card
Chime1
息を切らせ、慌てて走る。
今日は訓練。
そう聞いたが、何この内容のえげつなさ……
茂みが揺れる。
まずい。何か来る。
相手が獣型の場合、下手に走り回るのは禁物。
その場で止まり、気配の中心を探す。
違う!
この形は獣じゃない。
気がついてすぐ、走り出す。
できるだけ離れないと。
どれだけ走った。
今何処にいる。
そろそろ時間だと思う。
早く、終わればいいのに……
腕にはめたタイマーを呼び出す。
黄色いパネルが姿を現し、訓練の終了間近を宣言する。
残り時間一分。
もう戻り始めてもいいかもしれない。
広い訓練用地。
コンクリに似た作りの部屋なのに、わざと周りに土と水を置き、植物園の温室並みにうっそうと茂っている。
苔だらけの壁ですでに気味が悪いのに、鉄板を敷いて中途半端に造られた道と、部屋を仕切るように立てられた古いフェンスが気味悪さを倍増させる。
ご丁寧に錆始めた”危険”の鉄板もついているし。
今回の訓練では茂みの中に模擬敵が潜む。
模擬敵と言えば訓練ぽいが、相手はフェイクなので下手をすれば本当に死んでしまいそうだ。
しかも手持ちのカードは訓練前に取り上げられたし。
丸腰でどうしろって言うの。本当に。
訓練用地なので、出口までのルートは足下に描かれている。
これもまた、かすれ具合がいい感じで、禁忌に近づこうとする映画の中に入り込んだ気分だよ。
とりあえず、訓練はもうすぐ終わる。
チェックポイントは全部回った。
後は決められた時間ぴったりに出口へと戻るだけだ。
さっさとクリアしてすぐ帰る方が課題としては楽なのに……
ぶつぶつ文句を声に出さずに唱えていると、脇から影が飛び出してきた。
しまった。
油断した、と思い、慌てて見よう見まねの戦闘態勢に入ったが、すぐに相手が良かったーと抱きついてくるので思考が止まった。
「ストームちゃーん、怖かったよー」
自分が着ている物と同じ、茶色基調の軽い素材でできた野戦服。
一重の細い目に、赤色の自由に跳ねる二つくくり。
「ユキちゃん!」
まず落ち着いてと、抱きつく少女を離す。
「ユキちゃんって、私の三分後出発でしょ?」
こくこくと彼女は首を縦に振る。
「もう戻るの?だいぶ早いと思うけど」
「それがね。まだ一カ所しかチェックポイント見つけてない」
多分本人は本気で困ってるんだろうが、彼女は高い頬を赤くしている。
仕方ないなぁと、チェックポイントのおおよその位置を教えようとした。
おおよその位置というのは、途中で敵から逃げるために走り回ったため方向を間違えているかもしれないと言う意味だ。
教えようと口を開いた時。
かすかに葉が擦れるような音がして、脇の影を振り向く。
それは無駄すぎるくらい高い位置を。
頭上を、
飛び越えてきた。
「やばッ」
「う、あ……」
ゆっくりとこちらに方向を直す獣。
犬をもっと劣化させたような生き物はだらりと垂れた舌から涎を滴らせていた。
「いやあぁぁ!」
お化け屋敷での恐怖といった勢いで本当に怖いのかどうかわからないが、高い叫びをあげながら相変わらず頬の高い彼女は走り出す。
私の腕をつかみながら。
半分引きずられる状態から立て直す。
「駄目だよ、獣型に出会ったときは走っちゃ」
「そんなこと言ったってぇ」
二人して後ろを振り返る。
劣化した犬はすさまじい勢いで全身を使い追いかけてくる。
「いっ、いやあぁ!!」
「わあぁ!」
二人して、何処かに仕込んである脚力ブースターに火をつける。
大声を出しながら走ると、早くなるって昔テレビで言ってた。
透明な素材の扉が見えた。
出口。
待機中のクラスメートが並んでいる。
あと、このふざけた実習を入ってきたばかりの年少クラスにさせる教官もいるはず。
「そこどいてー!」
扉の前にたむろってんじゃないぞ。
扉に背を向けていたグループはフェイクを見てか自分達の形相を見てか、目をひん剥いてその場を動いた。
勢いに任せ扉を破り、ユキちゃんと一緒に急いで閉める。
犬は一度扉にぶち当たると、首を振った後、あきらめて帰っていった。
訓練敷地の外にでないように命令されているらしい。
助かった……
「ストーム、チェックカードを見せろ。ユキ、お前はまだ早すぎる」
一安心してその場に崩れた上から、冷たい藍色の目が降ろされていた。
細身の上にいつも機嫌が悪そうな顔。
キープ専科の若き実技教官シュエ。
まぁ若いっても、教官だししれている。
三十は越えてると思うよ。
……いや、知らないけど。
腕を組むシュエ教官はいつもと変わらず不機嫌そうな顔である。
「はい」
腕にはめた小型プロジェクターで虚空にカードを映し出す。
「合格。だが規定時間には少々遅れた。次から気をつけるんだな」
すごく上から目線の言葉。
なんか、やりきった感も感じられない。
しんどいだけじゃん。
「ごめんねーワタシが話しかけちゃったから」
ユキちゃんのせいじゃないよと弱い笑みで言う。
「ユキ。まだ終わってないだろ。タイマー三十秒追加して再度出撃」
そんなぁと少女は大きく肩を落とす。
待機の奴らからざわめきが聞こえた。
いいか皆、早く帰ってきたらペナルティがついてまたあの訓練所へ放り込まれるみたいだよ。
「先生ー」
引き戸を開けて助けを求める。
細かく分けられた部屋の真ん中、コマの付いた椅子に座る先生がこちらを向いた。
長い髪、程良く膨らんだ愛らしい丸顔。光を受けて輝く黒い瞳、細い眉。
見事なまでに女顔なこの保健室の先生は、声を聞いて初めて男だとわかる。
「はいはい、そろそろ誰か来ると思ってたよ。怪我かい?」
もう二回目だというのに、やはりこのギャップには驚きを隠せない。
何せ顔が良すぎる上に声が良すぎる。
ベクトルは全く別方向を向いてるけど。
「怪我したー」
ユキちゃんが先生の前に座り、野戦服の上を脱いだ、負傷したという肩をさらす。
「おー、これはひどい」
うすら笑みを浮かべながら言葉だけ大げさに言う。
「シュエ教官の初心者に容赦ない訓練だろ。今回は君だけか?」
うん、そーと肯定する。
「じゃぁ今年は筋が良いね。あるいは受講者が減ったせいか」
「いつも怪我人が出るんですか?」
「そりゃもう、大量に」
大量って、大丈夫なのかこの学校。
「傭兵学校なんて今時はやらないな、やっぱり」
「え、ここ傭兵学校なんですか?」
先生の呟きに引っかかりを感じて聞き返すと、二人とも似たような顔をしてこちらを見た。
「……知らないの?」
「えぇ、まぁ」
「君、学校理念ちゃんと読んだ?」
「少しだけ。まだ文字は勉強中です」
まん丸い目は私というよりは空間を見ているらしい。
落とされた大きな溜め息は私に遠回しに馬鹿だと言っている気がした。
「学校始まって二週間もたったよね」
「そうですね」
目線は横に泳ぐ。
知らなかったんだもん。
「まぁいいじゃん、学園都市内じゃ何処の学校所属していても扱いはあまり変わらないっていうし、他の学校の講義を受けに行くのは当たり前だし」
ユキちゃんの言葉がフォローに聞こえたのは私だけではないだろう。
「そうなんだ」
初めて知った。と正直に述べただけなのにひきつった顔がユキちゃんに浮かんだ。
「君、本当に大丈夫か?」
「あのっ、軽い記憶喪失で最近のこと以外覚えてないだけですから」
いつもの手を使うとさっきとは別の意味で心配そうな目が向けられていた。
私だって、この町で出会った誰か知らない教授に薦められて、学校へ行ったらそれがここだっただけだし。
文字はその教授に教えてもらったから書けないだけで一応読めるし。
「ここに来たのも、訳あって出会った教授に薦められたからです」
それを聞いて、ふむと先生は腰をかけなおした。
「まぁ、適性検査でキープ専科に振り分けられるくらいだ。本当にここがふさわしいかったのかもしれないが」
納得した様子で質問責めは終わった。
「先生ーそれより治療してよー」
ユキちゃんに言われて思い出したように止まっていた手を動かし始める。
治療は短時間で済んだ。
傷薬を塗って、上からガーゼで張り付けただけ。
私が知っている方法と何ら変わりはない。
「最初でそれなら上等上等。挫けず頑張りなさい」
はーいと背中を向けて返事をする。
引き戸は滑る音を立てて閉まった。
無駄に長い保健室前廊下を二人並んで歩く。
今日の講義はもう何もないから、とりあえず着替える為に寮の自室へ戻りたい。
位置的には保健室の真上なのだが、寮は半円形をしている建物なのでいちいち中心まで行かないと階段がないから面倒くさい。
こんなところで避難訓練とかやったらすごいことになりそうだと予想する。
食堂の前を通って階段を昇る。
年少クラスは三階。女子は階段より西側。
ユキちゃんとは相部屋。
相部屋と言っても、二人で一部屋だし、部屋はカーテンとセパレーターで手前半分と奥を左右二分割し三部屋に分かれている。
なかなか広いし、快適だ。
室内は扉を持たないが、二人とも奥の部屋にこもるかどちらかが外へ出ている事が多いので不便に思うことはない。
「ストームちゃん。今日は予定有る?」
制服に着替えていると、隣の部屋から天井の空いた簡易壁越しに声が降ってきた。
「文字覚えちゃうつもり」
そっか、とおとなしい声が返ってきた。
「じゃぁ、一人で図書館行ってくるね」
ごめんねと同行できないことを謝る。
別に一緒に行ってもいいんだけれど、あの恐ろしく広い図書館へ行くと無い視線が気になって背中がムズムズする。
行ってきますと声が聞こえて、出口の方を振り返る。
私服姿のユキちゃんの姿を捕らえると同時に扉が閉まった。
さて、自分の仕事に取りかかろう。
机の中から五十音表を出す。
スタグネイション仮名の五十音表。
書いてある文字は平仮名と同じ読みをする記号。
小学生の暗号表かと初めて見たときつっこんだが、つっこんだところで、この平仮名を真似て作り直したような文字がこの世界で一般的に普及している事実は変わらない。
覚えられそうで覚えられないところがもどかしい。
形は平仮名に似ているんだ。だけど、原形を留めていない文字もあるし、文字同士で形が似ていてややこしいのもある。
先日購買で買ったノートに同じく購買で買った銀色の消せるペンで書いて書いて書きまくる。
文字を覚えるにはやはり手で書くのが一番だ。
幸いなことに文字が違うだけで文章としては日本語と全く同じ。
文法事項を覚えたり、単語を覚える必要がない分英語より遙かに楽。
でも文章を読もうとすると、平仮名だけと同じ状態だから意味をとるのに時間がかかる。
文法ルールとして文節ごとにスペースを入れてはあるのだが読みにくさはなかなかのもの。
漢字ってすごかったんだね。と改めて感じる。
ノックが響き、作業を止める。
返事をしながら扉を開けた。
「あの、カード専科のセタって言うんですけど」
小さい顔に合わない眼鏡を鼻に乗っけた坊ちゃん刈り少年。
制服らしきものを着ているが、ストームの黒を基調にした丈の長い上着と違い、彼が身につけるのは茶色のブレザー。
カード専科と言えば、この学校で唯一、上下の年齢制限のない研究科だと聞いた。
「ストームさんってここですか?」
研究者が自分に何のようだ。
怪訝に思ったが、会いに来た相手が自分だからといって理由も聞かずに追い出すなんて失礼だろう。
「私だけど」
少年は黒い目を一度まん丸くさせて私を見る。
へぇーと呟いてから用件を告げた。
「能力開発室に来て欲しいんです」
何で私が、とここで返しても失礼には値しないだろう。
というか、当然の行為のはず。
「先輩に聞いたんですけど、今年のキープ科、力の強さではストームさんがトップだそうです」
しどろもどろになりながら少年は説明した。
どっから出てるんだそんな噂……
「毎年トップから順に研究に協力してもらっているので呼んでくるように言われました」
要はパシリか。
どこでも先輩が強いのは仕方ないのかな……
「毎年」
「はい、毎年です」
通例なら仕方ないなという気分になる。
「今から行くの?」
尋ねるとうれしそうにハイと答えた。
いや、まだ行くとは行ってないし。
セタ少年と一緒に校舎の三階へ上がる。
三階はほとんどカード専科専用も同然。研究室や能力開発室といった部屋で埋められているらしい。
彼に案内されて入った部屋には少年と同じ制服を着た三人組がいた。
胸にバッジが着いていることからして三人とも成年クラス。
思わずヒヨコを連想する素直そうな男。
鬱陶しい前髪に隠れる蒼目が鋭い男。
そして猫目のお団子頭。
彼らには見覚えがある。
「試験官、の」
「覚えてた?」
お団子頭の女は緑色の目をきらきらさせて笑っていた。
入学届けを出した直後、クラス分けの為と言って面接試験を課された。
そのときの面接官がこの三人だった。
その態度と来たら、もう訳判らない。
あの蒼目は「注意力2点」やら「対応力ゼロ」やら意味の分からない点数を延々付けていた。
あっちのヒヨコはこれも試験だからといってカードを盗む真似をした。
猫目は大した行動をおこしはしなかったがテスト終了を告げるまでピクリとも動かない表情のせいでプレッシャーが掛かった。
そう、こいつらには恨みがある。
自分が不快そうな顔をしていたのだろうか、私が帰ると言おうとする直前にヒヨコが出口の前に立ち説明を始めた。
出す気無いの?やばい、閉じこめられた。
「君に協力して欲しいのはカードの遠隔操作のデータを採る事なんだけど」
「あー、他の人じゃ駄目?」
遠回しに参加したくないことを訴える。
「君じゃないと駄目なんだ」
そう言われると、こっちも断りにくくなってくる。
しかも相手は私の目を見て、両手で腕を掴み、ばっちり離す気がない。
「遠隔召喚はできる人が少ないのよ。あなた、試験中に見せてくれたでしょ?」
猫目の女がとどめを刺す。
そういえば、ヒヨコにカードを盗まれた時、返してくれる様子を見せなかったから彼の持つ私のカードを召喚を使って無理矢理奪い返した。
あぁ、自分は何て事をしてしまったんだろう。
「講義を入れていない暇な時間で良いわ。私たちはいつも誰かここにいるから」
ここに来いと。
「別にデータが取れればそれでいい」
鋭いというより伏せられた蒼目が床を見つめながら呟いた。
余計なことを言わないでと猫目女にしばかれる。
とにかく、私はこれから、たまにここを訪れなくてはならないらしい。
最後の台詞は、理論が完成したら何かおごるからさ。だった。
別に、食べ物につられる訳じゃない。
あのままじゃ、帰らせてくれそうになかったから。
はぁ、と溜め息をつく。
セタ君の見た目に騙されたせいだと思えてきて恥ずかしい。
こんな場所、来るんじゃなかった。
私が承諾したという事で早速データ採集が始まった。
能力開発室は真っ白な部屋だ。
少し上の方に窓がある。そこから四人がこちらを見下ろしているのが見えた。
「ストームさん、カードをその場に置いて後ろに十歩離れてちょうだい」
猫目女の声が響く。
指示通りジェルのカードを一枚置いてその場から後ずさりする。
「いいわよ、始めて」
合図を聞いて、カードの名を呟いた。
黒いカードは淡い光を帯びて形を変える。
ブルンと身震いをするゼリー状のフェイク。
ふーんとマイクに下がりがちの声が入っていた。
「ちょっとそこで待ってて、今セタを向かわせたから」
何か判らないが、測定に都合が悪い事でもあったのだろう。
セタ君が来ればまた測り直しかなとジェルをカードに戻した。
結局、実験は二十五回を越えた。
もうすること無いだろ。
早く終わろうよ。
召喚、体力使うんで勘弁してください。
「助かったよ、今日はここまでにしておこう」
マイク越しにヒヨコ頭の少し困ったような声が聞こえたが、後ろに猫目女の騒ぐ声が入っていた。
猫目女はまだ実験を続けるつもりだったのかもしれない。
……彼女がいる時は実験協力を避けた方がいいな。
寮に戻ると自室の友人はすでに帰っていた。
カーテンを開けたままなので、寝台に寝ころびながら本を読む彼女の半身が見える。
「ただいま」
ユキちゃんは身を起こした。
セミロングよりも少し短めな髪は少し寝癖が付いていた。
「どこ行ってたの?」
別に興味はないが挨拶代わりという様子。
「カード専科の研究を手伝いに」
疲れに任せ、自分の寝台に体を横たえる。
友人の答えは意外なものだった。
「すごいね」
「何で」
「何でって、研究協力にスカウトされるのは特に目立った力の強い人からでしょ」
あー、そんなこと言ってたね。
「そろそろ始まる頃らしいけど、早いんだねー」
誘われるの、とついてきた。
「行った部屋にいたの、試験官だった」
「うわ、何その自慢ー」
自慢のつもりではなかったが、ユキちゃんは笑い声混じりにそれは自慢だと認識したらしい。
「自慢じゃないよ」
こっちも軽い返事になった。
「試験官は誰が一番強いか見てるでしょ?だから、一番は断られた場合以外だけど試験官が手元に置くっていう習慣があるよ」
それでこの友人は私の言葉を自慢ととったのか。
って言うか、断れたんだ。あれ。
「学校理念もろくに読んでいない私が、学校の習慣なんて知ってるわけ無いって」
そう言うと、ユキちゃんの笑い声が返ってきた。
「ワタシも学校理念とか斜め読みしかしてない」
だよねーと結局二人で笑った。
「そっちは、面白い本でもあった?」
「今読んでるー」
そりゃあそうだなとさっき半身見えたユキちゃんの姿を思い出す。
本を読む邪魔をしても悪いし、大人しくしていよう。
それに、文字の練習も途中だった。
明日からは五十音表を解読表として持ち歩かなくてもいいようにしたい。
延々、書いて読んでを繰り返した。