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Chime2
四枚目
ブラックスローン傭兵学校。
学園都市の入り口から見て左側奥に所在。
ドーム型の校舎と南半分を半円型に囲む寮舎、寮舎と校舎の間に挟まれた二つの校庭を持つ。
校舎には教室の他、格技場、訓練所、研究室、能力開発室等の施設を保有。
 
入学希望者には年齢制限を授け、能力テストを行った後、特別に希望を申し出なかった場合は結果によってクラスが振り分けられる。
 
入学年齢下限は十五歳。十七歳になると成年クラスに移行。以後、卒業試験の後随時卒業。
ただし、二十五歳になっても卒業出来ない場合は除籍されてしまう。
 
専科は四つ。
カード専科、キープ専科、戦闘専科、医療専科。
カード専科のみ年齢制限ははずされ、幅広い研究者が集まる。ただし、入る人数はとても少ない。
 
進路は様々。
医師、研究者、地方戦闘員に始まり、教員、城番、フェイクハンター等々。
 
 
 
 
 
部屋の中でぶつぶつ音読していると、自室のカーテンが何の前触れもなしに開けられた。
「何今更そんなの読んでるの?」
制服姿のユキちゃんだ。
「び、びっくりした」
勝手に開けるのはどうかと思う。そして勝手に入ってくるのも気になる。
 
ユキちゃんは私の寝台の上に腰をかけた。
「学校概要?もしかして昨日言ってた事気にしてたの?」
そうだよと座り直してユキちゃんの方に向き直る。
「それ、余所の人向けでしょ」
手元の冊子に目を戻す。
校舎の外、受付の横に置かれていたフリーペーパーと思われる学校案内の冊子。
 
「だから、文字の練習中」
ついでに自分が知らない間に入ってしまった学校がどんなところか見ていただけだ。あくまでも、ついでに。
 
だいぶ詰まることなく読めるようになった。
書けと言われると、まだ不安な節もあるが……
 
それにしても、平仮名ばかりで書いてあると、声に出しては読めるが、意味をとるのに時間がかかる。
 
「頑張るねー」
ユキちゃんは部屋を見渡した。
特に何も置いてはいない。
始めから用意された寝台脇の小さい整理棚にも机の中にも大したものは入っていないのだから、私物が部屋に広がっていることはない。
ユキちゃんゴロリと一度寝転がると整理棚を開け始めた。
「ちょっとユキちゃん」
止める前に彼女は私の私物を見つけた。
 
「デンデン太鼓だ」
意味もなく振り始める。
乾いた音がポンポンと鳴る。
「欲しかったらあげる。だから漁るのはやめて」
引きこもり時期が長かったせいか、やはり人が部屋に入ってくるのは苦手だ。
 
困った顔をしていると、ユキちゃんは体を起こした。
「だってストームちゃん、部屋から出てこないんだもん。こっちから行かなきゃ会えないじゃん」
当たり前のことを言われたのだが、言われて始めて気づくということは多い。
そういえば、ユキちゃんとはいつもセパレーター越しに話している。
大部屋があるのにユキちゃんがセパレーター越しに話すのは私がいつも部屋の奥にいて、大部屋からじゃ声が聞こえないのかもしれない。
 
でも、
 
「それ、駄目なの?」
「駄目だよ」
ぶすっと膨れた顔でユキちゃんはカエルみたいに座っている。
思わずため息をついたが、気が抜けて笑い顔になった。
「じゃぁ気をつけます」
「はい」
にっこりと笑って満足した様子だったが、立ち去る様子は見せなかった。
 
 
 
「食堂、行こうか」
しばらく間が空いて、昼食に誘うと寝台の上に寝ころびながらゆっくりデンデン太鼓を鳴らしていたユキちゃんは起きあがらずに顔をこちらに向けた。
「あ、やっぱ邪魔だった?」
デンデン太鼓を高く掲げながら言う。
分かっていたなら止めようよ。
正直ポンポン音たてられると気が散るからさ。
 
それでも本心はやっぱり言えない。
首を横に振り否定をしてから立ち上がるとユキちゃんは慌てた様子でついてきた。
 
 
 
 
 
昼、ちょっと前。
 
 
食堂は空いていた。
「おじさん、卵サンドセット」
「スープは?」
「おすすめ日替わりスープで」
はいよと威勢のいい返事。
作り置きらしき皿に盛られたサンドイッチと、鍋から掬い出されたところのほかほかオニオンスープがお盆に乗せられた。
 
「ストームちゃんいっつもそれだね」
お盆を受け取るとユキちゃんは自分の注文前に感想を挟んできた。
「飽きないの?」
日替わり定食を頼みながら不思議そうにしている。
「ユキちゃんだっていつも同じじゃん」
それとこれとは違うの。と普通の会話にしては大きな声だったので驚く。
相手も相手で自分の声に驚いたらしく、少し決まりの悪そうな顔をしてから小声で続けた。
「これは日替わりメニューだから毎日違う食べ物でしょ」
まぁ、確かに。
「それに、たまにだけど外で食べたり、購買でパックを買ったりしてる」
あぁ、それで部屋にいてもたまに飲み食いの音が聞こえてきたのか。
 
「サンドセットも日替わりスープがあるから飽きないよ」
日替わりセットを受け取ったユキちゃんは納得いかない顔をしている。
「それにおじさんのサンドイッチセットは中身よく変わるし」
そうなの?とユキちゃんが首を傾げるのを見ながら二人で席を探しに向かった。
 
 
 
別にこの席は自分のものと言うつもりはないが、何となく習慣的に同じ席に座るので、今回も同じ席に着席。
 
広い食堂の入り口に近い隅の席。
 
長机の一番奥に机を挟むようにして腰をかける。
 
 
 
食堂自体は広い部屋なのだが、利用者も多いため机の配置が少し窮屈だ。
 
入ってきた時に思ったように、食堂内は空いている。
昼前の講義がまだ終わっていないからだろう。
 
今日の昼前の講義は成年クラスだけだから早めに食べて立ち去ってしまいたい。
そりゃ、年上の人には遠慮するってもんですよ。
 
といっても、自分の所属するキープ専科は、成年クラスと年少クラスとの間にはほとんど関わりがないも同然。
まぁ、分ける必要があるから分けているんだろうけど。
 
 
 
 
 
「昼の講義、ラン教授だったね」
確認のように尋ねられたのだが、思い出せないので腕にはめたプロジェクターからスケジュール帳を呼び出す。
次の時間は教室でフェイク論だそうだ。
教授名はランと出ている。
「そうだね」
ラン教授って、誰だっけ……
「そこにいる」
ユキちゃんに背後を指されて体をねじり、振り返る。
 
食堂の奥の方。
入り口から角度的に見えないあの辺りは窮屈な長机ではなく、丸い机を囲むように椅子が四つ置かれている。
鑑賞用植物の隣で頬のこけた立派なあごひげの男が食事をとっていた。
ここから見える左横顔には二本の線が耳に引っかかっている。
 
思い出した。
真顔できつい冗談を言う隻眼の赤髭。
引っかかってる二本の線は眼帯の紐だ。
 
 
 
 
こういうとき、他人の事なんて本当はどうでもいいのだが、相手が先生となると気になってしまうのが学生の性。
 
別に話しかける気はないが、遠巻きにじっと観察を始める。
 
温かい飲み物を片手にゆったりと座る。
隣にいるのは憎き無表情のシュエ教官。特に何を話すわけでもないが一緒に座っている。
 
あ、保健室の先生が来た。
 
あの美人な先生の名は知らない。
別に講義を受けるわけではないから、オリエンーテーリングみたいなことは受けていない。
そういう訳で、自己紹介など聞いたことがない。
 
 
そんなわけで、男ばっかり集まってお食事ときた。いや、見た目的には男二人と女一人。
 
保健の先生は笑顔で何か話しかけている。
内容までは遠すぎて聞こえない。
どうやら保健室の先生は一番おしゃべりのようだ。
憎き鉄仮面も下を向きながら口を細く開けて笑っている。
先生達ってそんなに仲良いのか。
 
一瞬二人の動きが止まった。
笑顔のままで硬直。
少しの間をおいて、動き出す。ひきつった笑いだ。
 
あらかたあの隻眼が余計なことを言ったのだろう。
 
あれを仲が良いって言って良いのか?
本当に。
 
五枚目
フェイク論とは、フェイクについての歴史だ。
このころ思想家はこう考えた。とか
今それを覚えてどうなるんだと聞きたくなる。
 
 
「フェイクの存在は我々とは違う。我々は生き物だが、奴等はただの力だ」
そう唱えたのは誰だ?と赤髭は問いかける。
 
返事を待たずに、黒板代わりのスクリーンに文字を書き始める。
 
「奴がこのように考えたのは、フェイクが倒れたときに消えてしまうこと、それから召喚し直したときに傷が全快していることからだと聞く」
言いながら教授はフェイクを召喚する。
教卓上の小柄なフェイクにむけて教授は腰にかけていた小刀を向けた。
 
切りつけたのだ。
 
思わず目を背けた生徒もいるが、気にした様子もなく
「今、儂はこいつに傷を付けた。人でいう血も出ている」
冷静に言うな。怖い。
「実はこれは血のようだが、流れ出たところでフェイク自体には影響はない。威嚇の一種としての説が強い」
あー。
テントウ虫の足から出る黄色い液体みたいな奴?
あれは本当に血だった気もするけど……
 
「フェイクの血は吸血鬼を殺すという伝説があるが、それは血でないので栄養にならないせいか、毒が含まれるという伝説か。誰か試してみてくれたまえ」
教室が静かなため、教授が冗談だ。と付け足した。
 
普通はこういう冗談の時ぐらい笑おうよ。
教授の顔はいつも真面目なんだから……
 
本題に戻ろうかと、教授はフェイクをカードに戻した。
長話の間にフェイクの下に溜まっていた、赤い水たまりの姿もともに消えた。
 
「諸君は儂が先ほどこの辺りに傷を付けたことは覚えているね」
カードに描かれている獣を指でひっかく素振りをした。
「では、その場所をしっかり確認しなさい」
フェイクは、召喚されると同時に教授の手のひらから走り出した。
 
小動物はちょこまかと走り、一番前の席に座る生徒の元へとやってきた。
もちろん、それが私なのだが。
 
長机の足を垂直に登り、広げていたノートの上にどっかりと座った。
……邪魔なんですけど。
「カワイー」
隣のユキちゃんは、身を乗り出してくる。
授業中とか関係なし。
まぁ、可愛いものはいつだって可愛い。
 
教授を見ると、確認しろと言われたのでゆっくり抱き上げて先ほど傷を付けられた辺りを探す。
ふさふさで柔らかい毛だ。
こんな毛皮に包まれたいなと至福の時を感じたが、一応本題は忘れない。
 
どうやら傷はないようだ。
 
しかし改めて触ると、小動物特有の高い体温というのが感じられない。
冷たいわけでもないのだが、モノに触れているという感覚はあるのにその温度が伝わってこない。
フェイクは本当に生き物とは違うのかもしれない。
 
 
ずっと抱いていると、次ワタシーとユキちゃんに奪われてしまった。
残念。
 
 
そうして小動物は生徒一人一人に一度抱かれた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
小動物が生徒に回るだけで講義の時間はほとんど潰れた。
教授も何も言わなかったので教授からするとそれがいつものパターンなのかもしれない。
 
別に実験はフェイクなら何でも良いのだから、もっと傷が分かりやすい奴もいるだろうに。なぜ毛皮を持つあのような可愛い小動物を選んだのだろうか……
 
教授に対してサディスト疑惑。
そんなはずはないと思うが、ユキちゃんに話すと同意をされた。
「あんなかわいいのに刃を向けるなんて信じられない」
熱弁を振るいだしたユキちゃんにとりあえず相づちを打ちながら廊下を歩く。
 
 
今日はこの後にもまだ次の講義があるからあまり暇な時間はない。
円形の二階廊下。二階は主に教室が並ぶが、扉や廊下のデザインが統一されている為、どこがどの教室かはナンバープレートを見ないと判別出来ない。
廊下も円形だから、下手するとぐるぐる回って戻ってくる。
結構不便。
誰が考えたんだここの設計。
 
 
壁にもたれて立ち話をしている生徒の横を通り過ぎて、目当ての教室を見つけた。
 
その向こうには階段が見える。
どうやら遠回りをしてきたようだ。
今日は一周回ってしまった。
 
 
「あ、掲示板のビラ貼ってるー」
ユキちゃんが階段前の掲示板に走っていった。
貼っているのは……保健室の先生だ。
 
 
講義関連の掲示板はまた別の場所にある。
だからここにある校舎二階階段前掲示板は、主に生徒発の意味の分からない告知が貼られている。
 
告知っていうか、捜し物とか会の勧誘とかそういう、私にはあまり関係のなさそうな話。
貼るばっかりでろくに剥がしもせず、上からバンバン貼るから掲示版自体が特盛り。
 
効率悪そう。
貼る方も、見る方も。
 
 
「せんせー」
呼びかけに、首を傾げながら美人は振り向いた。手で払われた長い金糸がサラサラと流れる。
「何貼ってるんですか?」
「保健室のお手伝いを募集しようと思ってね」
先ほど貼っていた紙が見えるようにと保健医は場所を開ける。
ユキちゃんは相づちを打ちながら先刻先生が貼った用紙を剥がす。
ちょっと待って、何で剥がすの。
「次の休日、備品の点検を行うから手伝ってくれる人募集だって」
読みながら、体をこちらへ向ける。
何でこっち向くの。
紙から目を離し、ユキちゃんは私を見るとにっこり笑った。
「せんせー、ワタシたちがやろうか?」
明るい声に、いいのかいと柔らかく目を細める。
そして期待を含めるように二人の目はこちらに向かう。
「別に、いいですけど」
イヤじゃないよ、別に。
断る理由があるとすれば、面倒くさい。
だが、その言葉をこの場で出すのは自分には難しいようだ。
 
 
「じゃぁ、お願いするよ」
ユキちゃんは保健医手書きの募集用紙を折って側のゴミ箱に捨てた。
苦笑を浮かべていたけれど、綺麗な顔はうれしそうだった。
 
そして、チャイムが鳴る。
すっかり忘れていたが、次の講義に向かう途中だったのだ。
 
「ちょっとユキちゃん、授業始まる」
じゃ、せんせ、またねと片手をあげる。
「大丈夫、教授が来るまでに席に着けばいいんだよ」
軽い返事とは裏腹に、廊下を全力で走り教室の扉を開けた。
 
教授はすでに教室で待っていたらしい……
 
六枚目
次の休日というのは思ったより早く来た。
 
というのも、この学校の休校日は不定期だ。
週休二日にすればいいのに……
 
目の前にある紙の箱。
段ボールかと思いきやなんだか違う。
でも、箱には興味ない。
用があるのはその中身。多分、洗剤だと思う。
その数と手元の紙にかかれた文章を見比べる。
よ、読みにくい……
 
ろっぷす……が、こっちの緑の液体でしょ?
で、それが十四個あったけど今は六個だから……
あれ、八ってどう書いたっけ?
 
「ユキちゃん、8ってどう書くの?」
眉間にしわを寄せて、またなのぉ?と語尾が上がる。
本当にごめんなさい。
 
作業がなかなか進まない。
鬱陶しくて仕方がない。
 
「先生」
保健室の植木鉢に優雅に水やりをしていた保健医は靴下の上からおばはん履きしているスリッパをパタパタ鳴らして近寄ってきた。
ちなみに、おばはん履きをしていることに気づいたのは今日だ。
いつもは引きずりそうな白いワンピースのくせに、今日はなぜかズボンに白衣姿だった。
ある意味、レアだ。
 
「文字の読み書きを含まない仕事は無いですか?」
面と向かって言うと、相手は困ったような表情を浮かべた。
「あるにはあるけど、ここを使う仕事を先に済ませたいんだよね」
そう言って白衣は両手を広げた。
確かに今、この部屋は大変物が散乱している。
しかも、薬品が確認の度に場所を移動し、把握出来ていない。
保健室という役目を果たせるかというと、ベッドで寝るか先生相手に愚痴をこぼすぐらいしかできそうにない。
 
 
苦しい作業もみんなでやればまた楽しい。
というのは嘘だと思う。
圧倒的に自分が足を引っ張っているという実感を取り除けない限り苦しい作業というのは変わるはずがないのだ。
 
ユキちゃんは談笑混じりに片手作業というのに、自分は何ともいえない惨めな気持ちに苛まれている……
 
でも、引き受けたからにはとりあえずやる。
別に、辞めさせてと言う勇気が無いというわけではない。
 
備品在庫の整理が現在進行中の仕事。
表にある品数から今ある在庫数を引いて使用数をメモしている。
読めない文字はアルファベットだけでいいのに、面倒な文字を使うなんて……
 
 
苦行に堪えられなくなって、吹っ切れた。
 
品名も、数も日本語で書こう。
 
今は自分がわかればいい気がした。
確認作業が終わってからゆっくり書き直せばいいのだ。
二度手間だが、だらだら作業を続けるというのは性に合わないのだと自覚している。
 
一気に気が楽になった。
 
 
さらさらと作業が進む。
表にある文字は文字ではなく、ロゴだと考える。
数字を読むのだって難しくはない。
 
あぁ、なんだ。
こんなに簡単な事だったんだ……
 
 
 
 
 
調子にのってきたところで、保健室の扉が開いた。
 
ただ引き戸がスーッと音をたてただけだったのだが、緊張した。
この酷く散らかる部屋を誰かに見られるのが気になったのかもしれない。
 
それはユキちゃんも一緒だったらしく、反応を示したと同時に、扉を注視していた。
 
しかし、私達の緊張とは裏腹に外からやって来た奴は単調な声を放つ。
「どうだ、進んだか」
茶色の紙袋を胸に抱えて、扉の向こうから表れたのは、シャツの上にいつも短いネクタイをしめる実技教官……なのだが、今日はその変な赤いネクタイが見あたらないし、シャツもズボンに入れていない。
毎日見かける姿とは微妙に違い、違和感を感じる。
彼なりの休日スタイルなのだろうか。
 
 
シュエ教官も部屋に一歩踏み入れた後で私達に気づいたらしい。
その後ピタリと動きを止め、少し下ろした目線は散らかる床の上を一周した。
 
 
「万能お手伝いさんのお陰で大分進んでるよ」
保険医の言葉に、鉄仮面は少し俯いて口を細く開けた。
「それは良かったな」
教官は足場のルートを見つけたのか、障害物の間を大した動作を見せずにすり抜けていく。
 
「ほら、ねぎらってやろう」
言葉はほんの少し偉そうに投げられ、紙袋は片付けれた卓上に置かれた。
 
きょとんと座ったままの私達をよそに、お茶を入れようかと白衣は立ち上がる。
「二人も休憩しよう。長引く作業は軽い休みを挟まないと続かないしね」
 
 
なんだなんだ、調子にのってきたと思ったら休憩に入っちゃうのか……
いや、休みたいけどさ
 
 
 
折り畳み式の椅子が並ぶ四角い卓には清潔なクロスが敷かれている。
先に卓についたユキちゃんは何を持って来たのか教官に聞くが、返答はない。
「開ければわかる」
ムカつくのはシュエ教官が言うせいだろうか。
 
「開けてもいいんだよね?」
ユキちゃんが不安そうに私を見る。
私に聞かれても困るのだけど……
 
「いいよ、開けて並べてくれるかい」
答えたのは保険医だった。
やったと、紙袋を開けて覗き込む。
その顔が輝いた。
 
 
「カワイー!」
可愛い?
この固そうな男は一体何を持ってきたのだろう……
 
 
 
ユキちゃんによって並べられていくものはパンだった。
菓子パンに分類するのが正しそうだ。
少し透明なソースで彩られた茶色のボートが並べられていく。
かと思うと、美しい肌のように真っ白な生地にに雪の粉をまぶしたようなものもある。
 
 
少女の手で楽しそうに展示されていく様子は確かに“可愛い”ものであった。
 
人数分のカップとポットを持ってゆっくりと席についた白衣は真っ先に青黒いジャムが入ったパイ生地ボートを手に取った。
ジャムに混ざる小さな珠を見るとブルーベリーによく似ている。
 
真っ先に手を出すなんて大人気ないと思ったが、目を細めて頬張る様子は大人気ないというよりただ可愛いと表現する方がいいかもしれない。
本当にこの保険医を見ているとおっさんである事を忘れてしまいそうだ。
というか、思い出したくなかった。
 
 
ユキちゃんの方は、一番初めに取り出した、小さめの土台に赤と黄のソースで美しい模様が描かれたものに手を伸ばしている。
彼女が初めにカワイイと言ったのは多分これだろう。
確かに鮮やかな色で模様も綺麗だ。それでいて、小さい為か、いい具合に素朴感が表れている。
カワイイと呼ぶにふさわしいお菓子だ。
 
 
遠慮の気持ちから、パンに手を伸ばせず手元に置かれたカップに口をつける。
甘い。
紅茶の様だが渋味は少なく、かと言って砂糖の甘さとは何か違う。
不思議な風味だが嫌いではない。
 
 
「食べないのか」
向かいから少し低めの声。
あ、教官の方が声のトーン高いんだな……
「食べますよ」
要らないなんて言ってないし。
雪景色のパンを手に取ろうとすると、あ、と声がもれた。
いつもより開かれた青の双眸を見つめ返す。
「いや。何でもない」
どいつもこいつも賤しいな。
伸ばした手を引っ込めると、本当に何でもないんだとまた繰り返す。
「ただ、一度潰してしまった物だというだけだ」
あー。食べたかったから止めた訳じゃないんだ。
 
「なら、もらってもいいですよね」
構わないと聞いて、指で白雪を突つく。
柔らかい感触を一瞬感じると、ドームは支えを失った様にぺたんと潰れた。
さっきまで微妙なバランスで形を保っていたようだ。
あまりにも美しい潰れ方なので感嘆も聞こえた。
 
 
しかし、こうも綺麗に潰れられると、美味しそうには見えない。
かと言って、やっぱり要らないとも言えない。
 
掴んで引き寄せると、とりあえず、一口サイズにちぎってみた。
思ったより弾力がある。
焼きたてすぐとは言わないが内側はほんのり温かい。
 
おいしい。
 
 
「美味しいですね」
二口目をちぎる。
「そうか」
ゆっくりと、満足気に紅茶を啜った。
「ちょっと頂戴ッ」
気が付くと、片手にあったはずの白雪が消えていた。
そして、ユキちゃんの手に乗っている。
……いつの間に。
それに、あげるなんて言ってないし。
かぶり付かれそうだったので慌てて止める。
だって、まだ二口しか食べてないのだ。
 
 
「美味しいけど、地味な味」
ユキちゃん……
クスリと笑う保険医。
「伝えておこう」
教官も心持ち愉快そうだった。
 
 
七枚目
休憩はさっと終わり、また作業が始まる。
 
さっきまでの書き込みメモを見直すと、自分の字がこんなに汚かったかと驚いた。
 
所々、スタグネイション文字が混ざっているのは、日々の成果というかややこしいというか……
書いているときには自覚がなかったのだから、疲れていたのかもしれない。
 
このままじゃ、平仮名とスタグネイション仮名が混ざったまま平気で使ってしまいそうだ。
 
ややこしいなぁ。
 
 
 
数量の確認はまだまだ続き、終わる頃には日が傾いていた。
床に広げられていた備品は保険医の的確な指示によって元の場所へ。
薬剤等の場所は全て覚えていたようだ。
さすが保健室の城主。
管理が行き届いている。
 
 
感嘆したところで、表をまとめる作業に入る。
 
「ストーム、お前の文字、やはり変だな」
机に広げたメモを、仕事をしていた訳でもなく、手伝うわけでもなく、ただそこにいた教官が覗き込んだ。
後ろから覗かれたので気分が悪い。
しかも、振り向くと立ったままの長身から視線は降ろされている。
椅子に座っているので、その差はいつもより高く、強い圧迫感を感じるほどだ。
 
「やはりって、何ですか」
教官は実技担当だから、記入を見られることは無いし、自分の書いた物を見せた記憶はない。
やはりって何だ。
 
すると、口元に手をあて、一度目を泳がせた。
「赤髭が言っていた」
赤髭……フェイク論のラン教授か?
何と、まさかの情報網。
そうか、食堂でのあれは伏線だったのか……
 
しかし、あの気難しそうな隻眼が生徒をきっちり見ているとは思わなかった。
いや。真面目だからみてるのか。
 
「ワタシたち、いつも一番前の席だからねー」
あぁ、そうか。
それなら見えるな。
 
気にしてはいなかったのだが、言われると気にする必要を感じてしまう。
 
 
でも、前の席は空きがちだから落ち着いて座れるんだよな。
ユキちゃんだって文句は言わなかったし。
 
 
「……これは、昔習った文字です。少しスタグネイション仮名が混じってますけど」
「記憶は無くしたと言っていなかったか?」
言葉の意味がわからず教官を見返す。
少しして、保険医に記憶喪失だと言ったことを思い出した。
 
返事に困り、しどろもどろに返す。
「なんか、こことは違うところで、変な事を学んでたような……そんな感じです」
間違ってはいないし。
 
 
「格好いいね。教えてくれないかい」
「前から思ってたけど、暗号とかに使えそうだよねー」
ノリノリの保険医と少女。
 
暗号ねぇ……
 
 
「暗号にするには簡単すぎる。読めるだろこれくらい」
冷静な割に普段より男の顔は、どや顔にみえる。
 
「もうわかったのか?さすがだな、シュエは」
じゃあ、訳して書いてくれとさりげなく仕事を振る。
 
拒否するかと思いきや、あっさり隣に座った。
やる気満々なのか。
 
この保険医、人を働かすの上手いな。
見習う気はないが、頼る気になった。
困ったらこの人の所へ来よう。
 
 
 
教官は自信有り気だった分、手際も良かった。
 
私より翻訳が速いなんて……
 
まぁ、教官にとっては慣れた単語だからだろう。
一応彼が訳した数字の分だけ確認したが、完璧だった。
何だこいつ。
 
 
お陰で表はすぐにできた。
 
「よし。ご苦労様でした」
白衣は表を持ち、満足気だ。
保険医の一言に各々伸びをしたりしてリラックスに入る。
 
 
窓にかかる白いカーテンを開けると辺りはすっかり暗く、狭い裏庭を部屋の明か
りがぼんやり照らしていた。
表を作り始める時点で確かに暗くなり始めていたから当然ではあるか……
 
「ところでせんせー」
表情で反応を返したのは保険医と教官。
椅子の背もたれに上半身を完全に預けるユキちゃんは保険医の方を見ていた。
 
 
「なんだい」
穏やかな微笑みを返しながら、机を挟んだ正面に座る。
「何で今日は普通の服装なの」
動きは小さいがすぐに吹き出したのはシュエ教官。
保険医はというと、決まり悪そうに口角を持ち上げた。
「いつもは変な格好かい?」
「うーん。学校内では目立つから」
まぁ、確かに
生徒は制服があるし、実技・教科関わらず先生も細身のズボンが主流みたいな風がある。
その中で、重心がやけに低いスカートなどをはかれては気になりもする。
それに、豊かな髪も重々しいほど漆黒をたたえ、なめらかな広がりも見せるためなかなかに目立つのだ。
 
「説明してやれよ」
嫌味な具合に教官の口元が曲がるとクックッと笑いがもれた。
なにやら嬉しそうだ。
 
美人は口元こそ笑みをたたえているが、目元が参ったと訴えている。
 
「別に大したことじゃあないのだけれど、昔怒られてね」
苦笑いのまま、後ろを誤魔化すように呟く。
「え。どういう怒られかたをしたら、いつもの格好になるんですか?」
あの姿が注意されるならともかく、逆に注意されて例のワンピーススカートとは想像もつかない。
壁に持たれていた教官は更に隠さずクツクツ笑い出した。
保険医は少しの間をあけて、あまり思い出したくないと呟きをもれす。
「ここに来るようになってすぐの頃、ある女の子が学校生活の相談に来たのだけど……」
段々美人の笑顔には暗い色が混ざっていく。
「思い切り嫌われたのだよね。極度の男嫌いだったらしくて」
何でそんな子がこの学校に来たんだろう。
 
「学校内では男女混ざったままいるから、我慢出来なくなったらカウンセラーに愚痴でもこぼそうと考えたのらしいね。それで、話しに行ってみたら俺だったわけ」
「迷惑な話ですね」
あははと苦笑混じりに力なく笑う。
 
「それで、結局女装に落ち着いたんだー」
呆れているのかユキちゃんの顔は横にふんのびている。
「同僚のアドバイスでね」
「僕じゃない、他の奴だ」
私達に疑われていることに気づいたのか、間髪入れずに教官は否定した。
「でも、それがなかなかうけたよ。あの子も気に入ってくれたみたい」
「にしても、ある日見たらいきなりヅラだったからな。かなり驚いた」
「かつらと言わないでよ。ウイッグだから」
教官は真顔ながらヅラヅラと連呼する。
多分女装よりそっちに気がとられたんだろうな。
保険医の方も呼び方を気にしている。
 
なんか、小学生みたいだ。
 
 
「でも、せんせー中途半端だよねー」
「なにかおかしいのかな?」
いろいろおかしい所がある気がするのだが、どこから突っ込むべきか私にはわからないが、とりあえず傍目からみておかしい所がないとは思えない。
 
しかし、ユキちゃんの話は斜め上を行く。
「見た目だけ女性でも違和感あるじゃん。話し方とかも女っぽくしてみてよ」
ちょっと待って後半。
どうしてそっちに持って行く……
「貴女が言う女っぽくって、こう、いうやつかしらぁ」
少し照れた様子で咳払いをしてから、ハスキーな艶っぽい声がでた。
ハスキーヴォイスと言うよりはやっぱりテノールと呼べるような気がしなくないが……
 
しかし、溜めの間といい、雰囲気といい、なかなかいい線行っている。
いや、悪い意味で。
 
……うん。わかった。正直に言おう。
気持ち悪いです。
 
「前にもやったことがあるのさ、さんざん気持ち悪いと言われたね。更にシュエはあぁだし」
もう一度咳払いしてすまなそうに顔を掻いた。
言われて教官の方を見る。
目を見開いたまま硬直しているようで、顔色もかなり悪い。
よっぽど不快だったのだろう。
 
 
「そういう訳で話し方は変えていないのだよ」
「慣れたら問題ないよー。ケッコー面白いし」
「やっぱり駄目だよ。寒気がしたし」
ニタリと笑うユキちゃんだが、その意見には賛同出来ない。
 
「チョー美人なのに、勿体無いなー」
頬を膨らませブーイング。
確かにちょっと勿体無いとは思うけどさ。
 
 
「まぁ、別に生徒に受け入れてもらえればそれでいいのさ。養護教授としてはね」
なんと見上げた根性か。
でもやっぱり間違っている気がする。
 
「さ、点呼の時間だろう?戻らないとペナルティを課されるよ」
にこやかに低い声が言った。
 
年少クラスだけは、朝と夜に点呼がある。
聞いてみたところ規則正しい生活のためらしい。一応。
それなら成年クラスはどうなのだと聞きたいのだが……
とにかく、守らないとペナルティを課される。
一回不在ごとに二日間、校内の一部施設と学校の敷地外には行けなくなるのだ。
別に学校から出られなくなったところで、今のところ学校と寮以外どこにも行かない私には全くといって問題はないのだが。
 
「長い時間つきあってもらって悪かったね」
アルバイト代をもらい、そういえば手伝いに来たのだったと思い出す。
なんだか、パンを食べたことと女装になった理由を聞いていたことしか覚えてない。
 
あ、文字を書くのに困ってたっけ。
 
 
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