虹の待つ森へ 
 
第1章
「僕らはもう行くよ。君たちはどうぞご勝手に」
御者台に乗り込むと、アルムは帽子をかぶり直した。
「あぁ、勝手にさせて貰うよ」
吐き捨てるような言葉だったが、相手が気にしている様子はなかった。
 
「あ、そうそう。隣町まで歩いて六日はかかるから覚悟してね」
帽子の下で、どこを見るともない目がしれっという。
「この辺浮浪者多いから、荷物の警備はちゃんとしておいた方がいいよ」
それは単なる忠告か、守るべき荷物がたいしてないことに対する嫌味か。
もう、こいつは嫌いだ。
 
「身柄を拘束されても心配ないよ。人身販売を受け持つ商人は少ないから、このあたりなら僕の所に戻ってくるさ」
「……それのどこが心配いらないんだ」
「うーん、一生を通じて働き甲斐のある場所を紹介してあげる」
「あまり嬉しくないよ」
黙って聞いていたジェルナも、それには我慢できないらしい。
「じゃ、まぁ、再会しないことを祈ればいいよ」
馬鞭がしなり、馬はゆっくりと進み出した。
 
またね。
「だから会いたくねーって言ってんだろが」
そういいながらも、幌から出た顔に手をかるく振ってやる。
たとえ相手には見えて無くても、気持ちの問題だ。
 
 
 
 
その後方で、マイツはジェルナに耳打ちする。
「ジェルナ様、実はとっととあの二人と別れられてよかったんじゃないのかい?」
「え」
相手が意図することがわからず、顔を見る。
にんまりと笑っていた。
「特に、あのクライメオスとかいう女に……」
「そ、そんなことはな……」
途中で遮るように言うと、マイツの口は更に裂けた。
「まだ何も言ってないんだけど。その様子じゃ、自覚あるようだね」
「ちょっ」
「よかったですねー、マイドールとられないで」
「違うって」
あぁ、ニヤニヤと笑う様が憎らしい。
そりゃぁ、ちょっとは思ったよ。
ロンジってば、あの女にばかりかまけているような感じがしたし。
だからって、本人に聞くわけにはいかないし。
 
 
 
 
「嫉妬って怖いからねー。何もないうちに押さえておいてくださいよー」
「だから違うって言ってるじゃない」
あっちに行けと追い払う。
「あ、ポンバートさん。ですます調禁止ね」
「はい?」
「禁止だからね」
 
今更ながらやはりあの人の敬語は嫌い。
形式的にデスマスつけただけの中途半端な敬語だから。
なんか、嫌味な感じがするように思うのはなんでだろう……
 
 
「マイドール」
「何だよ」
「ジェルナ様って訳わかんないねぇ」
「……珍しく同意見だな」
 
 
 
 
 
 
それにしても、お日様の下を長時間歩くというのは滅多になかったのでこれはなかなか辛い。
「何か、ひりひりする」
額をさすりながら、赤いマントをバタバタさせていた。
 
相変わらず一本道は草原のど真ん中を走っている。
そんな何もない道に、愛想はとっくに尽きていたので、草原の脇にある林の蔭を歩いていた。
「ジェルナ様?」
「何?」
疲れが溜まって、怒り気味の顔をマイツの方に向けた。
「こっちの方が歩きにくくないかい?暗いし」
「黙っててよ都会育ち。どうせ、私の国は深い深い森の中よ」
「どこの町境にも林はあるものだけどね?」
「じゃーもう、ポンバートさんだけあの道を歩いてきたらいいじゃないの」
歩き疲れて、トランス気味だっていうのは、自分でもわかった。
こんなこと言うべきではないのに……
 
「わかりました、機嫌を損ねさせてすみません」
あぁ、だめだ。
ポンバートさんを怒らせてしまった。
反省してる。ごめんなさい。
でも、どうしても謝る気にはなれない。
しかめっ面も直らない。
 
 
つかれた……
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「!?」
全身を覆う冷たい感触で目を覚まして初めて、意識を失っていたことに気付いた。
「大丈夫か?」
上からのぞき込むようにして、ロンジの顔が見えた。シンも一緒だ。
「う、う〜?」
「……だめだなこりゃ」
「姫、様」
「あ、ありがと」
シンに手を貸して貰って立ち上がった。
全身がずぶ濡れなのは、川に放り込まれたせいだろう。
何もないからとはいえ、無茶なことをする。
流れの緩やかな、でも、深い川。
気を失った人を川に入れるとは荒っぽい。と思うところだが、頭がぼーっとして、そんなこと何でもよくなる。
 
相当危なかったのかもしれない。
 
「ナルっさんに冷やしておけばいいっていわれたからな。いろいろ考えたんだが最終的にそうなった」
こっちの苦情を察したかのような返事。
あまりの疲れに、知らぬ間に顔に表れているのかもしれない。
表情などの全ての制御が聞かなくなってるのではないかと不安になる。
 
「姫、様、起き、た。解決」
「あー、そだねー」
漫才やってる二人は置いておいて、他の二人はどこかと辺りを見回す。
 
「ナルス、と、ポンバートさんは?」
見あたらないので、結局聞くことになる。
「あぁ、二人はー」
シンが無言で指をさす。
「あ、戻ってきた」
 
遠方に白黒と黄色の人影が見える。
それがナルスとマイツだと気付くのは早かったのだが、何かを持っているということは近付いてくるまでわからなかった。
 
 
「お嬢様」
「あ、うん。元気だよ」
起き上がっているジェルナを見て駆け寄ってきた彼女はそれ以上何も言わなかった。
「日射病ってやつだね、倒れたら死ぬ確率が高いんだよ。起きれてよかったね」
マイツが今までの中途半端な敬語を微塵も感じさせない口調で手に持っていた物を差し出した。
 
それは山のように赤い果実を載せた籠に思われた。
「帽子……」
よく見ると、草を編んだ帽子にリンゴが入れてある。
「おやつがてらにどうぞ。水分は取っておくべきだからね」
「あ、ありがとう」
 
 
ナルスはジェルナの持つ帽子からリンゴを一つ取ると、愛用のナイフで器用に皮を剥き始めた。
「まぁ、お嬢様が無事でよかったですわ。本当に」
「うん」
一本の線のように垂れ下がる皮をシンが熱心に見つめている。
真っ赤なリンゴが白い肌を見せるごとに酸っぱい香りが漂ってくる。
剥いて貰うのを待つというのも、一つの楽しみだ。
体調は、水を飲んだだけでもいくらかましになったように思う。
まだ頭が締め付けられるように痛いけれど。
そんなことを言ったら、ポンバートさんが頭を下げていろ、寝てろ。と延々言い続けるに決まっている。
というか、さっきまでそうだったのだ。
 
体を木の太い幹に預け、空を眺める。
といっても、生い茂った枝葉がそれを妨げるのだが。
「まあ」
ナルスの声を聞きつけ、視線を降ろすと、
シンがリンゴの皮の端にかぶりついていた。
もちろんその先は、ナルスが皮むき中だ。
 
……なかなか奇妙な光景だ。
 
 
 
 
むかれたリンゴをポンバートさんに手渡された。
隣に腰を下ろし、一緒に食べる。
一かじりする。
かなり酸っぱい。
甘い味を予想していたのに、期待を裏切られた気分だ。
あまりの酸っぱさに顔をしかめると、ハハッと爽やかに笑われた。
 
「ねぇ、この帽子、どうしたの?」
いくつかのリンゴと共に、彼らが持ってきた草の帽子をくるっと手でひっくり返す。
「この先にリンゴ園があってね、その柵の一つに引っかかってるのを見つけたんだよ」
え、ちょっと、それって
「盗んできたの?」
「人聞きが悪いなぁ、少しの間拝借すると言ってほしいね」
それ、同じだと思うよ。
「心配はいらないさ、このご恩は必ずって書き置きしておいたからね」
「それってよー。かえって悪くね?傷なんかつけたら、柵、変えなきゃならねぇだろ」
ほれ、リンゴ。二個目むき終わったぞ。と、ロンジが投げてよこした。
「案外気が回るんだね、マイドール」
「やかましい。昔、庭師に怒られたんだよ。ところかまわず彫り物すんなって」
そういえば、城の柱や庭の柵にいろんな人の名前が書かれていたのを覚えている。
一時期流行っていた気がする。
なるほどねーとくつくつ笑う。
「ま、ジェルナ様がそれをかぶっていれば、持ち主の方から返してくれとでも言いにくるよ。たぶんね」
下がる目尻をぽかんと見ながらジェルナは帽子をかぶることにした。
リンゴを入れていたせいだろう。甘酸っぱいにおいが上から降りてくる。
「ナルッさんもいたんだろ?よく止められなかったよな」
額を押さえつけるような動作をしながら、皮むきを続けているナルスの元へとロンジは去っていった。
 
追いかけるようにしてマイツもまた姿を消す。
ざらざらした肌の木にもたれ、ぼうっと空を見上げた。
 
後で、誰かが驚いた声を上げたが、関心が湧くことはなかった。
ナルスがナイフを落としたらしい、という事はだいたい理解した。
第2章
音が聞こえる。
 
 
やかましく軋む、不快ながらも助けを求めたい音だ。
馬が引く小さな車が見えるまでそう時間はかからなかった。
 
初老の男性が手綱を軽く握っている。
声をかけようかとも思ったが、口から音を出すのも億劫で目で少し追うこと位しかできない。
そして、男はというと通り過ぎるかと思いきや訝しげにこちらを見た。
 
「この物騒な頃にピクニックかんね」
少し目の前を過ぎて、馬車は停まった。
ピクニックだなんて、そんなに浮かれて見えるのだろうか。
 
「ここも物騒ですか」
呟くような声で何とかそれだけ言う頃にはナルスが隣にいた。
「あれまぁ、使用人まで連れてるたぁ。どこぞの坊っちゃんのお連れ様か」
むっとして私が女王だと言おうとした。
言いたかったが、国を失った今の私は庶民と同様だと気付く。
「いいえ、こちらがロゼマナ国王ジェルナ様です」
口をつぐんでいたジェルナの代わりに隣に立つナルスがはっきりした声で告げる。
目の前の男よりジェルナの方が驚いていたのは明白だった。
男は更に訝しげだったが、それ以上は触れようとしなかった。
ここからは見えないがナルスの睨みにたじろいているのかもしれない。
少しの間回りを見渡すと、男は馬車から降りた。
「うちのチビが帽子を失しよっただが、あんた様のそれによく似とる」
遠慮がちに頭を指差す。
 
持ち主が探していた様だ。
「それはすみません。今日も日が強いので拾った物を少々お借りしていました」
優しく持ち上げる様にして帽子をジェルナの頭から取ると、男に渡した。
「いや、返ってくればいいでな」
ナルスから帽子を受け取ると馬車にぽいと載せた。
 
「そだ、礼が何とかと書いちょったんはあんさんらか」
マイツが「このご恩は必ず」と書いたと言っていた。この男は読んでいたらしい。
ナルスが肯定すると、男は頼みたいことがあるとなにやら言いにくそうにもごもご動いた。
「王様なら騎士様でも連れとられるか?」
向こうにいるロンジ達に目をやる。
ゆったりと寝ころびながら話をしている。
「いますけど」
そうか、と向こうを見る。多分彼等が仲間だとは予想していたのだろう。
「若そうだんが、頼りになるですかい」
「腕は確かですよ」
彼等をけなされては気分が悪い。
「たら、証明してくんさいな」
男が笑った気がした。
 
 
 
 
男の依頼はそのものズバリ魔物退治だ。
ナルスとマイツが持ってきたリンゴも彼の農園の物だともわかり、リンゴの木の番人を快く引き受けた。
 
つい先日から凶暴な魔物が現れ、リンゴの木を倒すようになったそうだ、馬車に揺られながら眺めた景色にも無惨な幹が空に鋭い棘を向けていた。
 
「盗み食いくりゃなりゃ見逃すや。けんど、領主様ん木だ。元をダメにしょるのは困んでな」
折れた木の巻き添えになり、重たそうに萎れている鮮やかな緑も見える。
 
「昼夜構わずと来るでな、倒すまで見てくんさ」
連れられた番小屋には帽子の持ち主と思われる子供がいた。
「とーさん」
日に焼けて真っ黒だが背筋の伸びたしっかりした子だ。
ジェルナ達が入ってきたことに何の抵抗も無いようだ。ただ、順に顔を見渡してから素直そうな目を父に戻した。
男に帽子を渡され、嬉しそうな顔を浮かべ礼を言う。
本当に教育がしっかりしている。
 
 
「坊主の帽子、勝手に借りてすまなかったね」
マイツがしゃがみ、少年と目線を合わせる。
「かまわん。兄さんは返しに来てまったけ。許す」
そうか、いい子じゃないかと頭を撫でる。
くすぐったそうにしてからちょっとだけ笑った。
 
「こん方らに園番してもらうけ、説明せい」
短い返事をしてから、少年は地図を取り出し見せた。
「リンゴ園の地図かな」
大雑把な形を描いた地図には所々後で描いたような印がついている。
「この印は何を意味しているのですか?」
「倒れようた木だで」
襲われた場所ということか。この地図の上部にその印がついている。
「じゃあ、この辺りを重点的に見張ろうか、マイドール」
「そうだな。念のためシンも来い、全体的に見回ってくれ」
「私も行く」
何を言い出すかとその場がジェルナを向く。
「ジェルナ様、君はさっき倒れたじゃないか」
「そうだけど」
何か役に立ちたいと言ったところで、首が縦に振られることは無かった。
「今日だけでも休まないといけない。頼むから、ナルスさんと一緒にいてね」
「俺らだけでさっさと片付けてこれんだろ。姫さんはもう寝てろ」
突き放す様な言葉を残し、三人は管理者に付いて外に出てしまう。
 
「なによ、私だって……」
鳴りやまない頭痛を止めようと必死になって頭を振る。
ジェルナを見下ろすナルスの顔もどこか蒼白かった。
 
結局、今日は何も起こらなかった。
「なんか、ヒリヒリ痛むんだけど」
帰ってきたロンジの顔は、日に負けたらしくずいぶんと赤かった。
元々白い顔なもんだから、ちょっと血色良くなったんじゃないかとからかう。
「うるせーな。そういうお前はどうなんだよ」
「マイドールみたいに熱に弱くないよ」
すねたような顔をして、赤面の彼は水を求めてふらふらと出て行った。
 
夕方からはナルスとシンが見回りに向かった。
昼夜かまわず来ると言っていたので、油断は出来ない上に退治が出来るまでここにいることになりそうだ。
「ジェルナ様は調子、どうだい?」
「もう良くなったよ」
結局昼間はずっと寝ていた。頭痛も耳鳴りもしないし、火照りもさめた。
額に手を当てて、熱を測る。昼間はこれで嘘をついたのがばれてしまったが、マイツも満足そうに手を引っ込めた。
「じゃぁ明日からは一緒に働いてもらおうか」
「昼寝もしたし、今からでも大丈夫だよ?」
腕を組んで、考え込む。
「そうだねぇ、大事を取って寝ていてもらった方がいいけど、ジェルナ様じゃ昼間の見回りは苦しそうだね」
太陽に苦しめられるとは情けないと思いながら、安心した。
「シンの坊主とナルスさんが帰ったら、マイドールと一緒に見に行ってくれるかい」
「もちろん」
満面の笑みで、頷いた。
 
 
余り待つこともなく、ナルス達は帰ってきた。
シンにもたれかかるようにして、ふらふらと歩く姿に驚くよりも先に悲鳴を上げたくなった。
「どうしたの!」
自分より大きな体を支えるシンに尋ねるが首を振るだけだ。
「急に倒れられました」
何かに襲われたのかと、確認をするが外傷が見あたらない。
「だ、大丈夫ですよ」
力のない声が漏れた。
「どこが大丈夫なのよ。シン、寝かせてあげて」
「大丈夫ですよ、格好の悪いところをお見せしました」
言葉は出るが、体は動いていないといった様子でふらふらと歩く。
寝かせてみたところ、とても顔色が悪い。
血の気が無く、ろうそくの小さな光に照らされた顔はいつもより痩けて見えた。
「疲れが出たんですよ?後のことは僕らにお任せ下さい」
シンにも寝るように言い聞かせたマイツは、ジェルナ達を部屋から出した。
「看病くらいなら俺にも出来るから。見回りの方は頼んだよ」
 
マイツの様子に違和感を抱えながら、ロンジの元へと行く。
 
「ナルっさんが、倒れた?」
確認するように、ゆっくりと繰り返す。
彼もまた、驚きを隠せていない。
「全くわからなかったけど、やっぱり疲れてたのかも」
かもしれねぇなと器から水を一口飲んだ。
「マイツに頼んだんなら、俺達は俺達の仕事をするだけか。行こうぜ」
顔が痛えと嘆きながら、闇の中へとカンテラを持って歩き出した。
 
 
第3章
小屋からカンテラの光が遠ざかるのを見送ると、目の前に横たわる高齢の女性を見る。
この女中は今朝まで穏やかな表情で一行を見守ってきた。
 
ジェルナの様な日射病とは様子が違う。シンに問いただしても少女には何もわからない。
一体、何が起こったのか。
 
 
彼女は、後は任せますと呟いていた。
リンゴの木を見上げた彼女が木の陰で斑に光を浴びながら発っした言葉が、今彼女の枕元に座るマイツに向けたものだったとは今になってやっと気が付いた。
あの場には二人しかいなかったのだが、独り言、むしろ自分に言い聞かせているようだった。
「ナルスさん?あれはどういうつもりで言ったんだい」
 
穏やかな声は遠くを見ている様で目の前の女にかけられてはいなかった。
 
眠っていたと思ったが、彼女は首をこちらにゆっくり向けた。
「お嬢様は……」
「いませんよ。マイドールと見回りに行きました」
「そうですか。貴方は本当に気が回りますね」
うっすらと和かな表情を浮かべたナルスに向かい意味がわからない、と冗談を諌める様に笑った。
 
静かに目を伏せてから力のない溜め息が聞こえた。
「横になってからもかなり顔色が悪くなっている様ですが」
上を向き直した目は暗い天を映す。
「何が原因なのか、教えてくれませんか」
問いかけには全く反応を返さない。
何も聞こえない様子で、ただ気力を失った顔が薄明かりに照らされ続ける。
「シンは、いますか」
「……呼びましょう」
多分少女は寝ている。こんな夜更けに起こすことはいくらか可哀想だが、ナルスもまた時間に追われている様子だ。
少しの間の後、お願いしますと力無い言葉を聞いた。
彼女もまた、少女を起こす事になるとわかっているだろう。
 
 
「シン、いるかい」
人の気配を感じ、廊下で名を呼ぶと、白い輝きを持つ少女が陰から現れた。
呼びにいく手間が省けたようだ。
 
「嬢ちゃんはナルスさんの事で心当たりはあるか?」
くっと唇を噛み首を横に降る。
もうすでに何度か訊ねたことだ。これ以上同じ問いを繰り返すのは酷か。
 
俯く少女に優しく笑いかける。
「話があるみたいだ。聞きに行こうか」
小さく頷いた彼女の背中に手をあて、部屋を訪ねる。
 
男は何も言わずに壁にもたれ掛かる。
シンがゆっくりと横たわる女性の枕元に近づいた。
 
「シャイン」
虚空を見ていた女の手がいとおしげにシンの髪に触れる。
「どうされました」
内気そうな声が降り落ちていく。
 
「私はもうここで別れを告げようと思います」
驚く、という動作をするのは失礼な気がした。
この場にいることさえ、マイツにとっては少々後ろめたい。ただ会話の成り行きを見守る事しか出来ない。
「眠りについてしまえば、二度と目を覚ませそうにありません。彼女が私に打ち込んだ毒が私の体を蝕んでいます」
「シェラフですか」
シンの出した名前に、えぇ、と薄い声が肯定する。
 
「あなた達の旅を傍で見守れないのは残念ですが、しっかりと、進んで行きなさい」
諦めのような言葉で、どこか遠くを見た。
「それともう一つ。私の体は、どうか焼いて下さい」
 
止める言葉も見あたらない。
「その灰の中にきっと、何か残るはずです。それを持ち旅をして下さい。あなたの向かうべき場所への手がかりに……」
声が薄くなる。
最後の力を出すように、顔を傾ける。
「私は、太陽に還ります。傍に居なくても、あなた達の、事を、見守って、います……よ」
ゆっくりと銀の糸から手は離れた。
その間にシンの髪は茶気始めた。
 
夜明けと共に、横たわる弱々しい女性は動かぬ息を始めた。
 
 
 
扉の開く音と共に、見回りから帰った二人が現れる。
部屋の状況に気付いたのかジェルナは口を手で覆った。
 
いつもきちんと木の髪飾りで纏められていた金色の髪は静かに乱れ、彼女がもう
気にもとめないことを示した。
静かに涙が頬を伝うが、拭うことはできなかった……
 
 
 
 
 
 
永い眠りについたナルスを薪で囲む。
リンゴ園から少し離れた場所で、彼女の望み通り、その体に火をかけた。
 
しかし、見回りを疎かにできないと、マイツは園に残った。
誰も何も言わないまま、じっと燃え尽きるさまを見下ろしていた。
 
火を起こした薪がくすぶる頃になり、やっとロンジが口を開いた。
「いつから、蝕まれていたんだろうな」
風が吹くごとに炭が赤くはぜる。
火を間近にしていたので顔が皆紅潮していた。
 
ジェルナが何か言おうとして口を開くが、涙が急に溢れまた口をパクパクさせる。しゃくりながら、弱い声がやっと出た。
「きっと、初めからだよ」
記憶に蘇るのは暗闇の中、治療をしたふくらはぎの傷。
治療の後、指先に走った痛みは毒のせいだったのだろう。
 
 
 
初めから、彼女は我慢していたのか……それとも
 
 
気にしても今更どうにもならない事だった。
けれど、考えてしまう。
「助けられたかも、しれないのに」
 
 
もっと早く、解毒の魔法を知っていれば
毒が入っていると気付いていれば。
 
 
 
「どうして、言ってくれなかったのかな。信用、無かったのかな」
口を開くと涙が止まらない。強く唇を噛み締めた。
 
 
シンが小さく声を上げた。
指差す方には、なにかが輝いている。
「黄金、か?」
灰の中、光を照り返す球体がある。
和かな金色の輝きは少しナルスに似ている。
不自然なまでに美しい物体に思わず手を伸ばしたが、風にあおられ盛る炎に返り
討ちにあった。
「熱っ」
「大丈夫か?姫さん」
彼にこの言葉をかけられるのは、何度目だろう。
 
火傷をしかけた指は治癒の力で、もう痛みはひいた。
 
 
熱と輝きを放つ金色の球。
まるで太陽が降りてきたみたいだ。
 
 
 
 
太陽。
 
まさに、いまはもういない女性を表すのにこれ以上はない言葉だ。
優しさと厳しさ。いつも見守っていてくれて、時に姿を消してしまっても、長く
見捨てることは決してしなかった。
 
ずっと俯くジェルナの背中を支えるようにしてそっと手が当てられた。この角張
った手はこんなに優しい手だっただろうか。
また、たがが外れたように涙が溢れてくる。心配をかけた自分が情けなくなったせいだ。
 
更に泣き出したせいで怯んだように手は退いてしまった。
 
 
 
日が真上を通り越え、やっと総てが灰となった。
熱を持たない体を拾おうと灰をかき分け探したが、ちっとも骨は見つからない。
ただ、小さな太陽が中央に据えられているだけだったことに違和感を感じる。
 
 
 
空に浮かぶ太陽が強く見つめる様に照りつけるので、堪えられなくなり仕方無く小屋まで戻る。
 
 
木を突ついていたマイツが葬列の帰還に気付いた。
「おかえり……手ぶらなのかい?」
「これだけ拾って来たの」
骨が見つからなかったことを伝えると、一瞬だけ訝しげに眉を寄せた。
「それなら、あの髪飾りを燃やさずに形見に残しておけば良かったね」
どんな顔をしようかと迷っている気を使った笑顔がどこか知らない人に見えた。
 
「寝ておいた方がいいよ。日が落ちるまで俺に任せて」
言葉に甘えて、小屋に着くとずっと気付かなかった眠気に襲われた。
 
 
第4章
何日が経つだろう。
長くここにいる気がするし、まだ二日程度である様にも感じる。
毎日が億劫で、何も感じない。
それに、見回りのせいで夜型の生活を送るのも理由だろう。
 
昼間には毎日、丸鼻の農園管理者が様子見にやってくる。応対はマイツかロンジに任せてある。
 
いい匂いがして目が覚めた。
もう夕方か……
マイツの料理で一日を始めることに何の違和感も抱かなくなっている。
この旅にあの女中が初めからいなかったとでも思いそうな自分が恐ろしかった。
 
まだ、完全には食欲が戻らない。
 
 
静かな食卓で、不意にロンジが立ち上がった。
「姫さん、先に行ってる」
「どうしたの」
剣を取り、腰に携えた。
「何かが来た」
その言葉に、食器を置いた。
 
 
ここのところ、食事が疎かなせいもあり、走るロンジに付いていけなくなった。
少しの間立ち止まり足を見つめていると、視界の端にリボンが落ちていることに気付く。
 
 
見覚えのある白の美しい紐。
マイツが帰った後、一人で見回りを続けていたシンのヘアバンドだ。
 
丁度、切れ味の悪いナイフで切り裂いたように、輪は一本の紐になっている。
 
 
「ロンジ、待って」
ヘアバンドを拾い上げ、知らせようと慌てて追いかける。
その途中に、弓と剣が散らかされていた。
何が起こったのか。考えている暇は無かった。
 
もう日は木々の間に姿を消した。辺りが完全に暗くなるまですぐだ。
早く、見つけなければ……
 
 
 
 
何を?
 
 
今、何を考えた。
 
シンを見つけようと?
何故?
 
シンは日が暮れれば、見回りを終え自身の足で帰ってくる。
 
何を考えていたの
 
「いたぜ」
ロンジの声が届いた。
 
 
 
 
二体の獣が組み合っている。
 
一体は泥にまみれた汚ならしい毛皮の巨体。
もう一体は、薄明かりを反射する長い毛並を揺らす狼。
 
泥皮の獣はその平らな頭に生えた角を向けて頭突きを仕掛ける。
ほっそりとした狼が避けたことで、巨体はリンゴの木に叩きつけられた。
 
 
木が音をたてて実を落とす。
少しの間気を失った泥皮は先程迄の怒りを忘れ、一心不乱に食べ始めた。
 
 
狼はというと、静かに佇み様子をうかがっている。
二体は何をしているのだろう。
 
先に動いたのは狼で、泥皮の背中に噛み付いた。
驚いた泥皮は必死に振り払おうと暴れたおす。
団子のような状態であちこち転がり回り始めた。
「なんだ?あいつら」
「彼等が、木が倒される理由か?」
マイツは何か違和感を感じている様子で、ジェルナを振り返った。
 
「これについては、手を出さないほうがいいかもしれないね」
「でも、おじさんに話したところで許してくれるかな」
不機嫌な顔をしたロンジが会話を無視して戦闘に近付く。
「どうしたマイドール」
「とりあえず、あいつらを懲らしめたらいいんだろ」
単純な発想で結局飛び出して行った。
 
「仕方ないね。助太刀するよ」
マイツも行ってしまう。
 
一人残されてしまったが、応援するにもジェルナでは力不足だとはわかりきっていた。
ヘアバンドの事も言いそびれ、どう動くか考えられなかった。
 
飛びかかる二頭の間に立ち、武器を使って動きを止める。
 
止めたつもりだったが、突進してきたのは巨体。
そう簡単に勢いを殺せるわけではない。
 
狼を相手にしたマイツは、相手が怯んだことを良いことに攻め込もうとしたが、後ろから力で押されて滑ってきたロンジを支えるはめになった。
「何してるんだ、マイドール」
「うるせぇ」
なんとか真正面からの圧力から抜け出す。
 
ここで暴れては困るだけなので、逃げながら園の囲いまで誘導する。
 
 
狼は追ってこない。
 
「先にコイツを倒すぞ」
乾いた泥にまみれながらも怒りを灯しギラギラ光る眼光はしっかりと二人を見据える。
 
突進と同時に、ロングコートをはためかせ、マイツは走った。
正面で受け止めたのはロンジ。
先程とは構え方が違うので、押し負けることはない。
平らな頭を剣身に押さえつけながら相手を押し負かそうと後ろ足が地をかく。
それでも耐えきろうと、両手で緑に輝く剣身を押さえる。
 
「後ろ、もらったよ」
鉄の爪が足払いを仕掛ける。
足を失った獣はそれでも前足で襲いかかろうとした。
「前もな」
剣で前足を叩く。
悲鳴をあげて、黒い霧を吐き出した。
 
もう一度掲げた剣を降り下ろそうとしたが、途中で動作が狂う。
「とどめは?」
「……頼む」
はいよ、と獣の首をはねた。
霧が吹き出し、角を残して獣の姿は消えた。
 
辺りを見渡すが、もう一頭の姿が見えない。
近くに気配を感じないので、もう逃げたのだろう。
 
角を拾い上げ、腰の抜けたジェルナを迎えにいく。
 
 
 
すると、座り込む青年の隣に美しい毛並の狼が佇んでいた。
「姫さん、その狼……」
神々しくも穏やかなその姿に息を飲んだ。
「わからない、けど、暴れたりしないみたい」
ジェルナが手を伸ばしても、嫌がる様子を見せず、されるがままに銀の目を伏せた。
かなり人馴れしている。番犬か何かだろう。
 
「この首輪、なんか見覚えあんだが。どこで見たっけな」
言いながら狼の付ける首輪を触る。
素材のわからぬ金色の三本の輪、中央に据えられた月明かりを七色に反射する深い青の飾り玉。
 
つい最近見たはずなのにどうも思い出せなくて、ジェルナに目を戻す。
彼女は知らないと首を横に振った。
 
 
 
「ところで、シンはどうした?」
「日が暮れて大分たったから、もう小屋に戻っているはずだよ」
マイツの言葉に、勢いよくジェルナが噛み付く。
「あのっ。あっちに落ちてたの」
何がと尋ねる。
「その、シンの……ヘアバンド」
そっと、手を差し出す。
軽く握られた手の平からは軟らかい紐が垂れる。
 
それが示す不安を感じた時に、狼がジェルナに飛びかかった。
瞬時に武器を構えたが、油断していた分もあって彼女の身を護れそうにない。
 
しかし恐れに反し、襲われたのはジェルナの手に乗るヘアバンドの成れの果てだった。
少しの間食んだり、叩いたりしていたが、何故か興味を失ったように隣に体を伏せた。
 
狼に勢いを潰されたジェルナがまだ呆気にとられた様子で、補足した。
「これだけじゃないの、剣も、弓だって……」
狼が声を掛けるように小さく吠えた。
案内しろと言っているようだ。
マントの端をくわえ、小さく引っ張った。
 
よたよたと立ち上がり、フラフラ歩く様子に堪えきれず、ロンジは腰の抜けたままの彼女を背負った。
 
 
ヘアバンドを見たときと同じように、狼は飛び出し、散乱した器具を襲った。
「あっ、こら、お前」
前足を高くあげ勢いよくシンの剣を踏みつける。
甲高い音をたて光が霧散した。
「おい……どこへやったんだ」
確かに狼の足元には鞘に入ったままの剣があったはずだ。しかし
「見てごらん、あの子の爪」
異変にいち早く気付いたのはマイツだ。
彼が示す先を見ると、まるで靴を履いたかのように足の先が眩しい輝きをともしている。
まるで、あの少女が使っていた剣のように青白い輝きだ。
何が起こったのかよくわからなかった。
止める間も無く狼は、同じ様に弓を踏みつける。
すると、今度は何かに弾かれた様に身体をのけ反らせた。
「やめなさい」
静かに声を出したのはジェルナだ。
「狼さん、それは私達の大事な付き人の持ち物です。これ以上砕かないで」
狼は喉の奥で小さく唸ったが、動きは止めた。
 
「ポンバートさん、弓矢を拾って下さい」
荷物持ちと化したマイツは目の前にいる獣を警戒しながら、おそるおそる拾い上げる。
狼はというと、何か言いたげに浮き上がる弓を見つめていた。
 
「何が起こったか知らないがシンが心配だ、探しにいってくる。姫さんとマイツは戻ってくれ」
後ろを向こうとすると、短い鳴き声が連続して発せられた。
行くなと言いたげに爪をロンジの靴にかける。
 
「さっきから何なんだ、こいつは」
人馴れしており自分達にかまってくるし、シンの持ち物に反応を示すし。
首輪から果樹園の番犬かと思ったが、今日まで見かけたことがないのはおかしい。
ロンジが足を止めたことに気づくと狼は首を左右に回すように振る。
「行くなってか」
言葉を理解しているのか、首は動きを止め、一つ静かに鳴いた。
 
三人で顔を見合わせる。
 
 
to be continued ……
 
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