虹の待つ森へ
第1章 王に求められる事
日も大分昇った頃、塔からの景色に別れを告げ、城へと戻る。
「いやぁ…なかなか楽しかったですよあなた方の反応。」
馬車の中で、思い出したのかガダルはケラケラ笑いだした。
「思い出し笑いなんかしてっと、怪しまれるぜ。」
「それは……不本意ですね。」
ロンジの言葉にフッと、笑うのをやめた。
「その、変える、一瞬、怪しい…」
シンがボソリと呟く。
「みなさん、酷いですね。」
再度、ガダルはケラケラと笑い始めた。
城に戻り、数時間が経った。
部屋にいると、バタバタとなにか大勢が走るような音が聞こえた。叫び声も聞こえるが、騒がしすぎて何を言っているのかさっぱりわからない。
廊下に出ると、城の中全員ではないかと思われる数の臣下達が城の出口めがけて走っている。
「オイ、何かあったのか?」
ロンジが団体の中の一人を捕まえて問いた。
「魔物だ。どうやったのか知らんが、城の中に侵入したらしい。」
それだけ言うと、その人はロンジの手を振り払い慌てて逃げた。
「魔物…」
「行ってみよう!」
「あ、オイ…待てって。」
好奇心に駆られたジェルナをロンジ達は慌てて追いかけた。
「行くって、どこか分かってんのかよ!」
ジェルナはピタリと足を止めた。
「…分からない。」
呆れてロンジはため息をついた。
「逆走すればどこだか見当は付きますよ。」
ナルスの言葉に、シンがいち早く走り始めた。
「お、オイ…ナルっさん…そんなこと言うなよ…あいつら、止められねぇの一番知ってるだろうが…」
「分かりきっていますわ。」
そういうとナルスまで走り出した。
呆然と立ちつくすが、三人だけでは不安なのは分かりきっている。仕方なくロンジも走り始めた。
さすがにここまで走ると、向こうから来る人もいなくなり走りやすくなった。逆走するのもなかなか楽じゃないと改めて感じる。
シンがピタリと止まり、片手を広げ後ろを歩くジェルナ達を止めた。
「なに?」
いきなり止まったことに戸惑ったジェルナがシンに問う。
「怪しい。」
どこか警戒するような目をしている。
「それは…怪しいでしょ。魔物だもん。」
「違う…気付け。禍々しい…」
辺りを見回す。何かの様子を探っているのだろうか。
「ここ…」
シンが一つの扉に手を当てた。
謁見室…
「なにかおかしいの?」
ジェルナが聞こうとするが、シンは真剣な目つきだ。
「おかしいどころじゃないぜ、姫さん。これは…」
ロンジが何かに気付いたようだ。
続きを聞こうともせず、シンが扉を開けようとした。
「伏せろ!」
扉が開くのと同時に、何に気付いたのかロンジが叫ぶ。
ロンジの言葉に反応して頭を下げると、一瞬なにか黒い物が頭の上をかすめた気がした。
振り返ってみると、壁に黒紫の液体がベッタリと付いている。
な…何?
触れようと近づくと、ロンジがその手をつかみ、止めた。
「止めとけ、毒だ。」
向こうを見ろと謁見室の中を指差され、そちらに視線を移す。
そ、そんな…まさか…
扉を挟み、一直線上に見覚えのある姿があった。
「お久しぶりね。こんなところで出会うなんて、思いもしなかったわ。」
「う…うそ……」
全身の力が入らなくなる。
床に転がるのは切り刻まれた臣下と紫色の顔をした二人の女中。真っ白だった壁は真紅と紫で化粧をしている。その真ん中で手を先ほどの壁のように真っ黒に汚し、まさにガダルを襲おうとしているその姿はジェルナにとって死神であり、自分の罪をも思わせる。
「シェラフ…」
名を呼ぶと、笑顔が返ってきた。
「あたしの名前を呼ぶ元気がおありのようね。」
クスクスと笑う姿は、余裕と狂気を見せる。
「た、助けてくれ…兵はどうした!!今こそ活躍の時だぞ!!大臣はどこだ!」
ガダルは脅されているのだろうか、それとも恐怖で体が動かないのだろうか。逃げようとしない。
「ご大層ねぇ…三人しか殺していないって言うのに」
シェラフは見下したような目でガダルを見た。
「オイ、魔物。傷付けたのはその三人だけか?」
すくむ自分の足の後ろで、低い声がした―――
ロンジだ。
「…それを聞いてどうするわけ?」
「いんや、別に…」
興味ねぇんだけどと続きそうな言い方。
「ふん、そうよ。私がやったのは三人だけ。」
その言葉を聞いて、ジェルナはロンジが笑みを浮かべたように見えた。
「へぇ…。ガダルさんよぉ、王を名乗ることぐらい悪戯だらけのガキだろうが老いぼれの爺だろうが誰だって出来るんだぜ?」
ロンジは腕を組んだ状態で、堂々とそしてゆっくり、謁見室の中へ歩いて行く。
「だがな、名乗るだけの王じゃなくて、本物の王には信頼できる奴が必要なのさ。例えば…お前のために命もかけてくれそうな奴とか。・・・特に、今みたいな時にな。」
そこまで言うと、ロンジはシェラフに向かい走りだした。
意外な行動に、シェラフは驚いた様子を見せながら、壁に付いたような紫色の液体をロンジに向けて連射する。
シェラフの攻撃を避けながら、ロンジは近づいて行き、シェラフを蹴り飛ばした。
「な…」
廊下で見ていた三人は思わず絶句した。
ガダルの前に立つとロンジはジッと、動けないガダルを見降ろした。
「立派な剣だな。俺のは役に立ちそうにないし。借りるぞ。」
「そ、それは…」
ガダルの言葉を遮り、腰のベルトにさされていた剣を鞘から抜くと、刀身を見つめた。
「へぇ…。なんか憑いてんな。」
ロンジは剣をかまえた。長いのかそれとも単純に重いのか、剣先が下がっているようにも思える。
「人間風情が、嘗めやがって…」
先ほどの蹴りで口の中を切ったのかシェラフは血の塊を吐くと、次の攻撃に備えて構えた。
「傷ってのは不思議な物でな。思いが影響してくるんだ。特に、こんな妖刀を使うと。な。」
緑に光る風が起こった。ロンジを囲むような不自然な風。風の中に一瞬だけ・・・祭りで使われる鬼神の象徴である仮面と似たそれこそ鬼神そのもののようなものが見えた。
ロンジも先ほど少し重そうにしていたのに、今は剣先も上がり普段と変わらない構え。
「玩具持って、髪の毛逆立てちゃって。そんな事しても、ちっとも恐くなんて無いわね。」
すかした様子でそれだけ言った後、シェラフは狼のように大きく吠えた。同時に何かが二つ、近くの窓を割って入って来た。
「何…?」
入って来た何かはシェラフの両隣に控えた。それは、カラスのような漆黒の翼を持つ真っ白な山羊のような生物。角の鋭さと生命力で恐れられているノワール・ゴートと呼ばれる魔物…
「あなた達を殺すのは最後って言ったでしょ?ま、足止めぐらいはして貰いたいものね。」
シェラフは二匹の頭を撫でた後、行けと命令した。
それと同時にすごい速さで山羊達は襲ってくる。
「ウフフ!頑張ってね。」
どちらに向けられた言葉かは分からないが、シェラフはそう言うと割られた窓から外へ出た。
シンが逃げようとするシェラフに向かい矢を打つ。が、その光は乱入してきた山羊の漆黒の翼により払い落とされてしまう。
「闇、力…強すぎる。照らせない…」
翼に対する言葉なのか、シンは呆然と呟く。
そう言えば、聞いたことがある。ノワール・ゴートの翼は並の光をもろともしない強い闇の塊だと。
「ロンジ!羽根を切り落として!」
「分かってらい!」
分かっているとは言うが、二匹を相手に襲いかかってくる角から逃げるのに精一杯なようだ。
「一瞬でいいから、こいつらの気を惹いてくれないか!」
そう言われても、今のところ為す術がない。
「お嬢様、光の術は身につけておりますか?」
「光…?」
光の術って…何?
「無理、姫様、光、弱い」
視線を山羊の方に向けたままシンが淡々と言う。
失礼な!と言い返したいところだが、最もそうなのかもしれない。
「仕方ありませんね。」
ナルスは、鞄から投げナイフを取り出した。
「あんなに動いていますと、あたる確率は低いのですが…」
ナルスは構えと投げるのを一瞬で済ませた。次の瞬間、二頭のうち一頭の叫び声が聞こえた。
見えなかった…?
ナイフのあまりの速さに、目が追いついていかなかった。
もう一度、叫びが聞こえた。今度は、二頭から…
ロンジが角を切り落としたようだ。だが、安心は出来ない。すぐに翼を切らないと。
ノワール・ゴートの生命力は再生能力の強さにある。また角が生えると厄介だ。だが、翼を切り落とすのはそれほど簡単なことでもなさそうだ。山羊も賢いらしく、空を飛び始めた。角が生え替わるまで時間を稼ごうとしているのだろう。いくらロンジが跳躍力にすぐれているとしても、謁見室の天井は高い。山羊の足に触るか触らないかまでしか跳ぶことが出来ない。
しかし、いつまで経っても角が生えてこない。不思議に思ったのか、山羊は動き回るのをやめ、空中で制止した。
「今頃気付くなんて遅えんだよ。」
言ったが早いか、ロンジは壁際の飾り棚を足場に三段跳びで、山羊に斬りかかった。
一頭が片翼を無くし、落ちた。
落ちた山羊は恨めしそうに、近づいてくるロンジを睨む。
「相手とは・・・理解できて初めて倒せる存在だ。」
フッと笑うと、ロンジは山羊の残った片翼を切り落とした。
「…シン、後頼むわ。」
数秒間、翼を無くした山羊を見下ろした後、山羊の足をつかみ、こちらに向かって投げてきた。それに向かいシンが矢を放つ。
いつか見たようにシンの矢は光を放つ。光に当たった山羊は跡形もなく焼き消えてしまった。
「さぁて、次はお前だ。」
ロンジの嘲笑に対し空中にいる山羊は、恐れた様子もなく一直線に向かってきた。蹄で攻撃をする気だ。
バシュ
風を切る音と共に光がロンジの脇を抜け、山羊の腹にあたった。どうやら急の攻撃に反応が出来なかったようだ。
光に当たると、山羊は翼だけを残し欠片もなく消えてしまった。
「…邪魔しやがって。」
風がやみ、小さな声で呟いてその翼を拾ってから、こちらを振り返り、ツカツカと歩いてきた。
「助けた、だけ。」
そう言うシンに、ロンジは拳で殴った。
「お前はいっつもそう言うけど、俺はいつも危ない目にあってんだよ!憶えてるか?お前が矢を打つときはいつも俺にあたるかあたらないかの距離だぜ?」
「大丈夫、信用、しろ。」
「出来ないな。」
二人が火花を散らしそうなほど睨み合う。
「…あ、あのさ。」
ロンジの後ろの方から遠慮がちな声が聞こえた。ガダルだ。
ゆっくり立ち上がってこちらに向かってくる。
「どうも…助けて貰っちゃったようだね…」
「別に…」
照れたような様子で、ロンジはガダルから顔を背けた。
「お礼…したいんだけど、その剣…貰ってくれないかい?」
「は?」
ガダルは鞘の付いたベルトをはずし、ロンジに手渡した。
「妖刀って気色悪いかもしれないけど、君なら僕より上手に扱ってくれそうだし。」
ロンジは、ベルトをジッと見つめた。
「…くれるんだったら貰うが、一体何が憑いているんだ?」
ガダルは考える素振りを見せた。
「ええっと…確か、僕の曾お爺さんの曾お婆さんの伯父です。」
「…いらねぇー」
顔をしかめて、思いっきりイヤそうに言う。
「そんな!」
「何故、そいつ、剣、憑く?」
ショックを受けているガダルにシンが慰めるつもりなのか、それとも純粋な質問なのか、声をかけた。
「えぇ…伯父は名のある立派な騎士なのです。」
その言葉に、もう一度ロンジは妖刀の刀身を眺め始めた。
「騎士の憑く剣は、誇り高き馬のように使い手を選ぶことをご存じですね。」
あぁ、とロンジは頷いた。
「人が剣に憑く時点で、そいつは余程強い意志を持っていたのだろうな。よく知ってる。」
はい、とガダルも合わせた。
「伯父さんは僕を主と認めてくれなかったようです。誰も抜くことが出来ない剣で有名でしたから抜けないのが普通だと思っていたんですが…」
「それをあっさりロンジさんが抜いてしまったと?」
「はい…」
ナルスの言葉に、ガダルは肩を落とした様子で俯いていた。
ロンジは俯くガダルから鞘を受け取った。
「じゃぁ、貰ってやる。…ただし」
ガダルが顔を上げたところで、ロンジは笑みを浮かべる。
「お前がこれを抜けるようになるまでな。」
そう言って、剣を鞘に戻した。
「換わりにこれを預かっててくれ。ま、剣なんて一本あれば十分だ。」
ロンジは背中に背負っていた剣をガダルに渡した。
二頭の馬に牽かれる馬車が、国の門を出た。周りを歩く人はいない。
ゆっくりと揺られながら、馬達の手綱を取るのは青髪の青年。その隣には赤がかった茶髪の少女がちょこんと遠慮がちに座っている。ロンジとジェルナだ。
ナルスとシンは馬車の中で何か話している。
「…そう言えば、どうして妖刀なんか出来るの?」
二人はずっと黙っていたが、いきなりジェルナが口を開いた。
「そりゃ、いろいろあるさ。でも、ほとんどがその剣に対する執着心から出来る。」
ふうん、と返すと、ジェルナは前をむき直した。
「別に剣だけじゃない。思い出を持つのは人だけじゃなく物も同じ…」
ロンジはずっと、真っ直ぐ前を向いている。運転手にあたるのだから当然だが、ジェルナには少し寂しく感じた。
「…何か、変だぞ。姫さん。」
首を落としていると、いきなり声をかけられた。
「…まさか、ガダルのことが心残りだったりするのか?」
意地悪めいた目で、こちらを見る。
「ま、まさか…」
慌てて目をそらした。
あの後、シェラフは何も手に掛けず逃げたようだ。出発が決まったときにガダルは準備を精一杯手伝ってくれた。馬も高値で買ってもらった。最後に「いつでも協力します。機会があればよって下さい。…また僕が成長したら改めて婚約をさせて貰いますね。」と言い残し、ジェルナ達を見送ったのだ。
だからといって、ガダルが気になるわけではない。…はずだ。
「それにしても、何か元気ないな。」
相手の言葉に静かに頷く。
「ロンジさ、シェラフと戦ったとき【本物の王】について言ってくれたよね…私はちゃんとそうできていたのかなって…」
自分も考えさせられたあの言葉はしっかりと、まだ耳に残っている。
「あぁ、あれ。…あんなの…出鱈目だ。」
「へ?」
「だから、嘘だ。」
目が点になる。
「だってよ、聞いた話によると大体治安のいい国は不満があったりするけど隠しているって奴が多いんだよな。護る人って王に一応信頼されているだろ?そいつに不満があったらたまったもんじゃない。国は一日で滅びるぞ。」
「…滅びたじゃん。」
ジェルナの言葉に、ロンジは苦虫をかみつぶしたような顔になる。
「…あれは、別だ。相手が桁違いだし。第一、助けに行ってやったじゃねえか。」
そういえば、ロンジとシンは助けに来てくれたっけ。国立祭じゃなかったらもっといてくれたかな…
「ま、そう言うところには時々毒を入れると、案外まとまる物らしいし。」
毒…ですか。
「ま、これでガダルも考えを改めるだろうし、それについてガダルが家臣に何か言えば、家臣も位を取り上げられるのを恐れて行動するだろうな。」
「…それでいいの?」
ロンジはカラカラと笑った。
「国なんてそんな物だろ。」
 
第2章 街
港町…
ガダルに言われ、山を大きく迂回してきたので思ったよりも長旅であった。
早いほうがいいか、盗賊に会わない方がいいか、どちらがいいと聞かれるとなかなか迷うだろう。だが、旅に時間の制限はないのでやはり、安全を優先した。確実に安全を保証できるというわけでもなさそうだが…まあ、無事つけたのだから文句は言えない。
話し声が話し声で消える街。その名にふさわしく市場には活気があふれていた。
「…ガダルに聞いたときはどんな通称かと思えば、本当にそうだったなんてな。」
騒がしい様子を見ていると、自分は何もしていなくとも疲れてくる。
馬車を牽きながら市場を進んでいく。手綱牽きはナルスだ。その隣にはシンがいる。
ジェルナは好奇心からか店先に並ぶ物を順に見て回る。そして、何故かロンジがそのお目付役となってしまった。
なんで俺ばっかこんな役…
心の中でぼやくが口には出すことが出来ない。理由なんてさらに言えない…
ナルスが恐いからだなんて…
通りの両側に店が並ぶ。魚介・青果をはじめ、見たことのないようなものが並んでいる。食料品も多いが、金属器や木の作品・紙とロゼマナ国では手に入れにくく貴重品とされていた物が比較的安く売られている。
「すっご―――――――い。」
ジェルナは目を丸くさせ、店主に向かいこれは何?あれは?どう使うの?を連発している。
すっげぇ勢いだな…
ロンジはその様子に呆れを通り越して感心していた。
「おい、そんなに先へ行くなって。」
うっかりして、ジェルナとはぐれそうになった。
ここではぐれたりしたらナルっさんに殺される…
慌てて追いつこうと走り出す。
トンッ
すれ違う男性と肩があたった。
「あ、わるい。」
軽く頭を下げる。
「…」
「どうかしたか?」
相手は驚いた様子でロンジの顔を見ていた。
「まさか、お前……マイドール!!
男性は、ロンジを指差した後いきなり飛びついてきた。
ギリギリのところでかわす。勢い余った男性が転びかけた。
男性の思わぬ行動に焦った。
「だ、誰だよ…」
「非道いな、俺の事忘れちゃった?」
ゆっくりとふり向いた男性はへらへらと笑っている。
「人違いじゃないのか?」
「いいや違うね、マイドール。君のような青髪は他に見たこと無い。」
一瞬で相手の目が真剣な眼差しに換わる。その表情を見て、古い記憶が頭の中に呼び起こされた。
「…マイツ、なのか?」
「ほら!憶えてんじゃん!!」
男性はまた笑い出した。
しかし、ロンジにとってマイツは名前だけの存在。ロンジの記憶の中にはその名前と一枚の写真でしか存在しなかった。憶えていると言えばいるが、憶えていないと言えばいない。
その時、大きな何かがマイツの後ろに影を作った。二頭の馬に牽かれる馬車。手綱をひくのは…ナルス。しまった!
「ロンジさん、お嬢様の姿が見えないのですが…」
思わず顔がひきつった。
「す、すんませんでした!」
きびすを返し、後ろを向き直すと慌てて走り出す。
「もしや、見失ったのですね!!」
声にいいようもない恐ろしさを感じる。走りながらおそるおそる振り返ると…やはり、準備されていた。
「こんなところでンなもん投げんな〜」
叫ぶが、絶対に聞かないことぐらい分かっている。すぐ横で、風を切る音が鳴った。
やりやがったな…あのオバン。
やっとの事でジェルナを見つけ、街の入り口に止められていた馬車の近くまで戻ってきた。
「どうしたの?」
「…何が。」
「顔色悪いよ?足も、進んでないし…」
先ほどから一歩も動けていない…だが、こいつにも理由なんて絶対に言えない。
「全部お前のせいだよ!!」
怒鳴ると、どこかスッキリしてもう何も恐くなくなった…気がした。
なんとか、馬車に向かって歩き出した。
「何で怒るの?」
首をかしげながら、ジェルナはロンジを追いかけた。
「おかえり、なさい。」
シンが馬車の前で出迎える。シンはロンジの方を見ると吹き出した。
その様子がかなり気に障り、一発殴ってから中に入った。
「遅くなりましたっと。」
「お帰りなさいませ。」
「おかえり、マイッドォール!!」
声を聞いたとき、条件反射で身を翻す。思った通り飛びついてきたらしく、勢い余って後ろにいたジェルナの前まで滑っていった…
何故、その声の主がここにいるんだ?
「誰…?」
足下に倒れるマイツに向かいジェルナは何これ…と言いたそうに指をさす。
「えっと…よくわかんねぇ。」
マイツはロンジに置いて行かれた後、何故かナルスと話し込んでいたらしい…
「んなら、改めて初めまして、マイティ・ポンバートだ。昔、ロゼマナ国にいたんだが…あんたは?」
「え、ええ…ジェルナです。」
遠慮がちにと言うより、相手に対し退いたような状態で答える。
それを聞くとマイツは一瞬双眸を見開き、ジッとジェルナの姿を見た。
「あの…何か?」
「いや、これがあのジェルナ様かと…」
マイツは首をかしげた。
…どのジェルナ様だ?
「あの…何のことでしょう…」
ジェルナにも思い当たることがないようだ。
「あれだよ、十年くらい前の戦争。俺もあの時は兵士だった。ま、反乱側だったけど。」
反乱軍…兵士…ポンバート…そう言えばあいつは…
「ま、この傷を見て思い出しただけだけど。」
そう言ってマイツは指で右頬を傷付けるマネをした。
「俺の…“相棒”だったっけ…」
ロンジは静かに呟いた。やっと写真の中の人物が過去の記憶の中で動き出した。
「何を今さら忘れていたかのように。」
「いや、実際忘れていた。」
その言葉にマイツは額に手を当てた。
「非道いな、マイドール。まぁ、仕事もそんなに無かったし、相棒って言うよりかは遊び相手だったか?」
一緒に行動をしていたのは憶えている。だが、一緒に戦った覚えは微塵もない。それこそチャンバラごっこぐらいだろう。
「あのころは可愛かったよ…俺の言うこと何でも聞いてくれてさ…」
うんうんと自分で頷きながら一人で回想に浸っている。
…危ないな…こいつ
自分の記憶の方は箱から出てくる鎖のように一つが出てくると沢山のものが出てきた。マイツについても大分思い出してきた。一人で考えて、一人で突っ走っていって周りを振り回す。それこそ、ジェルナのような奴だったと思う。
戦争…反乱…
その二つについても色々出てきた…
「…外に出てくる。」
「何だよ。これから昔話をしようとしてんのに…」
馬車の外に出ようとするロンジのズボンをつかみ、止めた。
「昔話はいらねぇよ。海ってのを見てみたいんだ、明るいうちにな…」
関わるのが面倒だと言わんばかりに、ズボンを掴むマイツの手を振り払い外に出ようとした。
「街の中に歓楽街があるぞ。酒場の横を入っていったとこぐらいだ。今から行ったら丁度いい時間だろ?」
へらへらと笑うマイツの顔を妙に殴りたくなった。
「誰が行くか。」
ふり向いて、そう言うと港に向かい歩き始めた。
「相変わらずかぁ…やっぱ、あいつらしいな。」
マイティさんの話ではロンジは昔、かなりのあわてん坊だったらしい。早とちりをして色んなミスを犯しみんなに笑われていたそうだ。
今の様子からは想像できない様な気がするが、言われてみれば思い当たることがいくつか出てきた。
「あいつな、戦名を貰ってんだ。」
「戦名?」
聞き返すとあーっと考える素振りを見せる。
「ほら、あるだろ。戦場で目立つ人に付く名前。馬鹿な例で言うと『戦場の紅いバラ』みたいな奴。」
微妙な例を挙げる。それがまたジェルナのツボにはまった。ジェルナはこう言うのが大好きで、始まってからずっとマイツの話にのめり込んでいった。
「それがよ、あいつの場合『火の中の青い鳥』っての。」
「なぜ、そんな名が付いたんですか?」
マイツはクククと笑い出した。
「青い鳥の話って知ってるか?」
「幸福を呼ぶ奴?」
そう、とマイツは笑いながら頷く。
「あいつが寝ている場所はいつも火付けされてんの。」
火付け…
「大丈夫だったの?」
「そりゃ、もう。無事じゃなかったらあいつ今いねぇし。」
それもそうかと言われて気付く。
「あいつが寝ていると、火付けが来るんだけど、そいつは見張りに捕まっちまうの。」
「それで?」
「寝床は全焼なんだけど、全員無事だし捕虜も出来ちゃうって話。勿論、ガキのロンジは寝たまんま。」
マイツは大爆笑している。シンを見るとクスクス笑っていた。
「それで、火の中の青い鳥…」
自分も口元が笑っていたのに気付いた。
「笑えるだろ?」
馬車の中が笑い声で満たされた。
ある程度笑った後で、マイツはいきなり笑うのをやめた。
「…そういや、もう一個あったな」
どこか真剣な目をしている。
「なにが?」
自分も笑うのをやめて聞いた。
「戦名。こっちは恐れられた名だ。」
ロンジが…恐れられていた…?
自然と興味をそそられる。
「『残酷な蒼の神』」
とても、深く静かな声。
「どういう…由来があるの?」
少し間を空けて小さく口を開いた。
「…とりあえず残酷なんだ。最期まで…死で罪を償わせない。痛み…苦しみ…生きることで罪を償わせる。」
「償い…」
重く静かな空気。
「相手を殺さない。代わりに強い恐怖を味わせるのさ。」
予想しなかった言葉達。強い恐怖を与える…
「今は殺さないが、いつでもお前を殺せるという意思表示。あいつに捕まった奴はどいつも目が死んでいた。」
マイツは遠い目をしている。
「あれはまだ夢に出てくることがある。迷惑な話だ。」
ハハハと声は笑っているが、手で覆われた顔は笑っていない。
よっぽど、恐ろしいものを見たの?
そう言いたかったが声に出せなかった。
「あいつは天才だよ。誰よりも力の使い方を知っている。蒼い神ってのは『髪』と『神』をかけてるだけだったようだが、あいつは…神だよ…。」
マイツはかつてジェルナの見たことがある、絶望した人と同じ目をしていた。
少しして、その目は元に戻った。何か思い付いたようにマイツは顔を上げる。
「そういやこの街に泊まるんなら、俺んちに来いよ。それとも、宿はもう取ったのか?」
いきなりの申し立てに戸惑った。
「いいんですか?」
「あぁ、無駄に大きな家だ。四人ぐらい余裕だろ。」
そんなに期待はしないけど、どれだけ大きな家なのだろう…
後ろでナルスがこれで宿代が浮いたと小さく呟いたのが聞こえた…
「あ、有り難うございます。」
街を船着き場の方へ向かい歩いていく。その道でロンジはずっと思い出していた。
記憶の鎖はほぼ完璧に近く出てきていた。
十年前の戦争。俺は反乱軍側だった。両親を殺されたあの日、俺は王家へ・・・戦争への復讐を誓った…
「ぼうず、相手を潰したければ強くなれ。技術をつけて見返してやるんだ。」
「力を付けろ。あいつらを全て倒したいんだろ?復讐したいんだろ?」
入団して初めの頃、冷たく、血走った目の奴らに言われたのはそればかりだった。もともと俺は軟弱だった。それまで取り柄と言えば、計算が速いことぐらい…
一ヶ月程度で俺は激変を遂げた。防御と剣の使い方をマスターした後は、弓・火器・その他飛び道具などの基本を習った。だが、使ったのは剣だけだった。
「これから俺がパートナーだってさ。よろしくな。」
初めて、戦場で戦うことになった日。あいつは俺の前に現れた。マイツはどんなところでも笑顔だった。周りはどれも緊張感の漂う冷たい目や狂気を見せる奴らだったのに、あいつとだけはいつもふざけていられた。
戦場に出るようになってから、周りが言うのは殺せの一言だった。
初めて返り血を浴びたとき、これまで味わったことのない罪悪感を覚えた。だが、それは一瞬だった。次から戦場に立つと別の自分が現れた。冷たい、自分。その記憶は、無い…。あるのは、恐怖に体を震わせる兵士達の顔だけ…
戦場に青龍を見たと言う奴がいた。冗談だと思った。それを言い出したのが、あのいつもふざけるマイツだったからだ。マイツはそれ以来、俺と戦場に行くのを嫌がりだした。
その頃から少し経った頃か・・・『戦場に降り立つ蒼い髪』と呼ばれ出したのは。
…それは、俺の事じゃない。もう一人の“俺”を差している。
…思った通りだった。
いつしかそれは『残酷な蒼の神』と呼ばれるようになった。相手を絶対に殺さない、青い髪をなびかせる…神。と
日に日にその青い髪は煤や血で黒くなり、分からなくなったがそれでもその名は広まっていた。
終戦のあの日、俺は矢を打った。
何故か、それまで一度も使わなかった弓を使い…
…もしかしたら、この日のためにとっておいたのかもしれない。強く、思いを込めた矢を…
あの時の俺は正気だった。もう一人の俺はその日、出て来てはいなかった…
自分でも気付かなかったほどに、強い思いを込めていたようだ。今もその傷はしっかりと残っている…
…ジェルナの右頬に…
もう一人の俺のことについては何も分からないのが気持ち悪いが、どうやら人殺しは一度もしていないようだ。
…戦名がそう語っている。
船着き場の堤防につき、腰をかけた。もうすでに周りは暗くなっていた。港のでっぱりに立てられた…灯台とか言う…塔が海に向かい強い光を放っている。資料で読んだぶんには塔のてっぺんに光を放つ魔物が飼われているらしい。人なつっこい奴らで、育て方で人の言うことを聞くようにもなるらしい。船を導くためにそいつらは使われていると聞くが、確かにその光は強く、水平線の向こうまで照らしていそうだ。
暗闇に、空と海がとけ込んでいる。それに比べ自分の後ろの方からはあちこちからランプの光が当たる。目の前の静けさと、真後ろの賑やかさとの狭間…何度か体験したことがあるが、いつもこういうときには後ろから声をかけられる…
そう、ジェルナに…
「ロンジ。」
声をかけられる事は予想してはいたが、いつもの時と声が違うことに驚き、後ろをふり向く。
「…なんだ、シンか…どうした?」
銀髪を風になびかせるシンは、ロンジの横まで歩いてきた。堤防にもたれ、潮風になびく髪を掻き上げながらこちらを向く。
初めに見たときもそうだが、夜のシンのそんな仕草に見とれてしまう…
昼間はあんなに口が悪く、行動も腹が立つってのに…
思わずそう呟きそうになった。
「ナルスさんから伝言です。今日はポンバートさんの家に泊まらせて貰うから早く戻ってきてくださいって。」
「…あいつの家にか?」
はいと頷く。
「ポンバートさん、鍛冶屋なんですって。すごく大きな家でしたよ。」
鍛冶屋か…
「シン、この前の黒い翼って馬車の中か?」
ええ、と小さく頷いた。
「悪いが取ってきてくれないか?宿代ぐらいにはなるんじゃないかな。」
「え?宿代…ですか?」戸惑った表情を見せる。
どうやら一人で別の宿を取ろうとしているとでも勘違いしたのだろうか?
「マイツに渡すんだよ。」
そうですか!と納得したような様子を見せた後、シンは走り出した。
ゴートの翼は強い力を持つ。確かに強い武器の精製にはもってこいの道具だが、取りに行ってこいと言ったのは正直、シンを追っ払うための口実だったりする…
「扱いやすい奴…」
とか言いつつ、ロンジは女シンが苦手である。
「誰かに似ている様な気がするんだが……誰だっけ…」
おしとやかで、おとなしくて、人を疑うことを知らない…
ぼんやり見えたような気がするが、完全には出てこない。それほど古い記憶の登場人物なのだろう。
 
第3章 暴走
月が沈みかけている。
ロンジはまだ堤防に腰をかけていた。
未だに考えるが、その人は出てきてくれない。
「…戻るか」
諦めて呟くと、堤防から降りた。
「どこに?」
ふと、少年の声がした。
「君は、どこに帰るの?」
「誰だ…?」
「こっちこっち。」
辺りを見回すと、黒いフード付きのローブを羽織る少年が灯台の前にポツリと立っていた。闇の中に黒いローブ…まるで消えている様にも見える。縁の燃える火ような紅いラインだけが目立ち、かろうじて少年を見失わずに済む。
歩いてその少年に近づく。
「君はどこの人?」
少年はいきなり口を開いた。
何の話だ?
「俺は…樹海の中から来た。」
戸惑いつつも、ただの少年の好奇心だろうと思い、適当に答えた。
すると、少年は笑った。
「知ってる?近くの樹海に滅びてしまった国があること。」
「・・・何故それを知っている!?」
あんな辺境、余程の奴じゃないと行かない。そんな情報がこんなに早く流れるわけ…
「まさか…お前…シェラフか?」
「シェラフ?」
少年は首をかしげて聞き返してきた。
「・・・いや、知らないならいい。」
「そんな言い方されちゃ、気になるよ。」
少年は好奇心を光らせた目でロンジを見た。
「魔物だよ。」
小さな声で答えてやった。すると、少年は目を見開いた。
「それって、強い?」
先ほどよりも、目が輝いている。笑い事じゃねぇぞと言いたいところだが、子供相手にそんなこと言うのは大人げない…
「あぁ、強い。とても強い。」
そう言いながら、ロンジは一つ思い出した。
初めて暴走したあいつを見たとき。あいつに衝撃波をくらわせられたとき。ロンジの中に何かが入り込んできた。それは…血に飢えた野獣の様な紅い靄に、眠るように穏やかなシェラフが包まれていた絵。
あれは…何だったんだ?
あまりにも一瞬の絵で、すぐに記憶の中に納められていたようだ。
「君は、強い?」
少年の言葉で我に返った。
「…あんまり。」
「嘘だ。」少年は短く、低めの声で言った。
同時に少年をとりまくように緑を帯びた光る風が起こる。
「なっ!」
それは風の中で、前にロンジが妖刀を使ったときに現れた鬼神の仮面をかぶる男性に姿を変えた。仮面は左半分が白塗りでもう半分が黒く塗ってあり、口元だけが見えている。
「何故お前は自分を強いと言わない?」
男性は仮面から覗く緑の目でこちらを睨みつけた。
「何故、強さを誇らない?」
男性はゆっくりロンジに近づいていく。
「答えろ。」
ロンジはいきなりの事に少し戸惑ったような様子を見せたが、静かに口を開いた。
「俺は・・・自分が強いと言いきれないだけだ・・・お前は強さを誇るのか?自分は強いと言いきれるのか?・・・誇った後で打ちのめされるのは辛い。」
そう言うと、今まで厳つい顔をしていた男性はニッコリと笑みを浮かべた。
「面白いな、小僧。私の子孫よりもずいぶんと優秀だ。」
糸を張ったような緊張感が一気になくなり、男性もずいぶんと優しそうな様子を見せる。
「あんたが・・・その・・・『誇り高き騎士』か?」
ロンジが妖刀を掲げると男性はそうだと頷いた。
「私の見る目も落ちていないようだな・・・」満足げに呟く。
「なぜ、俺を認めた?」
「そんなことを聞くなよ。」
男性は肩をすくめた。
「・・・」
「分かったって。私が君を認めたのは・・・」
男性は考える素振りを見せる。
「そうだな、誰かを守るために力を振るうのに躊躇いが無いこと、それから―――――何が一番相手を恐れさせるのかがわかっていることか。」
つらつらと意見を述べるが、ロンジはよく分かっていないようで、首がだんだん傾いていく。
「・・・何か、わからねぇな」
呟くと男性はハハハと笑い出した。
「後々分かってくるだろう。」
空を見上げ、一度何か言いたそうに口を少し開けるがすぐに閉じた。
「さぁ、月が沈む。闇夜には危険が潜んでいる。帰るなら今のうちだ。」
もう一度口を開いた。ロンジの目をしかと見据えながら言う。
「・・・何の話だ?」
真顔で尋ねると、男性はいきなり笑い出した。
「もう遅いから帰れって話だ。可愛い女の子達が待っているんだろう?」
「・・・」
呆れて何も言えなかった。
「ま、あまりにも暇だったら出てくるから。」
そう言って、男性は――――――消えた。
「・・・何が『誇り高き騎士』だ・・・勝手な奴め。」
男性がいなくなった後一人でぼやくとなんだか空しくなった・・・
「・・・マイツの家って・・・どこだ?」
自分の失敗に我ながら呆れてしまう。
シンに聞いておけばよかったと後悔しつつ、どうしようかと悩む。
とりあえず、街中に戻り歩き回ってみる。もう夜中だというのに店はいつまでも明るい物が多い。灯りが点いているのは怪しい占い屋台から酒場、売春小屋まで。昼間には気付かなかったが、真剣にこの町が嫌になった。
「マジかよ・・・」
ロンジは灯りの点いていない建物も、点いている建物にも入りたくなかった。
誤解を招くのが恐いと言う人ほど、誤解という妄想の世界に入りやすい。・・・要は考えすぎると言うことだ。
まさにロンジもその型だ。入りたくないのも、点いていない家は泥棒に思われたくない。そして、点いている建物には客に思われたくない。と言う理由だ。
「俺って・・・やっぱ馬鹿?」
街の真ん中で、行きも帰りも出来ない。
朝を待つかどうか真剣に悩む。
「そういや・・・」
シンの言葉の一フレーズが頭の中に浮かび上がる『ポンバートさん、鍛冶屋なんですって。』・・・
もう一度、ポツリポツリと灯りの灯った街中に入っていった。
「鍛冶屋・・・鍛冶屋・・・あ。」
看板を見つけ、あった!と喜ぶがそれは一瞬のことだった。
見渡すと、防具、武器、関わらず鍛冶屋と武器屋がかたまる。
「・・・なんだよこの辺は!!」
・・・思わず逆切れ。
一件尋ねてそこで聞けばいいのに、疲れていたのかまったくその気になれなかった。
・・・そしてまた、港に戻って来てしまった。
月が沈み、灯台の光だけが海を照らす。
「俺って・・・馬鹿だ。」
船着き場の堤防にもたれ、座り込む。
街の灯りも少し少なくなった気がする。余程遅い時間なのだろう。それでも変わらず灯台からは強い光が放たれている。遥か空に一本の光の帯が舞う。
目をつぶると、波の音が心地よい。
少し冷えてはいるが、眠っても凍死することはないだろう。
くだらないことを考えながら、眠気に身を任せようとした。
 
突然、頭の上で何かが割れるような音がした。
空を仰ぎ見ると灯台の明かりが消えている。
驚き、跳ね起き、反射的に構える。
闇に光る水の滴のように街の光を反射し、煌めきながら落ち行くガラス。それと共に丸い物体が二つ、ガラス達の中、同じような速さで降りてくる。
「な、何だ・・・」
驚きを隠そうともせず、ぽかんと口を開けて、目の前に降り立ったその丸い二つの物体を見る。
「うわっ!!!!」
それは異常なほどまばゆい光を体から放った。目がくらむ。
灯台の奴らか?
まだチカチカする目で、暗闇の中の二つの物体を探す。光から闇にいきなり移ったせいで周りは何も見えない。
もうすでに体からはなった光は消え、今は小さく丸い目のような物がそれぞれ二つ。合計で四つ黄色い光を放っている。
剣を抜き、その四つの光めがけて振るが、自分が動くたびにその四つの光は残像を残すようにして増える。
「クッソ・・・」
どれだけ振るっても、剣の先には当たりの感触がない。
ケタケタケタケタ・・・
相手は嘲笑うような鳴き声で挑発する。
為す術を見つけられず、まだチカチカとなる目をしかめながら突っ立っていると青白い閃光が自分の横を通った。
大分暗闇になれてきた目がその正体を見る。
月もない闇の中、銀髪をキラキラと光らせる―――――――シン。
「あまりにも遅いので、心配しました。」
潮風に髪をなびかせながら、背を向けたまま言う。
「まだこんなところにいたなんてね。」
また別の声が聞こえ、後ろを振り返る。
ジェルナ。そしてナルス。マイツまでいる・・・
「やけに弱くなってんじゃん。一人前に平和ボケ?」
マイツはクスクスと笑う。
「うっせえよ。」
思わず顔を逸らす。
ケタ?
おかしな鳴き声を立てた後、魔物達がもう一度強い光を放つ。
・・・まずい!!!
光が止んだとき、また完全な闇の中へ放り出された。
「・・・お前、本当にサボったろ。」
マイツの声をすぐ横で聞いた。
ギェヤ!
ほぼ同時に魔物の物と思われる叫び声が聞こえた。
一体何が起こったのか、ロンジには解らなかった。
それからしばらく経って見えたのは、黒くつぶれた何かとその側に立っている、銀に光る“爪”をつけた――――――――――――――マイツだった。
マイツの家は、街の少し外れ。昨夜、夜遅くまでいた港からはそれほど離れていない。
あの鍛冶屋の‘集落’の辺りではなかった。二階建てのやけに横に長い家だった。鍛冶屋だとか言いながら、看板などは全くなかったので借り家かと尋ねると「そうだ。」と返ってきた。
 
「ン・・・」
眠りから目を覚ますと、上体を起こし一つ伸びをして、フウッとため息をつく。床の上で眠っていたせいで体のあちこちが痛い。
「マイツ・・・?」
昨夜同じ部屋で寝ていた顔を探すが、どうやらもういないようだ。
扉に手をかけると、下の方から騒がしい声が聞こえてきた。
不思議に思い、階段を下りると居間に全員がそろっていた。
居間には一つ、マイツの商売道具。金属を溶かす釜のようなものが据えられている。そのまわりに二つの茶と金の頭の三人に囲まれ、二人が言い争いをしている・・・・・・あれ?五人?
「何してるんだ?」
シンの頭の上から覗く。すると、言い争っている奴らの正体が分かった。
マイツと“騎士”だ。
そしてマイツの手には――――ロンジの剣?
「お、お前何やってんだ!」
思わずマイツから剣をひったくる。
「おはようマイドール。」
「お、おはよ。・・・・・・じゃなくてだな」
こちらの様子を気にした様子もなく挨拶され思わずそのまま返答してしまった。
「何やってんだよ、これは。」
そう言って、ロンジは片手で持った剣を示す。
「昨日貰った羽でせっかく鍛えようとしたらさ、何かこいつが現れて」
“騎士”を指さしながら言う。
「熱いわ、死ぬわ、うるさくてよ。」
「無礼な小僧だ。君はそんなことをしてもいいと思っているのかね。」
「いけないのかよ。何度も言うが武器を強くするのが鍛冶屋の使命だろうが!」
「愛着のあるものを改造する事がいいとは私は思わないと言っているんだ!」
騒がしかったのはどうやらこの口論のせいか。正直、頭が痛い。
「・・・マイツ、悪いがこの剣を鍛え直すのは止めておいてくれ。借り物なんだ。」
エェーと不満そうな声を出す。
側に立て掛けられた鞘を見つけ、マイツから視線をそらして剣を鞘に収めた。
「こんなに面白そうな剣、鍛えてみたかったのに・・・」
それが本音ですか・・・
「せっかく、“闇の羽根”が手に入ったってのに・・・」
残念そうに呟く。
「久しぶりだから、サービスしてやろうと思ったのに・・・」
「くどい。」
まだまだ続きそうだったので、止めた。
「おやぁ?マイドール、反抗期?」
「は?」
「昔はあんなにいい子だったのに。」
背筋に悪寒を感じた。
「ちょっと待て。」
「剣、鍛えさせてくれる?」
「・・・・・・・・・・・・無理。」
かなりの間が開いた。
「しっかし、不思議なんだよな・・・」
肘を付きながら、何故かナルスが作った(ロンジにとっては)朝飯を食べる行儀の悪いマイツがボソリと呟く。
「何が。」
「昨日のあいつら、何か変だった。」
そう言って、スプーンを置き自分の右掌を見る。
相手を直接傷つけた『手』。
「なんかさ、武器を通じて感じない?相手の強さっての?」
スプーンを口に運びながら言う。
「・・・まぁ」
返事を返すと「だろ」と指差された。
「何か変だったんだよ。あいつら、前にもな、手合わせしたこと、あるんだけど・・・」
「喰うか喋るかどちらかにしろ。」
ズルズル、クチャクチャと音を立てながら喋る様子は見ていて鬱陶しい。
すると、がつがつと食べ始めた。・・・普通喋る方を優先すると思ったんだが
「食べる、選ぶ?」
シンにとっても期待を裏切られたらしい。
期待を裏切られながら、とりあえずマイツが食べ終わるのを待つ。
フゥと満足そうなため息をついた。
「ナルスさん、料理上手いねぇ」
誉め言葉にナルスは「どうも。」と苦笑を浮かべた。
「それより、続き。何が気になったの?」
ジェルナが椅子に反対向きに座り、背もたれにグッともたれている。
「あぁ、なんか、前よりも邪悪っての?よくわかんねぇけど、同じ奴とは思えないな。」
「当たり前。魔物、シェラフの、邪気、やられた。」
「ハァ?」
シンの言葉、つながりがよく分からないので何が何にやられたのかわからない。
「あの魔物はシェラフの撒いた邪気にやられて凶暴化していたと言いたいのですか?」
皿を洗い終えたナルスがシンの言葉を訳す。
「そう。」
ナルスの訳に「なるほど」と感心する。
「シェラフの、邪気、蛾の、鱗粉の、よう。通るところ、まき散らす。」
蛾の鱗粉?まぁ、その辺の訳は面倒なので飛ばしておこう。
「ということは、シェラフ(あいつ)がここを通ったって事か?」
コクリと頷く。
「シェラフの、邪気。他の、魔物、全然、違う。他の、魔物。影響された、暴走。」
文章が長くなると、シンの言葉はさらにこんがらがる。
「・・・ナルっさん。訳、お願い。」
自分では訳せないと悟り、助けを求めた。
「そうですね・・・『シェラフの邪気は、他の魔物の物とはちがって、それを被って影響された他の魔物は暴走して襲いかかってくる』といいたいのではないのですか?」
う〜ん、すばらしい。何故そこまでカンペキに出来るのか不思議に思えるくらい綺麗な文章にする。
「じゃぁさ!魔物たちの暴走が発生した地域をまわったら、追いつけるんじゃないの?」
でた。ジェルナお得意の愚者の浅知恵。
「追いつけるわけないだろ。通った後を追いかけたって。」
椅子の背もたれに寄りかかり大きく欠伸をし、伸びをした。
しかし、とナルスが遮る。
「通った後を通ることであの子の進む方を・・・目的地を見つけられるかもしれませんよ。」
それもそうかと納得して座り直す。
 
いきなり後ろのほうからバン!と大きな音がした。扉が開いている。
開いた扉の向こうには息を切らせた様子の青いバンダナをした青年がたっている。
客か?それにしては乱暴だな・・・
「マイツさん!!」
「ハァ?」
扉の処から青年は叫んだ。青年が来ていたことに気付かなかったのかマイツは気の抜けた返事をする。
「ちょっと来てください!私達では手に負えないんです。」
走って入って来た青年はテーブルの前に座っていたマイツの腕を掴むと風のように走り去った。
「・・・なんだ、いまのヤツ」
何となくマイツを連れていった青年を捜し、追いかけることにした。
「あ、あそこじゃない?」
ジェルナが指差す方には灯台・・・の下。船着き場の桟橋。
確かに先ほどの青年と似た色のバンダナをした奴らとマイツに似た髪型をした奴がいる。
堤防を降り、桟橋まで行く。
「何やってんだ?」
「マイドール?・・・そうだ!」
何が そうだ! なんだよ。と顔をしかめる。
「魔物が大暴れしちゃって船が出せないんだって。」
「へー」
あんまり興味なさそうな返事を返す。
「で、頼まれてくれない?魔物退治。」
「・・・で、って何だよ。でって。」
いきなりふられて、戸惑う。
「だって〜俺だけじゃ無理だし。」
「嘘つけ・・・」
恐ろしく強いだろ。と睨む。
「だって〜まだ練習中だもん。」
「だったら、練習台にすりゃいいだろうが。」
と言うより、昔からお前の武器は爪じゃなかったか?
「助太刀でいいからさ。」
「それが嫌っつってんの!」
「何言ってるの!」
追いついてきたジェルナが口をはさむ。
ややこしい時にもう、こいつは・・・
「助けて貰ったんだからその分を返さないと!」
「お前・・・」
「マイツさんのほうが強いのかもしれないけど、頑張ってね。」
笑顔で言う。多分悪気はないんだろうな、本人には・・・
「・・・お前がやれ。」
え〜と嫌そうな顔をする。
「お嬢様は攻撃が出来ないんですよ。回復魔法しか目覚めていませんし。」
後ろからナルスとシンが追いついてきたようだ。
「ほら、君しかいないんだよ。」
ニヤリと妙な笑みを浮かべる。
「・・・仕方ねぇな。」
ブチブチ文句を言いながらも結局戦闘に参加することになる・・・
船は水面の上を行く。
はしゃぎたい気持ちを抑えながら、いつ現れるかわからない魔物に対し警戒を強める。
「と言うより・・・」
少し怒りが感じられる声。
「結局、全員で船に乗るんじゃねぇか!」
うん。とジェルナ達は頷く。
「援護、してあげるから。」
「俺、戦う。」
「私も、力になれましたら・・・」
そういや、マイツよりもナルスのほうが強いかもな。と投げナイフのことを思い出す。
「倒したらそのままカリファイまで送ってやるってさ。悪い話じゃないだろ?」
カリファイとは向こう岸・・・二つ目の大陸、その玄関に値する街の名だ。
「どうせ、戻ってくるのが面倒くさいだけだろ」
船の手すりにもたれる。
「そんなこと言ってあげないの、マイドール。水夫さん達が可哀想でしょう。」
ケケケと笑いながら言うのが気持ち悪い。水夫になんかしたのかこいつは・・・
そうこうしているうちに、甲板に立っていた水夫達の動きが怪しくなってきた。
「来たぞ!」
物見の水夫が叫んだ。と、船が大きく揺れる。
水音と同時に大きな波・・・否、おおきな怪物・・・
「・・・うっわぁ。あいつ、とんでもない奴を目覚めさせてくれたな。」
上半身は美しい女性の姿をしているが、下半身からは犬の頭が六つ生えている魔物。
全体としてはやけにおおきな図体で、犬の頭にはぎっしりと鋭い歯が並んでいる。
「・・・あれは?」
爪をはめるマイツに問う。
「スキュラ。水夫の敵だ。まぁ、昔の話だったはずだけど・・・」
そう言って、甲板の縁に立った。
「水夫共は全員船内へ。それも早くだ。食われるなよ。相手に力を与えるだけだ。」
マイツがおおきな声で水夫達を誘導する。昨日からの様子からは想像できないような真剣さだった。
「ジェルナ様も逃げろ。」
縁から降り、ジェルナの元へ歩く。
「嫌。」
「死ぬぞ!」
きつい声。
「絶っ対。動かないから。」
その目にはしっかりとした意志が感じられる。シェラフの暴走を初めて目の当たりにしたときのあの目だ。
「お嬢様のことは私たちにお任せください。」
横からナルスが割り込む。シンも任せろと首を縦に振る。
諦めたのか、マイツは戻ってきた。
「突っ込んでくぞ。引き込まれるなよ。」
「あぁ。」
先頭両サイドの縁にマイツとロンジを載せた船はスキュラに向かい突進していく。
「戦闘開始!」
かけ声と共に二人はスキュラの犬に向かい跳んだ。
 
第4章 船戦
船室への扉を背にして、両隣を守られたジェルナは両手を合わせ念じる。
「透き通る体を持ち、固くも軟らかくもなる水よ。あの者達に足場を・・・」
水色がかった光が集まる両掌を前に突き出す。
「WATER!」
同時に掌に集まった光は戦闘員・・・ロンジとマイツの元へ・・・
光が船の先端を越えたところで、その先端の辺りの水面からミョッと水の柱のような物が現れた。
その柱もまた先に進み行く光を追いかけ二人の足下へと続く。
二人は少々柱を見て驚いた様子を見せたが、その上に立てることを確認するとすぐに魔物のほうへ視線を戻した。
足場、間に合った・・・
ほっと胸をなでおろす。
「何、した?」
右隣に立っていたシンが尋ねる。
「昨夜、覚えたばかりの物体の形を変える魔法だよ。」
正直、こんなに上手くいくとは思わなかった。自分の才能に何となく自分で感謝してしまう。
 
魔法が思い浮かぶのはいつも突然である。体と精神の成長が関わってくると聞いたことはあるが、どうか関わってくるのかを知らない。
しかも、魔法には二種類在る。思い浮かんだ魔法が歴代の王達が使ってきた由緒ある正当な魔法か。オリジナルの、実は出来損ない魔法か。
 
まぁ、どちらも結局は使えたらいいと言うような物だが、オリジナルの場合副作用が出たりするのでそれはそれで困ってしまう。使うことによって自分の中で何かをつかむと副作用もなくなるらしいがやはりその辺はまったく知らない。
・・・知らないことが多すぎるんだよね
決して口には出さないが、ジェルナの中で一・二を争う悩み事の一つである。
前線の二人は順調とまでは行かないもののどちらかと言えば優勢の状態で戦闘を進めている。
「私達の出る幕はありそうにありませんね。」
ナルスが珍しく緊張感なさげだった。
「けど、何か、変。」
シンがボソリと呟いたとき、ジェルナの視界は天と地が逆転した。
「え・・・?」
嘘・・・
突然の出来事に目を丸くする。
宙づり・・・。脚に犬の首が絡みついている。
「お嬢様!」
慌ててナルスがナイフを投げる。
「キャッ!」
ジェルナの耳元すれすれでナイフは飛んでいく。
そのナイフが犬の首に当たるかと思いきや、かなりの速さだというのにギリギリまで引きつけてからいとも簡単に避けた。
犬は頭を持ち上げる。首は根本から段々と水中に沈む。
「 ――――――――ッ」
位置がさがり、水面目前。船の縁に向かい手を伸ばすが、ギリギリで届かない。
ジェルナは手を伸ばしたままの状態で水中に引きずりこまれた。
いきなり現れた水の足場のお陰で、何とか犬の頭は何とか全て切り落とした。犬の頭さえなければ、どうやらこいつには戦闘能力はまったくと言って無さそうだ。
何も考えず二人で跳びかかったが、多分足場が無く水中戦であればこちらも深手を負っただろう。
「マイドール。犬は何匹狩った?」
少し息を切らせた様子のマイツが近くの足場に降り立った。視線はスキュラに向けられたままだ。
「俺が二匹。お前は今のを合わせて三匹狩っただろ?」
「五匹か!?」
驚いた様子でこちらを見た。
「そうだ。これで全部じゃないのか?」
「とんでもないね!スキュラの犬は六匹だ。」
その声には焦りが少し感じられた。
辺りを見回すが、犬の姿は見えない・・・
双眸を見開き後ろを振り返る。船室の扉の前にいるのは・・・二人。
その上に宙づりとなった人の姿が。
「姫さん!」
ロンジは走り出した。しかし、船の甲板に着く前にジェルナの姿は水面下に消えた。
マイツがすぐ後ろまで走ってきた。ロンジを慌てて追いかけてきたようだ。
「あの二人を頼む。」
そう言うと、剣を鞘に収め海に飛び込んだ。
「マイドール!」
呼び声が聞こえたが、振り返らずに出来るかぎり深く、深くへと潜っていった。
水の中は暗い。かろうじて底が見えるほどの深さの海。底のほうで泳ぐ銀色の大きな魚がその体を揺らすたびに微かな光を反射する。
海水が目にしみて痛いが気にしている間はない。水面から二メートルほど潜ったところで辺りを見回す。体がすぐに浮こうとするが、必死に持ちこたえる。
目の前で茶色のフカフカそうな毛がサワサワと水に揺れた。
驚いて口を開けてしまい、息が苦しくなる。慌ててロンジは水面に顔を出した。
さっきの・・・あれか?
思いっきり息を吸うと、もう一度水面下に戻った。
視界にやっとその姿を捕らえた。脚に巻きついた首を必死にもがいてはずそうとするジェルナの姿もあった。ごぼごぼと泡を吐きながら両手を使い動かすがそれが外れるけはいは全くない。呼吸が出来ないせいか厳しい顔をしている。限界も近そうだ。
剣をぬき、ジェルナの元へと泳ぐ。
ロンジが近づいてきたことに気付いたジェルナの顔は驚きと嬉しさを浮かべたように見えた。
犬の頭はロンジに気付くと牙を向けてきた。慌ててそれを剣で左へ受けながす。
あっぶね・・・
ボーッとしている暇はないので、とりあえず左目を潰した。
怒った様子で犬は頭突きをしてきた。片目しかないといえども見えればそれで良いようだ。真っ直ぐこちらに向かい固そうな頭がとんできた。
ラッキィ。
これはチャンスと今度は右へながし、右目を潰す。
痛そうに首をくねらせながら犬は暴れ始めた。
やった。と思ったが、ジェルナの姿を見失った。
やっべ、忘れてた。
ジェルナは首につながれていたのだ。
今の戦いで犬はどれほど動いた?ジェルナは首のどの辺りにつながれていた?
焦りが押し寄せてくる。
回りを見回すが、暴れ回る犬の頭が視界を大きく遮る。
・・・こっちが先か
ジェルナを見失った焦りを押さえながら、犬の頭を切り落とす。
犬の首は動かなくなった。
改めてジェルナを探す。声で呼べたらどれだけ良いかと思いながら目を思いっきりこらす。
――――――――いた。
背中を上にしてクラゲのようにフワフワと、波に揺られながら徐々に水面へと運ばれている。
案外あっさり見つかったことに喜びを隠せないロンジ。が、また別のものも視界に入ってきた。
スキュラの本体。
水面に出ていた美しい女性の姿とはまた違った美しさを持つ、女性の上半身が水面下に逆さまについていた。
どういう、事だ?
水面下の女性は目を閉じている。そして、その閉じられた目は憂いを見せているように見えた。
不思議に思いながらも、ジェルナを追いかけ抱くと浮上した。
「ブハァ!」
顔を水面にだすと、大きく息を吸った。比較的長い時間息を止めていたので苦しそうに肩で息をする。
幸い水の足場はまだご健在だった。
マイツはどうやらずっと水面を覗き込んでいたようだ。
「やったか?」
「無事、生還。」
冗談交じりで返事を返す。
「お嬢様!」
ナルスはロンジの腕に抱えられたジェルナの姿を見ると、かなりの高さがあるというのに船の甲板の上から飛び降りてきた。
「ナルッさん・・・」
驚きで声も出ない二人をよそにナルスはロンジからジェルナを受け取るとそっと水の足場の上に寝かせた。
すると、ナルスがもっている投げナイフの中でも一番細長いものを取り出す。
そしてそれをジェルナの首筋に指した。
「なにしてんだ!」
ロンジが驚き声を上げると同時に、ジェルナが水を吐いた。
ゲホゲホと咳き込みながらゆっくりと、しかし自力で体を起こす姿を見てナルスがホッとした表情を見せた。
「へ?」
ジェルナに刃を向けたナルス。何事もなかったかのようにキョトンとするジェルナ。いまいち状況が理解できないロンジは首をかしげた。
「気付けのツボですよ。」
サラリと言うと、ナイフをしまい大丈夫ですかとジェルナに声をかける。
人に刃物を向けるなとか言いつつ・・・
愚痴ってみたかったが、後が恐いのでやはり止めた。とにかく、ジェルナが目覚めたことにホッと安堵の息をつく。
「犬はもういないし、一応船に戻って様子見るか。もう水夫も文句は言わねぇだろう」
マイツが呟くとジェルナはすぐに船までの水の道を作り上げ、ナルスと二人であがっていった。
「なぁ」
同じように船へと戻ろうとしたマイツを呼び止める。
「スキュラの体って、どうなってんだ?」
ロンジの問いにマイツは首をかしげた。
「どうって、あいつにさっきの犬が六つでタコみたいな体してる。」
そう言いながら、犬を失いこちらのほうを恨めしそうに睨むスキュラを指差す。
「・・・水面下にさ、同じ様な女の上半身が引っ付いてたんだ。」
人差し指を立てた両手をこんな感じ。と上下にかさねる。
その言葉に、マイツは双眸を見開き先ほど背を向けていたスキュラのほうを振り返る。
「そういやおかしい。スキュラって奴は俺が知っているかぎり確かに綺麗な奴だが、あんなに妖艶な美貌じゃない。もっと儚いような・・・」
「マイツ?」
「・・・そうだよ。」
「マイツ?」
いきなり頭を抱え込んで小さく呟いたマイツの姿にロンジは不安そうに声をかける。
「思い出した。」
「どうしたんだよ。」
いきなり立ち上がったマイツは慌てた様子で船内に戻っていった。
一人残されたロンジも慌ててその後を追った。
甲板を進み、直接船長室へと入っていった。
「船長。バックだ元の町に戻ってくれ。」
「何か忘れ物か?マイツ。」
船長と呼ばれた男性は笑いながら水夫達に告げた。
「野郎共、百八十度旋回だ。もうスキュラは恐くないぜ。とっととやれ!」
ヤーと言う声と共にワラワラと水夫達が甲板にもあがってきた。ジェルナが固めた水を元に戻すと船がゆっくりと動き出した。
「どうしたんだよ。一体。」
焦りを隠せない状態のマイツに心配そうに尋ねる。
「昔な、ふっるいふっるい本が家にあったんだよ。百数十年前ほどのものだ。魔物のことがたっくさん書いてあってな、こりゃ参考になる。と思ったんだが同じ名前でもどれもこれも今の時代の奴らよりもおっそろしい様子で描かれてんだ。」
「まさか。」
「スキュラも最近のと違う姿をしてたんだ。上と下に体があって、真ん中から六匹の犬が・・・もしかしたらさ、昔の姿に戻ってんじゃないかなっておもってよ。」
「それは正しいかも知れませんね」
船長室のドアが開き、ナルス達が入って来た。
「昔、この辺り一帯の魔物は封印されたのです。」
いきなり何を言い出すんだと思いながらも、ナルスは真剣な表情で言った。
「昔って・・・じゃぁ今は。」
マイツの問いにナルスは首を横に振った。
「・・・シェラフによって解かれました。」
重い言葉。
後ろでジェルナが固まっている。かなりの衝撃を受けたようだ。
「まさか、あの紅い玉・・・」
震える微かな声。
「その通りです。」
静かに目を瞑りながらナルスは答えた。
「とにかく、その本がまだあったはずだ。探してみる。」
聞きたくなかった。まさかそんな風になってるなんて・・・認めたく、ない。
マイツの借り家に着いてからずっと四人は沈黙を保ったまま椅子に腰をかけていた。
ジェルナには、船上でのナルスの言葉が辛すぎた。
久しぶりに思い出す。
明るく優しいシェラフと冷たい死神のシェラフ二人が交互に現れては消える。ジェルナはパニック寸前だった。
「見つけたぜ。」
階段を下りてくる足音。二階を探し初めてすぐに見つかったようだ。マイツは大きな本を持って降りてきた。
マイツは四人が囲むテーブルにかなり古そうなボロボロの大きな本を広げた。
「これ。」
覗くと、スキュラのページだった。
絵が描かれている。
「マイドール、こんな奴だったか?」
ロンジはジッと見た後、小さくそうだと呟いた。
「なら、信用あるか。」
マイツはぱらぱらとページをめくる。
「んでマイドール。追っかけてんのは何だったっけ。」
「モノクルだ。」
答えるついでに載っているかと横から覗き込む。
「お、あったあった。」
声につられ、全員は開けられたページに引き寄せられるように覗き込んだ。
「・・・変わる、ない」
シンがボソリと呟いた。
確かに見た目は全然変わっていない。うさぎによく似た大きな耳の可愛らしいまるまるとした姿。右目にはちゃんと石のようなものがついている。
「中身は?」
マイツの問いに答えることは出来なかった。
「性格・・・よく分かんない。」
ジェルナは小さく首を横に振った。
マイツはがっかりとした様子を見せた。
「ところでナルスさん。さっき言ってたけど封印って何だったんだ?」
気を取り直してマイツはナルスに声をかける。
「封印、ですか?」
「そうだよ。昔の・・・その、魔物の封印。」
うーん。と考える様子を見せる。
「確か、その話はロゼマナ国第三代目国王の時代にまでさかのぼります・・・
今からおよそ百四十数年前ですかね。今よりもっと凶暴な魔物達が沢山はびこっていました。ロゼマナ国もまだ樹海に囲まれていなかった時代。私が聞いた話では三代目国王は魔術を生み出した人の一人だそうです。
「一人?」
思わず聞き返す。
「えぇ、確か全員で七人でしたと思います。」
初耳である。ジェルナは今までずっと前の国王が一人で作りだした物だと思っていた。
「話がそれましたね。その七人は魔物についてずいぶんと研究したようです。その産物がお嬢様が使う魔法です。そして、もう一つ。それが魔物の力を封印したものです。
「あの紅い玉・・・」
見るだけで魂が吸い取られそうな不思議な光を宿したその玉は今でもハッキリと脳裏に焼き付いている。
「あのよぉ。紅い玉ってさっきから言ってるけどそれって何なんだ?」
ロンジが割り込んできた。
「ロゼマナ国の国宝の一つです。名前は ―――――――『血の紅玉』――――――」
これはまたすごい名前だなと呟いた。
勿論と言うほどでもないが、ジェルナもその名を今まで知らなかった。
血の宝玉は封印の器です。中身は私もよくは知りませんが・・・七人が見つけた魔物達の力の源だそうです。
「・・・よくわかんねぇが、とりあえずそれが開封されたって?」
呆れた。と付け加えてロンジは椅子の背もたれにもたれかける。
「その通りですね。」
「封印、やり直し、できない?」
横でシンが尋ねた。
「さぁ・・・」
ナルスが自信なさげに首を横に振る。
「ここで停まっていても仕方なさそうだな・・・」
ロンジが伸びをした・・・どうやら退屈らしい。
その気楽さには呆れてしまう。
マイツは一つ溜息をつくと窓を通し空を見上げた。
「行くか?今から船に乗ったら、船上で一泊になるだろうが・・・」
親指で差され窓の外を見た。
もうすでに日が沈みかけ、辺りを真っ赤に染めている。
「進まないよりかはやっぱそっちの方がいいな。俺的にはだけど。」
背もたれにもたれた上体をいっぱいに反らし、位置的に真後ろに立つマイツの顔を覗いた。
「私も。そっちがいい。」
片手を小さくあげてジェルナが答えたのを見ると、それでは私もとナルスも賛成した。
「坊主は?」
「行く。」
シンは即答。
ふぅ〜んと小さく何度か頷くとマイツは大きな音を立てて本を閉じ、近くに置いていた皮の袋を口を締めている紐で腰に巻き付けた。
「じゃあ、満場一致って事で。行きましょうか。」
マイツが指揮を執るようにしてぞろぞろと五人は船の方へと向かっていった。
 
第5章 船
スキュラと戦うときにも思ったが、この船は大きい。立派な家をそのまま水に浮かぶことが出来るようにしたように思う。
スキュラ退治とマイツが顔を利かせた御陰で一人一部屋も船室を割り当ててもらえた。
マイツには酷いかもしれないがこういうときはやっぱり知り合いでよかったと思う。
「いきなりマイドールとか呼ばれたときは焦ったけどな」
ロンジはそれなりに広い船室のベッドに腰を掛け、一人でぼそりと呟いた。
「所有物扱いしやがって・・・」
別に意味はないが、何となく一人でいると独り言が多くなる。
城を出てから一人でいる時間がほとんど無くなったからだろうか。
「何言ってんだ、俺・・・」
少し考えた様子を見せてから、また呟いた。
さすがのロンジでも独り言が多くなったことに気づいている。だが直す気にはなれない。
こうして独り言を言っていると自分の中が整理されるみたいで悪い気はしない。
一つため息をつくと、潮風に当たろうと船室を出た。
甲板へと出る扉の窓から覗くと、外はもう闇一色に染まっていた。
ぽっかりと穴をあけたかのように月が丸く黄色く輝いている。
「太陽と月が我を見守る、か。」
ロンジは古い歌の一節を思い出した。
全部の歌詞を知っているわけではないうえ、誰かに教えてもらった覚えもないが今思い出したように今まで何度も忘れ、何度も思い出した。
まるで、記憶の片隅で良いから覚えておけとでも言うように。
「ま、それはないか。」
もう一つため息をつくと、前方に人の姿が見えた。
潮風になびく銀の髪が月光に照らされ輝く姿にはもう慣れた。
慣れた、という表現は少しおかしいかもしれないがシンに対するロンジの反応にはぴったりに思えた。
日中結わえていたはずの髪は全くその跡を残さずに美しい直線を保つ。
小さく、少し高い声が聞こえる。それはシンが発しているのだとはすぐに判った。
独り言や話し声ではなく、ぼそぼそと歌でも口ずさんでいるようだ。
声を掛けようと近づいていたロンジだが、その歌声に気づくと動作を中断した。
小さな声はハープのように美しく澄んだメロディを奏でる。
 
弱き者は力を請う
己が上に立つために
小さき者は歌を歌う
難無き行き方を選びゆく
 
我はこの世を捨ててゆく
しかしこの世は我を捨てぬ
 
聴いたことのある歌だった。
先ほどロンジが口ずさんだ歌だと気づくまでそう時間はかからなかった。
 
地と天が我に語る
主はこの世を捨てられぬ
太陽と月が我を見守る
主を捨てるのはヒトのみ
 
声を重ねるようにして、ロンジはシンが歌っていた歌の続きを歌う。
その声に反応して、シンが背筋を伸ばしこちらを振り向いた。
「あ」
初めて銀髪のシンと出会ったときと同じ反応を返された。
驚きを浮かべた表情。
「よぉ」
別に意味もなく声を掛ける。
するとシンは恥ずかしそうにうつむいた。
「さっきの歌ってさ」
「あの・・・・・・」
少し顔を上げ、垂れ下がる髪越しに遠慮がちな目でこちらを見た。
「どこでお知りになったのですか?」
言いたいことを先にシンに問われてしまった。
「あぁ、うろ覚えだし、悪いけど俺も覚えてない」
「そうでしたか」
少し残念そうにまた少しあがった顔をおろした。
「おまえは?」
「私、ですか?」
「その歌、城では多分誰も知らなかった」
戦後まもなく小さいロンジがまだ兵士になる前の頃、何人かにその歌の本当の歌詞が知りたくて訪ねてまわったがすべての人が『知らない』としか言わなかった。
「私も、よくは覚えてません」
「そうか」
それでも、シンはどうやらロンジが知らない歌詞を知っている。
歌ってもらおうかと思ったがやめておいた。
大の男がちっさな女の子に歌を聞くなんてロンジにはどこかおかしい気がした。
ぼーっと船上から、船が進むために出来る波を見ていると、シンの右手指が光ったのを視野の端で見た。
気になってその光った部分を見てみると、黒に近い深い青の石がついた指輪がつけられていた。
「なぁ、シン。それ」
「え?」
ぴくりと首をあげ、振り返る。
「これ、ですか」
ロンジが指さしていたリングに気づいた。
「そんな物おまえ持ってたか?」
「えぇ」
「城にきたときからか?」
「えぇ、ずっとつけています」
シンはそういうが、ロンジには覚えがない。
「あ、でも昼はだいたいこれで髪を縛ってます」
「は?」
シンの持つリングは金色の紐が三重になっている。見た目からしてその輪を作る紐状の物は絶対に金属である。
「これを、こうすると」
右手のリングをはずし左手におくと、その上で右手人差し指をぐるぐると回す。
少ししてから、回す指を止め片手をリングの穴につっこんだ。
「え?」
不可解なことが起こる。
ゴムのようにのびたのだ。
その伸びたリングはシンの手に動かされるままに手のひらをするりと過ぎ、手首のあたりで動かすのを止めた。
きゅっとリングの外側から手首を握ると、その大きさでとどまった。
もう手のひらの太いあたりを通そうと動かしてものびることはない。
「なんなんだそれ」
「わかりませんが、便利ですよ」
便利といわれ、そうかもしれないと思いながらも、やっぱり何か引っかかる。
「変なモンもってんだな」
「えぇ。」
にこやかな笑みで返された。
何となく、緊張する。
それを悟られないようにロンジはじっと今は腕輪になったリングにつく石を見る。
「綺麗だな」
「光の当たり方で色が変わるのですよ。今はほとんど光がないですが・・・」
シンが手首を少しひねった。
そのせいか、深い青に所々金と緑の光の粒が散らされたように輝く。
ふっと笑うと、ロンジは回れ右をして船室へと戻っていった。
シンはロンジが甲板から出ていくと、リングを元の指輪へと戻した。
 
暫く、寝るにも寝られずベッドの上に腰を掛けていた。
「明日には別世界ってか」
バフッと音を立てて掛け布団の上に倒れた。
じっとしていると、なにやら隣の部屋から音が聞こえてきた。
不思議に思って、その音の聞こえる部屋との壁に耳を押し当てる。
少ししてロンジは耳を壁から離した。
「寝言か・・・・・・」
つまらないとでも言いたそうに呟いた。
翌朝。
バタバタと走る足音がしてロンジは目を覚ました。
うるさいなと思いながらゆっくりと体を起こす。
船室から出ると、目の前を一人の青年が駆け抜けていった。
「何だ?」
青年はくるくると独楽のようによく走っている。一つの部屋にはいると、またすぐに出てきて通路をバタバタと足音をたてて走る。
通路を見回すが、いるのはその青年だけだった。
「何してんだ?」
青年がまた目の前を駆け抜けようとしたとき、声を掛けてそれを止めた。
「あ、おはようございます。もう到着はしておりますのでどうぞお降り下さい」
「いや、そういうことを聞いているんじゃなくてだな」
青年は首を傾げた。
「お降りになられたお客様の部屋を片づけ、次のお客様にと備えております」
そうかと納得する。そういえば、一応これは客船らしい。
まぁ、そうだから自分たちが乗っていたのだが。
「そういえば、お連れ様はもう船から下りていらっしゃいます」
「なんだと?」
置いてけぼりをくらった宣言。いや、宣言ではないな。
「ナルス様方がお降りになられる際、マイツさんが『起きるまで起こさない方がいいぞ』と言われましたもので」
何を吹き込んでるんだあいつはと思いながら、あわてて甲板の方へと出る。
桟橋は確かに港と船を繋いでいた。ゆっくりと港へと桟橋の上を歩く。
きょろきょろと港を見渡すが、ナルス達の姿は見えない。
「どこ行ったんだよ、あいつら・・・・・・」
迷子になったのは自分なのに相手が迷子になったような言い方。
辺りを見回すが、知った人の姿は映らない。
どうしようかと桟橋を降りたところでぼーっと突っ立っていると、茶色い髪の少年が声を掛けてきた。
「兄ちゃん。もしかして“ろんじ”って名前か?」
年の頃は八ほどか日光に焼けた肌が活発そうに見える少年は幼い声で尋ねてきた。
いきなり名を言われ眉をひそめたが、素直にそれにあぁと頷く。
「金髪のおばちゃんがね、『青い髪のロンジって人に会ったらあの建物の中にいるって言って』って言われたんだ」
少年は煉瓦造りの大きな建物を指さした。港と陸を遮る門のような建物だ。
金髪のおばちゃん・・・・・・少年が発したその言葉に笑いをこらえられなかったロンジは肩を小刻みに震わせる。
「そうか、ありがとうな」
軽く礼を言うと少年は手を差し出した。
「この手は何だ?」
「ちゃんと伝えたら、何かねだっても良いっておばちゃん言ってた。」
おばちゃん発言連発の少年はニカニカと笑っている。
料金押しつけんなよ・・・・・・
「金なら持ってねぇぞ」
え〜っと少年はふくれた。
「お金無いの〜?」
少年が小さく舌打ちしたのと「しけてやがる」と呟いたのをロンジは聞き逃さなかった。
「残念だが、俺が持ってるものでおまえにあげられる物はこれしかない」
そう言って昨夜船の中からしっけいした飴玉を少年に差し出した。
「兄ちゃん、柄に合わねぇもん持ってんだな」
可愛い包みにくるまれた飴を見て少年は笑った。
要らないならやらないと言うと、少年はありがたく貰ってやる。とロンジの手から飴玉を受け取った。
少年が走っていくのを見送ると先ほど指さされた建物へと歩いていった。
建物の中は騒がしかった。商人・僧侶・他にも老若男女問わず、かなりの人がいる。
「こっちです」
手を振るナルスの姿を発見した。丸テーブルを囲むようにして四人は座っていた。
「置いてくこたぁねぇだろ」
テーブルの方へ歩みながらロンジは四人に向かい言う。
「起こしに行ったよ。 起きなかったけどね」
ジェルナがテーブルにおいたグラスに口を付けた。
「誰が」
「俺と坊主が」
マイツはシンを指さしながら言った。
「ロンジ、反応、無し」
「普通、起こすって言ったら反応するまで起こそうとするだろ」
「面倒」
国立祭の日は普通に起こしたくせに。
「もういい」
一つ息を落とすと丸テーブルの上に置かれていた小さな丸いパンを一つ掴んで口に入れた。
「そろったし、行こうか」
ロンジが二つ目のパンに手を出そうとしたときマイツが椅子から立ち上がった。
建物から陸のほうの出口へ出ると大きな馬車が止まっていた。
「でか・・・」
ついその大きさに圧倒され足を止めた。自分たちの馬車よりも倍ほど大きくそれを牽く三頭の馬も立派である。
「すっごい筋肉」
てててと早速寄っていくのはジェルナ。黒い鬣の竜のような馬は足を撫でるジェルナに頬を寄せた。
「こんな馬ほしい」
ジェルナが目をきらきらさせながらナルスを見た。
「残念だけど、そいつらはやれないよ。お嬢さん」
馬車の後ろから深く帽子をかぶった男が現れた。
茶色く長いコートに身を包んだ男は口調と帽子からはみ出た長い髪のせいか優男というか尻の軽そうな男に思える。
「あ、すみません」
「謝ることはないさ」
男は笑顔でジェルナに近づいてきた。
「姫さん、行くぞ」
男の様子にむっとした表情を浮かべ、ジェルナに声を掛けた。
「あ、うん。 ごめん」
ジェルナは自分たちの馬車の方に振り返った。
男はジェルナの手を掴み止め、帽子をはずした。
帽子をはずすと茶色い軽いウェーブの入った髪と笑みを浮かべてはいるが少し吊り上がっているような目が姿を見せた。
「お嬢さん、この辺りは凶暴な賊が出るよ。それなりの装備はしておかないと」
言いながら、男はロンジ達の方にも目を向けた。
「あの馬車の人達はお嬢さんの仲間かい?」
ええと頷くと男はそうかそうかとロンジ達の方へと向いた。
にこにことしたままでロンジ達の姿を見ると「何か買っていかないかい」と黒馬三頭に牽かれる大きな馬車を叩いた。
「何だてめぇは?」
だいぶ不機嫌そうにロンジは男を見た。
「僕は行商人さ。良い武器も良い防具もそろってるよ?」
あぁ?と明らかに嫌そうな反応を示したロンジに男は笑って肩をすくめた。
「そんな害獣みたいに扱わなくても良いじゃないか。“クライメオス”?」
「は?」
にやりと笑った男が口にした言葉に「なんだそれ」とぽかんと口を開ける。
「あれ、君はクライメオスじゃないの?」
「だから、なんだよそれは」
「いや〜蒼髪だから僕てっきり君のこと」
「だから、人の話を聞け」
ロンジの言葉を無視して話し続けようとする男の腹を一発仕留めた。
短い声を上げて男は倒れた。
「あ〜あ。ほんっと不機嫌だね〜マイドール。船に残されたのがまだ引いてるの?心狭いな〜」
馬車の向こう側からマイツがからかう声が聞こえた。
「それ関係ねぇよ」
「ガルネさんはお腹がすいているだけでしょう?」
マイツの隣でまた、ナルスのからかいが聞こえた。
半分くらい当たっているのを知られないようにそれは無視した。
「ロンジ、酷」
「うるせーよお前ら」
これ以上関わりたくないので目線を前に向けて先へと進ませようとした。
が、怪しいモノを視界に捉えロンジの動きが止まる。
「何ぼーっとしてるのよ」
隣までやって来たジェルナが突っ立っているロンジの背を叩く。
「いや、あいつな…」
そう言って右手人差し指で男が出てきた馬車の辺りを指さす。
「な、なにあれ」
ジェルナも隣で同じように目を丸くした。
二人の視線の先には人。
黒のフード付きのロングコートに身を包まれ、性別も年の頃もさっぱり見当がつかない。目深に被っているフードからはみ出た顔の下半分は茶の覆面で隠されている。もう不審人物という言葉がぴったりくるというような出で立ちだ。
体半分を馬車の陰に隠しながらこちらをじっと見ている。
「な、怪しいだろ」
ロンジのつぶやきにうんと頷く。
人物は本当にじっとこちらを見ている。動く気配はない。
「無視して行ってみましょう。害はないでしょうし」
いつの間にかロンジ達の側にきていたナルスが言う。
「害はないって、害獣じゃないんだからそれは酷いと…」
「別に良いではありませんか。ほっておけばどこかに行きますよ」
「…それこそ虫みたいな言い方だな」
ナルスは自分たちの馬車に乗り込むと手綱を取った。
「さぁ、行きましょう」
「…」
呆気にとられながらも、ナルスが馬を進めたので全員後ろを気にしながら先を進むことになった。
 
第6章 
背中を蹴られ、穴蔵の中へと押し込まれる。
「うわ!」
手足が縛られているため、身動きがとれないロンジは転ぶようにして奥へと入れられた。マイツは両足で跳ぶようにして抵抗したが結局入れられ、シンは転んだ勢いで背中を付いて回り、牢の中で立ち上がった。
木製の格子の向こうで、扉が開かないように金属の棒が鍵としてはめられる。
脱出は不可能。そう言うかの様に南京錠の短い金属の擦れる音が鳴った。
「あんなに注意されたってのに、結局捕まるんだな……」
誰に言うわけでもなく、横倒しのままロンジは呟いた。
事は少し前の話だ。
尻軽男(ロンジ論)と害の無さそうな不審者(ナルス論)がいた馬車の元から少し進んだ木々の生い茂る少々暗い道での話。
道のど真ん中に女がしゃがみ込んでいた。
ひき殺すわけにも行かないので、馬車を止めて先頭を歩いていたマイツが女に声をかけた。
苦しくて歩けないのだと言ったので馬車に乗せて女を“行きたい場所”へと連れて行くこととなり、軽くおしゃべりをしながら女の言うとおりの場所へと連れて行った。
着いたところはまぁ、木造の普通に家。当たり前だが…
女がお礼をしたいというので、家の外に馬車を繋ぎ、のこのこと五人で入っていったわけだ。
で、家の中に人が通れそうな地下への穴がぽっかりと開いていて、これはなんだ?と聞いたら「行ってみなよ」と言われ、押し込まれたって話だ。
着いた先はまさにワンダーランド。なんと女盗賊達のねぐらでした。
笑い話にもならないが、あっさり捕まり今に至る。
しかも、今一緒にいるのがマイツとシンのみ。女と判断された二人はどこか別の所へと運ばれたらしい。
 
「ジェルナ様無事だろうか……」
「ま、大丈夫だろ。結構丈夫だし」
マイツが心配そうな声を発したが、ロンジは即答で失礼な言葉を放つ。多分本人は失礼とか思っていないだろう。
「二人、どこ、何、してる?」
この三人は人の心配どころではないのに二人の心配ばかりしているようだ。
「……仲間にしたりとかしないよな」
マイツの呟きに二人はそれぞれの感情を浮かべた顔でそのほうを向いた。
「い、いや、あくまでも予想だから……」
その顔の恐ろしさが否定をさせてしまう。
「二人、悪い、事、する?」
心配そうな顔のシン。考えつく先が幼児くさくてあまりのかわいさにマイツが頬ずりをする。
「やめろ、見ててキモイ」
ロンジがその世界を拒絶しようと目をそらした。ロンジとしては珍しい淡々とした声が刺さりでもしたかマイツが動きを止める。
「なんでだよ」
「図的にイヤだ。早く離れろ」
渋々とマイツはシンから離れた。シンは苦しかったのかほぉと解放されて深く呼吸する。
 
「……しかし、俺は二人が盗賊とか似合いすぎて怖いぞ。」
軽く身震いをするロンジ。
「特にナルっさんとか、長にでもなりそう……」
シンがそれに反応して肩を震わせて笑う。
「誰が盗賊の長ですか」
「さっき言っただ…ろ……」
言いながら後ろを振り向くと思わず固まった。
ナルスがいた。もちろんアレを握りしめて。
「いえ、俺は何も言っていません」
もう何も言えません。しかたないので見え透いた嘘をつく。
シンがまた笑う。多分さっきもナルスのことに気づいて笑ったのだろう。
頭の上を疾風が駆け抜けた。髪の毛がハラハラと数本落ちる。
「ホンット、すみませんでした。口が勝手に……いえ、軽はずみな発言をお許し下さい」
床に額をこすりつけるように土下座する。哀れとしかいいようがない
「あなたみたいな卑屈な兵士は知りませんわ」
見下しモード全開。恐ろしすぎて目も見れません。
「知らないだけのくせに」とかは言わない。ってか、言えない。
もう良いです。俺は卑屈の戦士です……
完全に沈んだ中、金属の擦れる音を聞いて我に返った。
「え?」
顔を上げると、格子の向こうの牢屋番が南京錠を閉めた後だった。
「あ、私達も牢屋行き命じられちゃった」
無駄にお茶らけるジェルナ。ってか、いたのか……
「それでこっちに……」
納得したというようにマイツが頷く。
 
「どこ、行ってた?」
ナルス達が縛られていなかったのを良いことに縄をほどいて貰う。
それなりにきつく縛られていたため、手首も足首も少々痛い。
「どこって……なんか賊長さんに会ってきた」
シンの問いに適当に応えるジェルナ。
「会って、適性テストするとか言われた」
「なんの適性だ?盗賊の仲間になるためか?」
知らないと首を横に振る。
シンに目配せするが見当もつかないというようにため息を付いた。
「良くは判りませんが、持ち物を奪われたのは確かです。私達は男どもに伝えておけと言われまして」
最後にマイツの縄をほどきながらナルスは口を挟んだ。
「なんと言えと?」
「お前らは売っ払うだけだから、と」
あまりにも率直すぎて、口をあんぐりと開ける。
「人身販売って事ですかね?」
「そう、ですね。荷馬車と一緒に売るそうです。明日」
「明日ぁ!?」
ロンジは素っ頓狂な声を上げた。
眉をひそめて、何が起こっているんだとぼやく。
「買い取り人が参られるそうで。いい時期にきたなとおっしゃってました」
まぁ、この穴蔵から明日になれば出られるようだ。が、どうなるというのだ。
「きっと、物好きなぶくぶく肥えた裕福なおっさんが綺麗な少女と少年を集めてるんだよ。指輪とか装飾品でごてごてな人で、綺麗な物を手短に置いておかないときがすまなくて……」
妙な偏見と妄想に任せて語るジェルナ。
あり得ないと笑い飛ばしたいところではあるが、正直な話、今、この状態でこんな話はやめて欲しい。本気で恐くなる。
 
「物語の読み過ぎですよ。ジェルナ様」
苦笑を浮かべながらマイツが遮った。
「えー」
どうしてと不満そうに顔をしかめる。
「どこの物好きが男を買うんだい?そういう人は女しか買わないでしょう」
「おい、ちょっとまて」
思わず止める。そういう問題ではない
「じゃぁ、どんな人が買うの?」
「もちろん労働者として雇うんだろうね」
的を射てはいるが、一概にそうだとは思えない気もする。
ロンジもまた、ジェルナと同じく物語で育った方だから似たような妄想を抱えていた。
 
「で、俺らは売られて姫さんらは?」
「多分一緒」
普通に言わないで欲しい。
「そんなに心配なさらなくても、明日になれば分かりますよ」
分かりたくもないが、どうしようもない。
ここは地下の穴蔵。出られるわけもないだろう。
買いに来る奴がとんでもない悪人ではないことをあり得ないとは思うもの期待しつつ、半分ふてくされて堅い寝床に横になった。
 
 
「おきな!」
強い声で呼ばれた。
光は小さな蝋燭のみだ。大して明るくない。
起きたくないので、体を縮め抵抗するが無理矢理、左肩を引っ張られ上体を起こされた。
 
いくら寝たかはわからない。
横になってしばらくは恐怖に取り憑かれていた。
結局ジェルナの妄想をロンジは更にふくらませていたという話だ。
 
「商人さんのお出ましだ」 
その声にやっと起きようと思った。
 
「え?」
「あぁ、お嬢さん達。やっぱり捕まってらしたか」
見覚えのある姿だった。
「馬車を見たときはもしかしてと思ったが、やっぱり」
うんうんと一人頷く商人。
褐色がかった肌に、少しつり上がった目。
うす茶色のコートに身を包む男はあの尻軽男だ。
「知り合いか?」
商人の後ろから女が出てきた。
盗賊の衣装と似てはいるが少し上等なところから見て彼女が長だろうか。
「いんや。あの蒼髪が僕の腹をいきなり殴っただけだ」
しっかり覚えていたようだ。
ほうと唸りながら、長はじっとロンジを上から下まで見つめた。
そのなめ回すような視線に一歩後ずさる。
「一撃でどこかとんでったさ。なかなかやるよそいつ」
ふうんと意味ありげに頬笑みながら長はロンジから視線を離した。
「さっさとうっぱらってやろうかと思ったが、ちょっと考えようか」
長はくるりと後ろを向いて、商人のお世辞にもたくましいとは言えない肩を叩いた。
「お、おい」
反射的に呼び止める。牢の枠から手を伸ばそうとすると、近くにいた見張りが槍を振りかざした。
長は訝しげに振り返る。
「なんだい?」
「俺らの荷物を返せ」
 
少しの間をおいて、長はクククと笑い出した。
「アンタ、バカか?」
バカじゃねぇ。と睨みつける。
今度は空を仰いで大きく笑い出した。
洞窟内全体に反響し、すごい音となる。
「いいね。久しぶりだよ、大抵は捕まった後は何もできずおびえ震えるか、放心状態の奴ばっかだったのに。面白い」
商人の肩を叩き、こちらを向けと指図した。
「気が変わった。売るよ。こんなのがいたら他の奴らにも伝染しちまう。そうなりゃこっちの商売もうまく行きそうにないしな」
笑いながら、値を決めろと商人の背中を叩いた。
「珍しいなぁ、こんなに機嫌がいい姉さんは」
わざとらしく商人はほざいた。
「何が商売だよ」
ロンジが吐き捨てるように呟く。
「ほう」
商人の後ろで、長が唇をゆがませた。
「こっちの商売にケチつける気かい」
「他人から盗んだもん売って何が商売だ、良いことなわけねぇだろ」
淡々とした様子で呟く。
「なんだ。盗むのを止めろと言いたいのか?」
「分かってるんだ」
ずっとおとなしかったジェルナが小さな声でささやいた。
かなり小さな声だったのだが、どうやら長の耳に届いたらしい。
腹を抱え、笑い出した。
「お笑いだねぇ
 お前らは仕事をして金を手に入れてるんだろ?それが正しいって?
 だったらあたしらも同じじゃないか。
 自分の力で物を手に入れて、何が悪いってんだ。
 ぶつぶつ文句言ってねぇで、とっとと失せな」
そう言って、長は二・三人の賊を連れて奥の闇へと消えた。
 
「君たちも運がないね」
長が消えたことを確認してから商人が呟いた。
「何でお前がここに……」
睨むような視線を送ると、ハハッと軽く笑った。
「買い取り人だよ。盗賊だって金目のもん盗んでも金にならなきゃ意味無いからね」
男はそう言いながら見張りから鍵を受け取った。
「で、君たちは買われる。運がいいじゃないか。馬車と一緒に売り払われたときは大体どこへ行ったのか分かるだろう?」
目の前で鍵を左右に揺らす。
「お前、いい加減にしなよ?」
奥の方でくつろいでいたマイツが起きあがった。
商人は鍵を振り回す手を止めて、握りしめた。
「商人の機嫌は取っておいた方がいいよ。君たちがどこに行くのか、今、僕の手にあるんだからね」
イヤな笑みが浮かんだ。
 
「心配は要らないよ。君達には高い値を付けてあげるから」
言われたところで嬉しくも何ともない言葉を掛けられながら、商人は牢の南京錠に手を掛けた。
 
「高い値が付いたら、奴隷船で一生漕ぎ手となったり、鉱山で命をかけて働く事も可能性としてはほぼないからね」
「……」
恐ろしいことをさらっと笑顔で言う奴だ。
はっきりいって、恐いが気持ち悪い。
 
がしゃんと音を立てて南京錠は落とされた。
商人は頭を低くして牢に入ってくる。
 
「残念だけど縛り直すよ。……抵抗したら後ろの奴がお前の首をはねる」
途中で、商人の目つきと声色が変わった。
言われたところを見ると、確かに商人の後ろには人影が有った。
今まで存在に気が付かなかったのは商人の話のせいもあるだろうが、黒ずくめの服装が暗い牢の闇にとけ込んでいたからだろう。
 
手には鈍く金に光る槍。その青白く光る刃はとぎすまされ、確かに人の首なんて根菜を切るみたいにコロンだろう。
 
「無駄な抵抗はしないようだね。有難いよ」
せっかく、ジェルナとナルスが結ばれてなかったことを良いことに手足を縛る忌々しい縄から解放されたと思ったのだが、その自由は半日も持たなかったようだ。
 
 
「そうだ、女の人達は残るんだね」
言われて、思い出す。
 
『お前らは売り払うだけだから』
お前らにはジェルナとナルスは入っていない可能性がある。
 
「な、なんで?」
「だって、捕まったの昨日でしょ?仲間にできないほどふぬけだった?」
予想外だねと呟く。
「やっぱり、仲間にするための適性とかだったんだな」
「結局何もしてないけどね」
「これからするはずだよ」
いきなり介入してきた商人のニコニコとした笑みを真っ正面からぶん殴りたいところだが、すでに手は縛られ、その紐でマイツと繋がっているので手は出せなかった。
 
「じゃぁ、お嬢さん達はここで待っててね。運があればまた」
「会う時点で運がないだろうがな……」
ふてくされながら呟くと、拳がとんできた。
避けられたとはいえ、繰り出したのは笑顔の商人。そいつがとても腹立つ。
 
牢のあった穴蔵から地上へ向かう際、慌てた様子の女盗賊数人とすれ違った。
うち一人が立ち止まり、きつい口調で告げた。
「商人!今外へ出るな!!」
「なにか、あったんですか?」
「魔物だ。長が……やられた」
「なんだって?」
商人がそう言ったが早いか、紐で引っ張られ、ふてくされながら歩く横を疾風が駆け抜けた。
――――黒ずくめの槍使い
「待て!お前一人じゃ……」
商人が止めようとしたが、すでに声の届く距離では無さそうだった。
「くっそ」
悪態を付きながら走り出した商人。
その手に紐は握られたままなので転びそうになりながら仕方無しについていく男二人と少年。
 
「速く走れ!」
「やってる!!」
階段は高くまで続いている。
それまでにアリの巣みたく横にそれる道がたくさんある。
一瞬商人が手をゆるめれば、逃げることなど容易だろうが意地でも握っている状況からして、逃げることはできなさそうだ。
 
 
やっと地上に出た。
やはり逃走は不可能だったが、逃げなくて正解だった。
 
「あらぁ?兵士様じゃないの。女王様はどちらかしら?」
路上で槍使いを相手にしていた魔物がこちらを見た。
……あいつは
「……シェラフ」
「やけに無様な格好じゃない」
クスリと笑われ、恥ずかしいような気もしたのだが、押さえつけてじっとシェラフの方を見つめた。
「私を追いかけてたみたいね。こちらからで向いたって言うのに肝心の姫様がいらっしゃらないなんて」
「ふざけたことを」
 
ロンジとシェラフが睨み合う中、槍使いが隙を見て攻撃を仕掛けた。
槍を避けると同時に、かなりのスピードがあった槍の柄を素手で掴み、止めた。
「人の話ぐらい聞いたらどう?勇敢な方」
フードを被った槍使いから殺気を感じる。
ここから数メートル離れているというのに、この殺気は何かおかしい。
が、シェラフの方も気では負けていない。
禍々しさが、空間に穴でも開けそうなほどその二人の間に漂っている。
 
と、動いたのは槍使い。
長い槍を担ぐようにして勢いよく体を丸めその柄を握るシェラフを飛ばそうとでもしたのだろう。だが、力と重量が足りない。
技は完全に失敗した。
クスリと笑うシェラフの左手が変化した。
いつか見た、紫の毒。
右手では槍を掴んだままだ。
「槍使い!毒が飛んでくるぞ」
思わず忠告が口から出た。
わかっている、と声が聞こえた気がした。
近距離から打たれる毒を槍を握る手を軸とし器用な身のこなしで避ける。
「なかなかやるようね」
余裕の笑みだ。……楽しんでいるのか?
「これなら、どうかしら?」
紫の毒はひも状にのび、槍をつたい槍使いを襲う。
やむを得ず、槍を手放すが毒の紐はしつこく追ってくる。
器用に避けるのだが、だんだん動きが鈍くなってきた。
 
「−−−ッ!槍使い、左から出ろ!その場から離れるんだ」
避けているだけでは無理だ。
紫の糸は徐々に槍使いを覆い尽ってしまう。
しかも、その紐が少しずつ太くなり、球体を作り始めている。
無理だ、と言う声が聞こえた。
その一瞬で球体は完成してしまった。
「さぁ、特性の毒の檻よ。気分はどうかしら?」
クスリと笑った後で、槍使いから奪った槍をこちらに向けた。
「お次は誰かしらね?」
 
「おい、ルシェを離して貰おう」
商人が声を上げた。
「ルシェ?」
「お前が今戦った相手だ」
毒の檻を指さし、シェラフの方を睨む。
「あら、だめよ。せっかく捕まえたのに」
ふざけんなと悪態を付く。
「どうしても返して欲しいなら……そうね、女王様でも連れてきたら?」
「女王?」
「そう、後ろの罪人達なら知っているわ」
商人とシェラフの目がこちらに向けられた。
怯むことなくマイツが口を開く。
「何故、ジェルナ様なのでしょう?」
「クスッ。もちろん、罪悪感を背負わせるためよ」
意味ありげな言葉。
「早くしないと、檻の中の可愛い子が二度と見れない姿になるわ」
「どういう……」
「言ったでしょう?毒の檻だと」
商人は愕然とした。
 
 
「……協力しろ、お前ら。うまくいけば自由の代金としよう」
しかめた面の商人がマイツに小さな声でささやくのが聞こえた。
「本当かな?」
「当然だ」
マイツが振り向きこちらに笑みを向けた。
その手からはらりと切れた紐が落ちる。
「隠しナイフ、持ってると便利さマイドール」
そう言って見せたのはコートの袖に隠れる刃物。
そんな物持っているなら早々に使えと言いたかったが、そう言えば檻に入れられてすぐ、ナルス達が来る前からひとりでに奴の縄だけは解けていた。
何でつっこまなかったんだ、俺……
「坊主、ジェルナ様を出してこい」
シンは頷き、マイツが商人の腰にぶら下がる鍵を奪って投げた。
「それと、マイドール、武器を取ってきてくれるかな?」
「向こうの小屋にある。馬車と一緒のハズだ」
商人がこちらを見ずに右手だけが後ろを指さした。
 
「……分かったが、お前はどうする?」
「マイドール、人の心配より自分の心配さ」
バカにされたようなのだが、マイツなら大丈夫だ。
 
何を持っているのかさっぱりだからな。
 
第7章
檻に残され呆然と立ちつくしていた時、彼女たちが現れた。
「魔物が来た。長からの言付けだ」
慌てた様子の彼女たちが息を切らせながら一言呟いた。
 
『出て行け』
 
「な、なんなの?」
「長は知っている。あいつとお前の関係」
「出て行け。二度と戻ってくるな」
「ちょ、ちょっと」
戸惑うジェルナを余所に一人が南京錠を床に落とした。
扉を開けるときびすを返し、闇の中に駆けていった。
 
「お嬢様」
「……何?」
「あの長というものはただ者ではありません」
「そんなのわかってるよ、初めに会ったときから」
扉を開けて、牢から出た。
出て行けと言われても、どこをどう進めば出口に出るのかわからない。
 
初めて会ったときから、この盗賊団の長からは不思議な何かを感じていた。
言うなれば、そうだ。
じっと見られているような、心を読み透かされているような感覚。
 
「姫、様」
声が聞こえ、振り向く。
暗がりの中に小さな人影が見えた。
「シン?」
呼気が乱れているわけでも汗だくでもない。
しかし、全身から焦りが見える。
珍しい……そして、
 
イヤな予感
 
「大変。あいつ、シェラフ、だ」
「しぇ……ら」
目の前が崩れるような感覚。
 
「マイツ、姫様、呼ぶ。早く、行く」
「行きましょう」
シンに急かされ、ナルスが崩れそうなジェルナを支える。
「……うん」
 
震える足を、無視したい。
耳をふさぎたい。目を覆いたい。
だけど−−−
 
 
 
確認しなくちゃ
 
 
 
 
以外とすぐに洞穴からは出られた。
そして、光に目をしかめる間もなく彼女の姿をこの目が捉える。
 
「ごきげんよう。王女様」
鼻にかかったしゃべり方。
昔の彼女なら絶対にしないだろう。
 
「シェラフ……また、あなたね」
クスッとバカにされたような雰囲気の笑いを浮かべた。
 
「さて、役者はそろったけど。私を退治でもするのかしら?」
 
周りを見る。
隣にシン・ナルス。
遠くにマイツと例のいけ好かない商人。
「……ロンジは?」
不安がそのまま声に漏れた。
「心配ないさ、ジェルナ様」
マイツが頬笑みを後ろに向けてきた。
「マイドールは今パシリだ。あぁ〜昔を思い出すねぇ」
敵を目の前にしているのにこの男は……
まぁそれがマイツだと適当に流しておく。
「それよりも心配なのはアレだ」
そう言ってマイツが指さしたのは紫の球体。
楕円形をしたそれはかなりの大きさがある。
 
「そいつの中に一人とらわれた。早く助けないとまずい事になりそうだ」
後ろを振り返ると両手にかさの高い物を二・三個抱えたロンジがいた。
「早いね、マイドール」
「けっ」
持ってきた物のうち、大きな革袋をマイツに向かって投げつけた。
「さ、戦闘開始だ」
ほれ、とシンに剣と弓矢。ナルスに鞄を渡す。
眉をハの字にして苦笑を浮かべるとすぐに真剣な顔になり走っていった。
 
 
 
「相変わらず、騎士気取りなのね。門番くん」
「うるせぇ」
マイツと並んだロンジに向けてゆがんだ頬笑みが向けられた。
 
「早く、そいつを離せ」
 
先ほどまで、うねうねと形を整えるためにうごめいていた紫の牢獄は、動きを完全に止めている。
その中で、一体何が起こっているのか全く見ることはできそうにないが、見当はつく。
 
奴のことだ、意味もなく毒の中に閉じこめるなんて事はない。
殺すのが目的ならすでに殺しているだろうし、
動きを封じるだけなら、この前みたいに魔物を放っておけばいい。
 
あの黒の槍使いを見られない姿にするのが、奴の目的だった……
 
「シン、撃て!」
 
指示されるのがわかっていたかのように声と同時に疾風がすぐ脇を駆けた。
毒の楕円は右半分が持っていかれ、消滅した。
 
内側に人の姿を確認した。
 
地上数十センチで浮かんでいた槍使い。
ぐったりとうなだれたその姿は、次の瞬間には吊っていた糸が切れたようにゆらりと崩れ落ちた。
 
全く倒れる音がしなかったのは、地面に体を打ち付ける前に、いつの間にか隣にいたはずの商人が槍使いを支えていたからだ。
 
「これくらいではこたえないとでも言いたそうね」
商人を含む一行の安堵がシェラフに伝わったようだ。
「だけど、残念。救うには少し遅かったんじゃない?」
くつくつと喉の奥で笑う声が、やけに耳の中で響いた。
 
「シェラフ!」
ジェルナの声に見上げると、シェラフは青い空の中にかき消える直前だった。
「待って!!」
ジェルナが何故引き留めようとしたのかは解らないが、空に浮かんだシェラフの顔はいつもの悪人顔とはかけ離れた物だった……気がした。
 
 
 
 
「ルシェ!」
商人の焦りを含んだ声が再びジェルナ達を現実に引き戻した。
 
ぐったりと商人の腕の中で動くことのない槍使い。
毒気にやられたのか、黒いコートの裾はボロボロである。
 
商人は、槍使いのフードを外した。
一番最初に目を引かれたのは一つに束ねられた綺麗な青の長い髪が姿を現したこと。
二つ目は覆面と、目隠しが邪魔で顔は全く見えないこと。
 
何故そんな物をしている……
 
「死んじゃぁいない」
でも、死ぬのは時間の問題。と、続けたかったのかもしれない。
ぼそりと呟いた商人の声は、無感情に見せかけて悲しさをたくさん含んでいた。
声が涙を含んだらこんな声になるのかもしれない。
情けない、声だった。
 
ゆっくりと目隠しを外す。
右のあたりを中心に肌が焼かれたようにただれていた。
 
続いて覆面。
その下から現れた頬に、絶句した。
右半分はただれているのだが、それ以上に目を引くのは左頬の入れ墨。
 
覆面が外されて初めて気が付いたのだが、槍使いは女だ。
しかも、若い女。
ただれているのは今の毒のせいだとして、その美しい顔にあまりに大きな入れ墨が入っているのは驚き以外の何でもない。
 
「私が、治すよ」
言い出したのはジェルナ。
いつか見た光に両手を輝かせながら、商人に近付く。
正確には、槍使いにだが……
 
怪訝そうに顔をしかめたが、ジェルナのまた訳の分からない気迫に押されるようにして、槍使いに触れることを許した。
 
ハシュと、間の抜ける音がする。
一瞬で、ただれ、紫に変色した槍使いの顔が色の白い綺麗な肌になった。
「治癒完了」
ジェルナが商人に頬笑みを向けると、相手も、気が抜けたように笑った。
「お前、一体何モンなんだろう……」
苦笑混じりの言葉だった。
 
 
シェラフに襲われたという長は「やられた」ときいていた割にぴんぴんしていた。
「別に大したこと無いんだけどさ、腹だから奴らが騒いだだけだ」
とあっさりと述べてくれた。
「じゃぁ、傷は……」
「気合いで塞いだ」
なんとまぁ丈夫な人だろうねオイ。
「懲りたからさぁ、早く出てってくんない?」
「お金貰っておきながらよく言いますねぇ、姉さん」
ハハハと商人と長は乾いた笑い声を出したが目は二人とも全然笑ってない。
笑ってないから笑い声も乾いているのだが……
 
 
「そういや、約束だろ?いい加減かえしてくれないか?」
「約束?」
商人は怪訝そうに聞き返す。
「忘れたとは言わせねぇ。槍使いを助ければ自由の身とするってお前は言ったはずだ」
さっきまでの哀しそうな顔又は安堵した顔とは一変して、嫌らしい笑みを浮かべ、クツクツと喉の奥で笑いだした。
「馬鹿だな、信じちゃったのそんな話」
「はぁ?」
「知らないのかい。この世界では美しい女性と欲深い商人の言うことは信じちゃいけないんだよ」
唖然となるが、そんな言葉一つで約束をふいにされてはたまらない。
「あと魔物の言うこともかなぁ」
楽しそうに付け加えるが、こっちは真剣である。
「て、てめぇ……」
 
「まぁまぁ、落ち着きなよマイドール」
割り込んできたのは無駄に落ち着き払ったマイツ。
「その女の子、クライメオスだよね」
商人から笑みが消えた。
「教えなよ、どうして連れているのかな?」
「どっ、どうだっていいだろ」
ぷいとそっぽを向いた。
さっきまでとは違いまるで悪戯を隠す少年のような仕草。
一体何のことを言っているのかロンジにはわからず、口出ししたいのにできない状態だった。
この状態で、何のことを言っているか理解できているのはマイツと商人だけである。
「いいわけないじゃないか、気になるからね。そんな格好の女の子を見かけたら当然だろう」
すると商人の目が急に強気になった
「ルシェは自分から好んでこの姿だよ。僕のせいじゃないからね」
 
自分から望むって何でまたそんな格好を……
覆面をすると息苦しいし、目隠しなんてしたら目は見えないし
……そう言えば何で槍女はあの格好で魔物と戦えたんだろう
 
「服装の話じゃないよ。いくら商人とはいえ、君はまだ出たところだろう?」
「何が言いたいんだい」
平静を装っているが雰囲気から焦りが見れる。
表面下では結構な戦いなのかもしれないが、いったい何の事だかさっぱりといってわからない……
ジェルナ達が静かなのも多分、ついていけないと諦めて病み上がりの槍女の看病をし始めたからだろう。
「入れ墨の話だ」
「入れ墨?そんな物文化によって多く取り入れられているだろう」
「そうじゃない」
「じゃぁ何だ」
「そんな綺麗な入れ墨は今の技術じゃぁ不可能に等しい」
マイツの言葉に眉をひそめた。
何かを考えているように見えるが、暫くして諦めたようにため息をつきながら口を開いた。
「……そうかもな」
 
「ガキの商人は考えを隠すのが下手だからな。君、もうちょっとがんばりなよ。人の言葉にいちいち百面相してたら駄目だからね」
遠回しな“勝利”宣言だった。
「こっちはチンプンカンプンだっつうの」
「マイドールは世間知らずだから」
馬鹿にされて怒っている場合ではないがやはり怒っておかないといけない気がして仕方なかったのでとりあえず腰の辺りをつねってやった。
「痛ッ……マイドール。やることが少女のようだな」
「やかましい」
 
第8章 商人と女
「さて、それはそれでおいておくとして」
いきなり話を変える体制に入る。
何をおいておくのかはマイツにしかわからないだろう。
「いろいろ聞かせてくれないかな?君たちのこと」
「……言ったところでこっちには何も利益がないしね」
駄目だ……こいつ
 
しかし、いきなり眉をひそめ考え込む素振りを見せる。
「そうは言ってもさぁ〜」
呟く商人は槍女の方を向いていた。
「……わかったよ」
はぁ〜と大きくため息をついてこちらをむき直す
「ルシェの特別な計らいだ。次は無いと思いなよ……」
 
 
立ち話は時間の無駄だと、商人は自分たちの大きな馬車に全員を乗せた。
ちなみに、荷物は返されたが馬車が返ることはなかった。
それだけでも、”おおまけ”とのことだ。
 
「今更だが、俺の名前はアルム。アルム・リズ・ロンド。こっちはルシェ・ド・マランだ」
紹介されたがアルムは御者台の上でこちらを向かない、ルシェの方は座ったままぴくりとも動かない。無礼きわまりない奴らだ。
「ちなみに、君たちの事は聞いているからね」
ジェルナが名乗ろうとした矢先にとめられてしまった。
「肌の色から見て、少数民族の一つか?」
「その通りだね、おじさん」
おじさんと呼ばれた事にマイツ本人は全く気にしない様子だったが、ロンジが笑いをこらえられず、肩で笑っていた。
「……続けるよ?察しの通り僕は地図で言う端っこの方の島生まれさ。両親は小さい薬屋をしてる。でもこいつは違う」
そう言って親指でルシェを指さした。
「こいつは島長に拾われたんだ。長は子供がいなかったからね。どこで拾われたのかは知らない」
ルシェは小さく頷いた。
「小さい島だから、僕には同じ年頃の相手がいなかったんだよ。だからずっとルシェと遊んでた……言っておくけど、そのころはちゃんと目も見えたし喋れたんだがね」
 
 
「で、何から話せばいい?」
「え?うーん……」
 
「クライメオスって、なんだ?」
ジェルナが考える素振りを見せるのを無視してロンジが口を挟んだ。
すると、機嫌の悪そうな声が返ってきた。
「君たち、知ってるんじゃないの?」
何が、と言いかけて気付いて止めた。
「あぁ、あれ、当てずっぽう。君が言った言葉の受け売りだよ、残念だったね坊主」
 
沈黙が流れた。
多分アルムは怒っている。
 
「……亜人種の一種という分類がされているね」
まんま不機嫌な声が言った。
「普通の人と見られがちだが、実際いろいろ異なると聞いたね。主な特徴として、髪の毛が青いことがあげられるらしい。その人数はとても少ないし、世界中孤児として現れているようだが、誰も確かな事を知らなかった。僕が知ったのはそういう種族の存在と名前だけ。残念そうだね?」
別に残念というわけではないが、気になってきた。
 
商人の不機嫌な声が元に戻ったのは、話したことで吹っ切れたのだろう。
次に不機嫌になっていたのはロンジだった。
俺が……亜人種だと?
声にならない声で呟いた言葉は誰の耳にも入ることなく口の中で消えた。
 
 
 
「ウゲッ!!」
何事もなく談笑の中を走り続けていた馬車だが、アルムの声に、皆前に向いた。
左右と後ろの方から多数の馬の足音が聞こえる。
「貴様ら、ここを誰の領地だと思ってやがる!!」
「にゃろ、新参かよ……」
また賊に遭遇したらしい。
「お前らは知らんかもしれないがな、ここは女盗賊シルリアの土地だよ?」
「知ったこっちゃないね。三日前からここは我らの土地だ」
アルムの反論もそよ風に同じ。
若い男の声が典型的な言葉を叫ぶ。
「命が惜しくば、金目のモン、全部おいていきな」
 
「……いやだよ。ルシェ!」
うん。と頷くと、手元にあった物を掴み。御者台に座るアルムの隣に跳んだ。
「皆さん、しっかり捕まってくれなきゃ命がなくなりますよ」
幌の中へ叫ぶと、立ち上がりルシェに渡された物を構えた。
と、馬車は大きく揺れた。馬がスピードを上げたのだ。
戦闘態勢に入ろうとしていたロンジとシンは大きく転ぶ。
 
「心配要らないよ、マイドール。ここは彼等に任せれば良いんだ」
 
 
 
ガタガタと車体を揺らしながら速度を上げてゆく。
その音と車輪のきしむ音、そして数頭の馬の蹄が立てる音に混じりパンパン、と乾いた音が二回した。
 
幌の後側から、落馬する二人の青年が見えた。
 
どうやら、アルムは遠距離攻撃ができるらしい。
 
ルシェにひかれる馬車は更にスピードを上げる。
そして、賊との差は遙かに開いた。
 
「よし、もういいだろッテ、ルシェ。止めろ、止めろー!!」
アルムの叫び声を流しながら、いきなり馬車は右へと曲がった。
あまりに急なので、幌内は大地震も良いところだ。
品物か何かは知らないが、あらゆる物が左右への大騒ぎだ。
 
 
 
やっと揺れに揺れた馬車は止まった。
ルシェが御者台から駆け下り、少し後ろまで走っていった。
……アルムが倒れていた。
 
おおかた、先ほどのカーブで振り落とされたのだろう。
 
「だから、止めてくれって言ったのに……」
打ち身などの様子はなく、普通に立ち上がったが何だかやつれて見えた。
 
「大丈夫ですか?」
「慣れてるからね。心配には及ばないよ」
何事もなかったかのように馬車に戻ってきたアルムにジェルナが心配そうに声を掛けた。
横でルシェはすまなさそうにしている。
「わかってて任せたから、別に良いってば」
声には聞こえないが謝っているのはわかった。
 
「慣れているって事はいつもやっているようだね」
「あー、まぁね。ルシェがやるといつもやりすぎるから」
アハハと笑って済ませるようなことではないだろうが、済ませるつもりらしい。
 
「新参者は困るよね。誰に許可を得て勝手に盗賊名乗ってるんだって」
「困り方が、何か変な気が……」
「気にしないでよ、こっちの話だから」
「……変」
シンにまで言われ、困り顔のアルムだったがマイツの問いに元の様子に戻った。
「で、坊主の武器って何なんだ?変わった物だな……」
「あー、これ?これはさ、ガンだね」
「ガン?」
「そ、数は少ないけど便利な道具だよ。
弾を撃つ、いわゆる飛び道具の発射装置だね」
 
鉄の筒に、木で補強と持ち手がなされている。
「火薬を使えば、もっと破壊力が出るけど殺しに使うつもりはないからコルク栓を使ってる。結構イタイヨ?」
「あの距離をとばせるんだから、近くで撃ったら体を貫通しそうだが?」
「撃ったこと無いから知らないよ。弾ももったいないしね。
剣より軽いし、人を脅すにはこっちの方がいいよ。使い方によっては割と安全だし
弾切れだけがちょっとねー」
軽い調子で言うが、なかなか恐ろしい奴だ……
 
 
 
第9章 
全員が疲れからかぐったりしている。今日はいろんな事が有りすぎた。
 
 
……あのさ。もしかして、私の声、聞こえてる?
 
そんな静かな馬車内に控えめな、しかし気の強そうな女の声がロンジの耳に入った。
それは、ジェルナの声でなければもちろんナルスやシンの声でもない。
 
はっと顔を上げてみると、ルシェがこちらを向いていた。
「どうした?ルシェ。誰に話しかけているんだ?」
アルムが振り返る。
 
「お前……」
聞こえてるんだね。
 
覆面をしているが、わかる。彼女の口は全く動いていない。
声も発せられていない。
「ルシェ?」
アルムが心配でもしたのか身を乗り出してきた。
 
ううんアルム、何でもないよ。
「そうか?」
言葉は納得したといっているが、怪訝そうな目がこちらを向いていた。
 
「そうそう、宿が見えたが、この辺で良いよな」
車内で各々が頷くのを確認し、馬車は少し道をそれた。
 
「宿代は……無いよな。当然」
「盗っておいてそれはないだろうが」
「盗るとは失礼だな。第一、僕がしたわけじゃないね」
それもそうなのだが、やはり納得いかない。
とりあえず、ため息で返事をしておいた。
 
 
なんだかんだ言いつつもアルムが奮発してくれたらしく、部屋は一人一部屋あてがわれた。
 
床で寝ろとか言われなかったのが本当に嬉しいのは俺だけだろうか。
 
狭い部屋だったが、宿自体寝るための場所だ。
それ以上でも以下でもない。
しかし、割と規模のでかい宿だ。
個室ばかりが二十部屋だった。
 
「その半分近くも俺らの団体が使ってる訳ね……」
そんなに多かったっけと確認する。
 
初めはシンと一緒にいた。
次にジェルナを助けに行き……
城を出てすぐにナルスと再会した。
隣の国でガダルと出会い。約束をし
その次の国からマイツがいる。
海を越え盗賊に襲われ、
今、商人の二人とも共にいる。
 
意外と長い旅だな。
 
時間的にもそれなりに経った。
でも、何も前進してない気がする……
 
「あー。いつまで続くんだ」
これまでのことを考えて、これからのことを考えるとげんなりする。
しかし、このたびの終わりが近いとは全然思えない。
昔、家出感覚で旅に出ようかなと考えていたとは思えない状態だ。
 
とまぁ、想像に浸っていたのだが
突然の派手なノック音で現在へと戻される。
「誰だ?」
返事はなかった。
 
扉をそっと開いてみる。
誰もいない……
少し見渡してから、扉を閉めようとすると小さな手がズボンのポケットに入り込んでくるのが見えた。
 
「離せよ!」
かなり速かったので捕まえられるか不安ではあったが、しっかりと褐色の細い腕を掴まえた。
 
「黙れクソガキ」
小さな少年だった。
手にはロンジがポケットに入れっぱなしで忘れていた飴玉を握っている。
反抗的な目がこちらをみた。
「……あ」
こちらを視認すると、その少年は目を丸くした。
その顔に見覚えある気もした。
「飴玉の兄ちゃん」
……いや、あったことがある。
船から下りたときに、先に船を下りた一行の居所を教えてくれた少年だ。
 
「お前、なにしてんだ……」
「兄ちゃんこそ。なんでまた飴玉持ってんだ……」
おおかた、ポケットがふくれているんで金目の物が入っているのだと思ったのだろう。
 
 
 
「そういえば……」
口を開いた途中で何かを思いだしたのか、いきなり顔が青ざめる少年。
「兄ちゃんがここにいるって事は、金髪のおばちゃんもいるのか?」
肯定すると、更に挙動不審になる。
「わ、悪いな兄ちゃん。これ、返すぜ」
そう言って、飴玉を投げると、ダッシュでその場を去った。
「不用心に扉を開けてんじゃねーぞ」
じゃぁなという言葉が聞こえる頃には、完全に姿を消していた。
ナルスが一体何をしたのか、聞く気にもなれなかった。
 
 
また時間をおいて、ノックが聞こえた。
今度はだいぶ控えめだ。
「誰だ?」
今度も返事がない。
また少年が戻ってきたのだろうかと、今度はわざと部屋に置かれていた紙をくしゃくしゃに握り、ポケットをふくらませて扉を開けた。
 
……
扉の前には、ルシェが静かに立っていた。
覆面をしていない彼女の顔が真っ直ぐとこちらを見る。
「え」
開けた扉からずかずかと室内に入ってくる。
 
聞いて欲しいことがあるの。
室内の椅子に腰掛けると、目隠しの下からこちらを真っ直ぐみた。
 
為すすべもなく、扉を閉めると、向かい合うようにベッドに腰を掛けた。
おもむろにピアスを外し、また話しかけ始めた。
私の声、聞こえてる?
「あぁ」
夕方と同じ問いを繰り返され、戸惑いながらも返事をする。
よかった……
口元に優しい笑みが浮かんだ。
 
 
私ね、直接話すことも見ることもできないからアルムに頼りっぱなし
 
いきなり何を言い出すのかと思えば……
 
聞こえてるよ
「え゛」
 
向こうが声に出さなくても、伝わるように、こちらも伝わるらしい。
下手なことを考えられないな……
 
そう、いつも私はアルムと一緒。このピアスをつけている限り。
初めは思考を共有するのが怖くて怖くて……
言って、外したピアスを机の上に置いた。
 
「いきなり身の上話されてもなー」
そ、そうだね
私、アルム以外の人と直接話すの久しぶりで嬉しくて……
照れたようにうつむいたのを見ると、ちょっと冷たかったかと反省もする。
 
「ところで、思考を共有するって?」
あ、それはね……
私、目が見えないし話せないからアルムの一部を借りて直接アルムから情報を貰うの。
「それで、話せるのはあいつとだけってか」
うん。
ピアスは秘術商人から買った物なんだけど、
それのおかげでそんなことができるの。
 
良く判らないので、へーっと適当に相づちを打つ。
 
でも、これをつけてなきゃ。アルムとは会話できない。
「で?何故、今これを外したんだ?」
それは……と言葉を切って俯いた。
これから言うこと、アルムに知って欲しくないんだ。
 
 
第10章 
ルシェは自分が声を失った原因について話し出した。
アルムの家で遊んでいたとき、誤ってビンを割って中にいた妖精に呪われた。
要約するとそんな内容だった。
妖精なんて伝説だろうと鼻で笑おうとするとルシェは哀しそうな顔をした。
 
 
−−−妖精の精製。
アルムのお母さんの研究だったんだって。
でも、訳あって公にできないからアルムも知らない。
 
妖精の精製にはクライメオスが必要なんだって。
 
その言葉に、思わずルシェを凝視する。
 
島長が言ってた。
青い髪の亜人種の体に寄生して初めて妖精は完全になるって……
でもね、妖精が私の喉を食い破って、中に巣くったことを知ったら、島長は術をかけてくれた。
妖精の活動を止める術だよ。声を失っちゃったけど、仕方ないよね……
そう言って、ルシェはコートを脱いだ。
何をするのかと思えば、喉元に入れ墨があるのが見て取れた。
「封印の入れ墨か?」
聞くと、うっすら笑みを浮かべた。
そうだよ。左顎のも同じ。
 
「目は?」
目?
目は最近だよ。初め、視界がボヤーッとしてそのうち何も映さなくなって……
「それって、本当に妖精を封印したのか?」
え?
 
島長やそのアルムの母親とかが何を企んでいるのかは知らないが、寄生とか何とかなら、割と怖い話だ。
同族……とは思えないのだが、同族に対する心配なのかもしれない。
 
「もしかして、だな。もしかして、順調に寄生を続けさせる術だったら……」
怖いこと、言わないでよ……
それもそうだなと、いったん打ちきった。
 
不安、なの……
何が、と言おうとしてさっきの話をまた持ってきたのだと思った。
「寄生?」
うん。
「でもまー、しちまったもんは仕方ねーだろ」
……無責任だね。
「そうかもな」
あなたが同じ目に遭わないことを願っておいてあげる。
「そうだな、それは頼む」
怖いことを言い出す。本当に。
素直に頼みたい気持ちだ。
頼むんだ
くすっと小さく笑った。
 
ずっと誰かに聞いて欲しかった。
「何故」
何となく……
「不安だったって?」
そう……だね。
「いいのかよ、無関係の俺にそんなこと話して」
座って聞くのにも疲れた。
ベッドに四肢を投げ出すように横たわる。
 
無関係だからだよ。多分。
「そーかい」
ゴメン、邪魔して。
「別に」
うん。ありがとう。ゴメンね。
じゃ
「あぁ」
 
扉の閉まる音を聞いて、張っていた緊張感のような物が消えた。
全身を疲労感が再度襲う。
動く気にもなれず、その場で深い眠りに入った。
 
 
 
翌朝、すっかりと気分も良くなった。
窓から入る光が眩しい。
ふと、視界の端にその光を反射する物を確認した。
 
「ルシェの奴……」
ピアスを忘れたままだった。
机の上に置きっぱなしのそれを手に取ると、叫び声のような声が聞こえた。
聴覚的にではなく、直感的なそれでだ。
その頭に直接響く声は大音量でルシェの名を呼んでいる。
 
……アルムだ。
黙れよ。と思うと、ぴたりとその声は止んだ。
 
しまった……
 
これは思考を共有する道具だ。
そして、気付いたときにはもう遅かった。
 
てめぇ、ルシェに何しやがった!!
何もしてない
嘘だ。なら何故お前がそれを持ってる。
関係ないって
大ありだ。
 
幸い、直接触れなければ伝わらないらしい。
ポケットに入れていたくしゃくしゃの紙で包むと、アルムの声は聞こえなくなった。
 
ルシェ、今ならお前の気持ちを理解することができそうだ……
 
 
ため息をつき、その荷物を持ち主の元へと届けに走った。
 
 
 
宿の受付にアルムとルシェ以外そろっていた。
「……あいつは?」
「アルムさんなら怒りながらあなたを起こしに行きました」
ナルスが丁寧に説明してくれた。
どうやら入れ違いになったらしい。
助かった……
「で、ルシェの方は」
「ルシェ、いる」
シンの指さす方向にいた。
入り口の扉にもたれ、うつむき加減にじっと立っている。
 
声を掛けると、こちらを向いた。
フル装備だと、正直こっちを向かれると嫌である。
それが伝わったのか、フードを外し、申し訳なさそうに頭を掻いた。
少し反省。
 
「そうそう、これ」
あ。忘れてました……
「あいつ、かなり怒ってたぞ」
それもそうですよね。やっぱり
苦笑が伝わってくる。
お前も大変だなと、言葉を出さずに言ってやる。
照れたように俯いた。
 
「なるほど、昨晩の相手はその子だったわけだ」
背後から掛けられた声に嫌な予感がした。
マイツ、お前は何を言い出すつもりだ……
 
「なにかあったの?」
そして首を突っ込むなよ姫さん。ややこしくなる。
「いやね、マイドールの様子が変だったから遊びに行ってやろうとしたんだが、先客がいたようでね」
……くんなよ馬鹿。
「入っていくのは無粋だと思って、扉に耳を当てて聞いていたんだが……」
「どう考えてもそっちの方が無粋だろ」
まぁまぁとなだめすかすマイツ。続きを聞けとのことだ。
「マイドールの声しか聞こえないんでね。独り言にしては変だなーとは思っていたんだけど」
「だけど?」
「衣擦れの音がしたからサー」
……?
「誰か連れ込んでるんじゃないかって」
こいつ……
「着替えとかじゃなくて?」
「あんな音はしないですよジェルナ様、見てよあの服。よれよれだろう?」
「だからなんだっていうんだ」
「襲った?」
ストレートな聴き方されては、戸惑う間もない。
ただ呆気にとられていた。
と、左右前方あたりから白い目が向けられていると悟った。
「お前ら、馬鹿だろ」
久しぶりに強烈な頭痛が来た。
でも、今回はしっかりとした反応ができたと思う。
焦って更に誤解を招くような真似は二度としない。
 
「き、貴様!!」
そしてそんなタイミングで帰ってくる、馬鹿一人。
「ルシェを手に掛けたのか!!」
「だーかーら、誤解だって。オイ、マイツ話聞いていたならわかるだろ」
「いやぁ……音聞いた時、ナルスさんが起きてきたからまずいと思って離れてた」
そんな馬鹿な。
 
この状態では、ルシェの助けがなければ助かりそうもない。
が、ルシェが言ってもどうしようもないかもしれない……
 
 
旅の先の話より、俺がこいつらから解放されるかが心配である……
 
 
 
 
 
勝手な誤解をしていた奴らは、勝手に誤解を解いて解散。
まったく、面倒な話だ。
 
ゴメンなさい。私のせいですね。
「いーや、別に。そうでもないさ」
じゃぁ、普段から疑われるような人なんですか?
「どーいう意味だ、それは」
会話をしているとちゅうで、はっと気付く。
 
テーブルを囲んで朝食を取っていたのだが、ルシェ以外の手は止まりこちらを凝視している。
そう、ルシェの声は聞こえていない。
つまり、周りにとっては独り言のように聞こえるのだ。
 
あぁ、何だろう、この言いようのない悲しみ。
やっと誤解を解けたと思えば、次は可哀想な目で見られる始末。
俺、何かに呪われてんのか?
 
「よぉくわかった」
隣に座るマイツが肩に手を置いた。
「マイドール、君は何か可哀想なことになっているね」
 
わかっているなら、もう声を掛けないでくれ……
 
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