の焼けたような傷を差している。朝の人魚の触手にやられた後だ。
「いらねぇよ、別にこのぐらい舐めときゃ治るって。」
そう言って、ロンジはまた寝ころんだ。
少しの沈黙…
「…ごめんね。」
小さな声で俯いているジェルナは悲しそうに言う。
空気がさらに重くなった…気がする。
「何が」
ロンジは体を起こし、ジェルナの方を見る。
涙。
俯いているジェルナの頬に一筋の涙が伝った。
「…何泣いてんだよ。」
涙を拭おうとロンジは手を伸ばした。
「泣いてない!」
少し叫びまじりの声でロンジの手を払い、自分の服の袖で涙をぬぐった。
「お嬢様ー ガルネさーん」
ふと、遠くからナルスの声が聞こえた。どうやら水を汲み終えて、戻ってきたようだ。
重い空気が一気にどこかへ吹っ飛び、ロンジはホッと胸を撫で下ろした。
ナルスがこちらに向かって歩いてきた。
「そろそろ出発しましょう。特に忘れ物はないですよね。」
それだけ言うと、ナルスは自分でもって来ていたのか、すぐそこに置いてあった小さな肩掛けの鞄を持ち遺跡の入り口の方へ向かった。
今回は感謝するよナルっさん…
心の中でぼやいてから、ロンジも出口に向かい歩き出した。
馬車の隣を馬に乗って進む。連れている馬が五頭以上あって良かったと改めて考えた。まぁ、無くても馬車に人が乗れるが…
「お嬢様。私たちが出ている間、魔物が入ってきたりしませんでしたか?」
後ろの方からナルスが心配そうに聞いた。
「うん、来なかったよ。」
…もっと恐いモノ(おおかみ)ならいたけどね。
思い出しただけで少し顔が赤くなる。
「当たり前。俺、結界、張った。魔物、入れない。」
その言葉を聞いて、先頭を行くロンジはシンの方を見た。
「そういう事は先に言えよ。無駄に緊張しちまったじゃねぇか。」
少しきつめの口調。そりゃあ、そうでしょうね…
「油断、大敵。普段、から、警戒。」
確かにその通りな気もするが、警戒しすぎると変な誤解を招きかねない気もする…
「疑心暗鬼って言葉、お前知ってるか?」
シンは知らない、と首を横に振る。
「用は、疑えば何もかもが自分の敵に見えてくるって話だ。お前が何も言わないから、俺は姫さんに刃物を突き付けちまったんだよ。」
本当にそんな理由なの?
ジェルナは疑いの目でロンジの方を見る。
「イヤ、ホントだって!」
少し焦りながら言うので、さらに疑いの目は周りに感染する。まぁ、疑いの内容は少し違うが…
「お嬢様に刃物を向けたんですか?」
ナルスが鋭い眼差しをロンジに向ける。
「だから、誤解だって。」
そう言うが、ナルスは止まらない。肩掛け鞄から小さなナイフを四本、右手の指に挟んで取り出して、投げた。
うち、三本はロンジの体をかすり、一本はロンジを乗せた馬に当たった。
「ロンジ!」
「うわぁぁぁ!」
ナイフが刺さり、痛みに馬が暴れロンジは落馬した。
シンは慌てて馬を降り、暴れる馬をなだめにかかる。
「いってぇ…何すんだよ!」
頭を押さえながら、ロンジは起き上がりナルスを睨む。
「問答無用!お嬢様に刃物を向けた罰です。」
その手にはきらりと光るナイフが両手に四本ずつしっかりと用意されている。
「ナルス。ストップ、ストップ!危ないから、ね?」
ジェルナがナルスを止めにはいった。
だが、ナルスは鋭い目つきでジェルナの方をむき直した。
「危ないからやっているんです。」
こ…こっわぁ…
「で、でも、わざと私に向けた訳じゃないし、私も傷つけられてないし。ね?」
ジェルナの言葉に、ナルスはうーんと考える素振りを見せた。
「仕方ありませんね。お嬢様がそこまで言うのなら、今回は見逃しましょう。」
そう言って、ナルスは構えていたナイフを肩掛け鞄の中にしまった。
その様子を見てジェルナはホッとため息をついた。
「そういえば、そろそろ抜けるでしょうね、樹海。」
ナルスは前を向き直して先頭にでた。
後ろで、半置いてけぼりにされたロンジが慌てて馬を走らせている。
前をむき直すと、光が見えた。それまでの木々の間からの光ではなく、遮る物が何もなく真っ直ぐに届いてくる太陽の光。やっと、城を囲んでいた樹海を抜けたのだ。
これが…外の世界…
樹海を抜けた所は丘の上。下を見下ろすと、見たこともないぐらい広い草原の広がる大地。そして、大きな塀と堀で二重に丸く囲まれた中に赤茶のレンガ屋根が並んでいる。あれも、一つの国だろう。
ロゼマナ城の建物とは違い、壁はどれも白く太陽の光を反射し、支えの柱や窓の枠となる木の部分だけが穏やかな薄茶色をしている。
「へぇ…こんなの、見たこともないぜ…」
ロンジが感心したように呟いた。
「さぁ、降りましょう。あの国なら少しは交流もありますし…」
ナルスはそう言うと、先頭に立って走り出した。
丘を下り、国を囲む堀にかかっている木造の橋の前まで来た。
橋の両端には二人の門番がいる。その他に門のそばに二人、二重で見張られている。
「どちらの者ですか?」
橋の門番は槍を交差させ、ナルスに止まるように言った。
「樹海より参りましたロゼマナ国の王であります。この度はこちらの国の王様に助けを求めに樹海を越え参りました。」
門番はその言葉に双眸を見開き、門の前で控える二人に急いで王に確認するようにと伝えた。
「申し訳ありませんが、少々そこの小屋で休んでいて下さい。王から返答がありましたらすぐにお呼びいたします。」
そう言って、木造の小屋のような建物を指差した。
「わかりました。」
ナルスは、一番先に向きを変え小屋の方へ進み出した。
小屋の中には、ふかふかのソファーが二つと低いテーブルがおいてあった。どうやら今のように尋ねてきた者を入れるか判断する際に待って貰うための部屋のようだ。
「なんで門番が四人もいたの?」
ジェルナの質問にロンジは呆れからか絶句した。
「ねぇってば。」
「あのなぁ…」
ロンジは一つため息をついてから仕方ない、と話しだした。
「もし考えて見ろよ、門の前で止めるつもりでも二人なら簡単に破れるだろ?間をくぐりゃそれですむからな。でも、四人ならその後ろでも防ぐことは出来るだろ?限界はあるが、少し構える時間もあるし。今みたいに一人が王に尋ねに行っても三人も残っている。明らかに強行突破は難しいだろ。」
なるほどと頷き自分の国のことを思い出す。
「でも、ロゼマナ国は二人だったよ。」
ロゼマナ城の門番の仕事といえば、門に寄ってくる魔物を払うだけだったという記憶もある。
「騎士隊がうろうろしていて、事に足りてたから良いんだろ?」
ロンジが適当な返答をしたとき、小屋の扉が開いた。
「面会の許可が出ました。どうぞお通り下さい。」
女中らしき人物が城の謁見室までの案内をする。
城の大きさはジェルナの国と良い勝負だが城下町の大きさは比べ物にならない。ロゼマナ国領と言えば城自体が一つの国というぐらい民家のない状態だが、ここは民家や教会、市場などが守備範囲内にある。
珍しい物ばかりでキョロキョロしていると、ロンジが田舎者じゃあるまいしとため息をついた。
「誰が田舎者よ!」
女中に聞かれないように小声で反抗した。
「お前しかいない。」
サラリと答えられたのがさらにムカツク。
「うるさいですよ二人とも。」
前を歩いていたナルスが声だけをこちらに向ける。その隣でシンがクスリと笑った。
へいへいと軽い返事をしてナルスに気付かれないようにロンジは笑うシンを殴った。
謁見の間のような部屋で女中にこの場で待っていて下さいと言われた。
少しすると、冠をかぶった金髪の男性がやってきた。
いきなり、前にいたナルス達三人が片膝をつき、頭を下げた。
「お久しゅうございます、ガダル陛下。ご機嫌麗しゅうことこの上なく…」
陛下というナルスの言葉を聞き、慌てて三人に習い頭を下げる。
男性には威厳が漂う…というわけでもないが彼が頭に乗せている物は王冠に違いないだろう。それにしても王にしては若すぎる気がする。まぁ、自分も言えた立場ではないが…
「堅苦しい挨拶は聞き飽きました…それより、お久しぶりですね、ナルスさん。」
ガダルは軽く声をかけた。
「そうでございますか。それは、失礼いたしました。」
ナルスは長ったらしい挨拶を途中で止めた。
「失礼って訳じゃないんだけどね。それより、その後ろの女の子が例の王様なの?」
ガダルの言葉に、へ?っとなるが、そうです。とナルスが答えた。
「どおりで僕が来ても頭を下げなかったわけだ。そりゃ、一国の王様が簡単に人に向かって頭下げないよね。」
ケラケラと笑いだした王を前に、ジェルナは悪寒を感じた。
ナルスがコホンと咳払いをして本題を切り出した。
「それより、恐れおおき事ながらそちらの方でも警戒していただきたいことがありまして。」
ガダルは笑うのを止めた。
「へぇ…僕に危険でも迫っているの?」
挑発するような笑みを浮かべる。その口元は耳の辺りまで裂けていきそうだ。
「…はい。もしこちらの方に緑の大きな帽子をかぶったジェルナ王ほどの少女が現れましたら、その子は…」
「魔物だと疑って、牢にでも閉じこめ、我々にお知らせ下さい。」
後ろからのいきなりの言葉に、ナルスは緊張した。ジェルナだ。
「ふぅん。君達に知らせたら良いんだね?」
「…はい。」
真剣な目と、少し震えるような声で答えた。
「わかったよ、捜してみよう。乳母と未来の妻の望みだ。今夜は泊まっていきなよ。」
…?
ジェルナは目を見開き、動けなくなってしまった。
「…今、なんと?」
「?…捜してみようと行ったのだが?」
「いえ、その後…」
「?…今夜は泊まって行きなさいと?」
「いえ、そのま…」
「ジェルナ王、少々疲れているのでしょう。昨夜はたいして眠れませんでしたから。」
ナルスが慌ててジェルナの言おうとしている言葉を遮るように割り込んできた。
「そうか。じゃあ、もうお休みになられる方が良いだろうね。城の部屋を二つお貸しいたしましょう。」
ガダルは女中を呼び、部屋へ案内するように言った。
 
第10章 悩み
部屋に入ると、ベッドに倒れ込んだ。 
…どういうこと?
いつからあの人の妻になるって決まったの?
って言うか、もう決まっているの?私の結婚相手…
自問自答しても答えが見つかるわけがない。それでも、ジェルナの頭の中ではしてはいられない状況であった。
え〜!?十七歳ってこれから恋愛とかする年齢じゃないの?
っていうかその辺は興味無いから良いんだけど…
じゃなくて、え――――――――――――――――――――――――!?
そこへ、やっとナルスが入ってきた。
「ナルス!」
ジェルナはすごい形相で飛びかかった。
「なっ、なんですか!?」
いきなり襟首を掴まれ、驚いた様子である。
「私とガダルとかいうあの王との間で何があるの?」
少しの間、ナルスは訳が分からなかったようだが、思い出したようにあっ!と叫んだ。
「婚約の話ですか?」
「そう!」
すると、少し考え込むような素振りを見せた。
「それはですね、確か五代目の王が……面倒なので以下略です。」
ジェルナに睨まれ、諦めた様子で話しだした。
「ロゼマナ国五代目の王様が、隣の国…つまり此処ですね。この国の第三王子の結婚式に呼ばれたのですが、その時に第二王女のメイリー様を気に入られたのです。ロゼマナ国は樹海の中ですし、商人に頼りっきりの生活ですよね。安定した商人のルートもほしかったので、王様はメイリー様を妃として迎えたいとおっしゃられました。メイリー様の御両親もロゼマナ国を吸収するつもりだったらしく、それにお答えました。そこで、可哀想だったのはメイリー様です。メイリー様にはもともと好きな方がおられました。彼女は思いを寄せる彼(ひと)にその胸に秘めていた思いをうち明けました。彼はメイリー様を連れて逃げようとしました。しかし、兵士に捕まり、拷問に合い…最後には死んでしまったそうです。それを聞いたメイリー様は…部屋で一人、服毒してお亡くなりになられました。」
「それと、私の婚約とどう関係があるのよ。」
怒りの混じった声で、ジェルナは言った。
「もう少し聞いて下さい。王様は悲しみに深く沈み、メイリー様の御両親は折角のロゼマナ国との関わりを失ってしまったので、二つの国の間には冷たい空気が立ちこめました。それから少し経った頃、メイリー様の御両親があまりに悲しむ王様を哀れに思い、未来に託そうと言い出しました。王様の元に女の子が産まれたとき、こちらの国の王子と婚約させようと言うお話でした。」
「…ちょっと待って、結局この国の王様達がロゼマナ国を自分の物にしようとしていただけじゃないの?」
「…その辺りはちょっと」
……
「とにかく、絶対イヤだからね!」
「そう言われましても…」
「今日初めてあった人と結婚?あり得ないよ!」
ジェルナはベッドに倒れ込んだ。
「もしかして、もう好きな方でもいらっしゃるのですか?」
!?
ドアの側にガダル王が立っていた。
「ノックしたんですけどね。反応がなかったので、入らせていただきました。ご無礼をお許し下さい。」
「……どの辺りからいたの?」
驚きと焦りでジェルナは固まっている。
「そうですね、“それと、私の婚約とどう関係があるのよ”ってとこぐらいですかね?」
一瞬で血の気が引いていくのを感じた。
「とりあえず少し早い気もしますが、式の予定でも話していこうと思ったのですが…この様子では諦めた方が良いですかね。」
「そうだな。姫さんがあんな様子じゃ。多分テコでもうごかねぇぜ。」
ガダルの後ろから、ロンジが顔を出した。
「それより、ガダルさんよぉ。腹減ったんだけどなんかない?」
なんか、かなりフレンドリーに話し込んでるよ…タメ口だよ?
「そうですね。一応簡単な用意はできているようですし。時間はかなり早いですけど…まぁいいでしょう。どうぞ。」
「やりぃ!先行くぞ。シン!」
「待て。」
「行くって、どこか知っているのですか!?」
三人は走っていってしまった。
…なんであんなに仲がいいの?そして、元気なの?
少しの喪失感と大きな脱力感とで、ジェルナは夕飯を食べる気になれなかった。
少しだけ、パンを流し込むと誰よりも早く部屋に戻った。
…いい人っぽいけど…どうなんだろ。
ごろりとベッドに仰向けに寝転がる。真っ白な壁にさりげない彫刻。センスは悪くない。どちらかというと落ち着いたジェルナの好むような空間。
…普通の人なら王様と結婚なんて幸せと思うのかな?国もたくさんの財産も自分の物同然だもんね。
っていうより、もともと私も王なんだけど。一応…
ごろごろと寝返りを打つ。悩むときの癖だ。
「姫様。開けて貰えますか?」
ノックに続き、扉の向こうからシンの声が聞こえた。
扉を開けると、シンはすでに銀髪の姿になっていた。どうやら、夕飯が終わってから日が暮れるまでおよそ一時間近く、ずっと悩んでいたようだ。
「あれ?ナルスは?」
廊下を見渡すが,ナルスやロンジ姿は見えない。
「ナルスさんは、こちらの王様や女中さん達と思い出話に花を咲かせています。あの様子だと、もっとかかると思います。」
そう言えば、ガダル王はナルスのことを乳母と言っていた。
「それより、なんでこの部屋に来たの?」
夕食前には、シンはロンジと一緒の部屋にいたはず。
「追い出されました。女といる気はないって。ここで寝てもよろしいでしょうか。」
女っていうのかシンの(この)場合…こういうのって潔癖性って言うのかな?
「別に良いけど、ベッドが足りないよ。」
「その辺は心配しないでください。どこでも寝られますから。」
そういうと、シンはロンジの部屋から運んできた毛布にくるまりドアの近くにの壁にもたれた。
…よっぽど疲れていたのかそれから十分ほどで安らかな寝息を立てて眠ってしまった。
「もう寝よっか…」
悩んでいても無駄だと気付いた、ジェルナはベッドに潜り込んだ。
この国に来て、もう四日たった。初めは一日泊まらせて貰って、すぐに出発になるのだろうと思っていたのだが…
「どこへ行くんだ?」
「もう少し待って下さいって。」
夜明け前。馬車で国を出て、どうやら塔のような場所に向かって進んでいるようだ。
門のような場所で馬車を降りると、ガダル王が先を行き、道案内をする。その後ろをロンジ、ジェルナ、最後にシンと続く。
塔の前まで来た。ガダルが塔について楽しそうに説明しながら、中に入っていく。なかなか入り込んでいる塔で、慣れないと迷いそうだ。
「この塔はですね、有名な石工の集まりによって造られました。遊びが好きな人達でしてね、たくさんの仕掛けまで作ってくれました。例えば…これ…ですかね。」
そう言うと、ガダルは壁に手を当てた。
すると、丈夫そうな壁についたはずのガダルの手が沈んだ。と同時に、頭の上で金属がぶつかるような音がした。
危険を感じたのか、ロンジはジェルナを倒し、自分も頭を下げた。
瞬間、ジェルナ達の頭上に五本ほどの剣が降りてきた。
「ね、面白いでしょう?」
「俺らを殺す気か!お前は。」
ガダル王は高らかに笑った。
「避けてくれると思っていましたよ。それに、見てくださいよ。」
ガダルは、降りてきた剣を持ち、それで自分の腕を切った。
「何してんだよ!お前。死ぬ気か?」
「やだなぁ…、ちゃんと見てくださいよ。」
焦った様子のロンジ達に向かい、先ほど切った自分の腕を見せた…
つながっている…
「傷…無い?」
シンがぽかんと口を開けている。
「何だ、ぼんくら刀が並べてあるだけか…」
その様子を見てまたガダルは高らかに笑った。
「言ったでしょう?遊び心の塊だと。」
そうしているうちに、ガダルが立ち止まった。塔のてっぺんだ。
「眠いところ起こしてすみませんでしたね。これを見て貰おうと思いまして…」
ガダルが示す先には…赤い太陽―――――夜明けだ。少しずつ辺りが明るくなっていく。
程良く差し込む光が辺りを暗くもなく明るくもなく、ぼんやりと色を見せる。それまで藍色だった世界が、朱く、それでいて元の色を取り戻しつつある。
ジェルナは見とれていた。日の出は見たことがあると言えばあるのだが、樹海中で木に遮られた光しか見たことがない。初めてみた広い場所を照らす日の出を前に、ジェルナは夜と朝の「狭間の世界」を見た気になった。
「ガダル。確かに綺麗だが、こっちもスゲーぜ。」
後ろからロンジの声がした。体を丸め、光のベールにくるまれたシンを指差している。
…変化だ。徐々にその長い髪が銀から茶へと変わっていく。
見る間に、昼の姿となった。
「おぉ…」
シンの変化を見て、ガダルは感嘆の声をもらした。
変化を終えたシンは、自分に向けられたロンジの指に気付いたようだ。
「俺、見せ物、違う。」
そう言うとロンジの指をぐっと握った。
「痛っ!悪かった、悪かったから放せ。」
余程痛かったのか、ロンジは放された後も握られた指をもう片方の手で押さえていた。
「何か気になっていたのですよね。来たときは三人だったのに、いつの間にか銀髪の少女が城の…あなた達の部屋にいたのですから。初めは泥棒かと思い…失礼いたしました。」
「気、するな。」
そう言えば出発の前、シンがどこかに消えていることに気付いてガダルに尋ねてみると、驚いた様子で地下室に走っていった。その様子では、シンは何も言わなかったけど捕まっていたみたいだね…
日はあっという間に昇りきってしまった。
成り行きで朝ご飯をその場所で食べる事になった。
当たり前といえば当たり前だが、塔は高い。緑のでっぱり――――――二つの、山とかいう場所の間に今まで見たことがない、向こう岸が見えない大きな湖が見えた。
「山ですか?あの辺りの山は、魔物の数は少ないながらも山賊が出るとかという噂が出ているので行くのはやめておいた方がいいと思いますが?」
「山賊?」
聞き慣れない言葉に、聞き返してみる。
「え…知らないのですか?…えっとですね、いわゆる盗人です。」
馬鹿にされているのかガダルの笑っている顔が妙に勘に障る。
「じゃ、向こうの湖は?」
「湖…ですか?」
ジェルナが指差す方を見るがガダルは首をかしげている。
「見えないの?ほら、あの二つの山とかいうところの間に見える。」
その言葉を聞いて、ガダルは腹を抱えて笑い出した。
「湖…ですか。確かに、大きな湖に、見えなくもないですね。」
まだ笑いが止まらないらしく、涙目になっている。
「…姫さん。『海』ぐらい本にも書いてあったぜ。」
呆れた様子のロンジが助け船…のようなものを出す。
「う、海?」
聞き返した後、ジェルナはもう一度窓の外を見た。
「あれが…海…」
海、今自分の立つ陸地よりも遥かに大きな湖。海を越えると、未だわかっていない陸地を見つけられる事があるらしい。
ジェルナにとって、海は異世界への入り口…世界と世界の間にある通路に思えた。
「海の手前に町があるでしょう?あそこから他の大陸へ船の定期便が出ていますよ。」
「船?」
笑われるのを覚悟で聞き返したが、今度は笑われなかった。ガダルは遠い目で海の果てを見つめている。
「乗り物ですよ。水に浮かぶのです。それに乗れば、水の上を移動できるのです。」
「水の上を進むの?」
自分の胸の中に、モヤモヤとしたような興奮が渦巻き始める。
船とかいうものに乗ったら、もっともっと違う場所に行けるのかもしれない…
ジェルナは生まれつき強い好奇心がうずいているのを感じた。
「定期便って…」
「定期便とは決まった時間、決まった場所に行き来する船のことです。」
ジェルナが尋ねようとしたが、何を聞きたいのか察したのか先にガダルは答えた。
「決まった時間…か」
「ええ、比較的安定しているので、あの町では海を渡ってくる珍しい品が安く買えますよ。」
「町があるの?」
ガダルは勿論というように頷いた。
「港や海に面している国は栄えるものです。ここからでもさまざまな建物の屋根が見えるでしょう。」
確かにガダルの言うとおり、赤煉瓦や木材の屋根が微かに見える。
「よし、この国を出発したら次はあそこね!」
シンは力強く頷いたが、ロンジはガダルと顔を合わせ、やれやれというような素振りを見せた。
 
 
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