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Chime4
 
十枚目
のどかな天気の元、待ちぼうけを食らっている。
座る後ろには大きな構えの建物。ぼっかりと薄暗い口を開けた問屋。
取り扱い商品は極端に大きな業務用品。
一つ一つ荷物が大きいので運び屋の必要はあるようだ。
しかし、本当に給料がでるのか不安になるほど仕事がない。
一応、一度は呼び出されたし、ユキちゃんはついさっき呼び出されて都市内の神学校まで運びに行っている。
だから今、一人で待っている。
とっても、暇。
 
側に置いてある「フェイクあり、にもつはこびます」の看板を眺める。
木材だ。
飾り気のない文字は筆のような書体。
 
 
フェイク有りというのは、荷物が重すぎるので客のほとんどはフェイクで荷を運ぶ習慣があるから。
キーパーの類ではない人は店の運び屋に頼むということだ。
キーパーでもないと、こんなひ弱そうな私に頼んだりしないよねと白い腕を見つめる。
 
前の世界にいたときよりも、いくらか細い気がする。
あれは、筋肉じゃなかった気もするけどさ。
 
 
 
 
前回、ピコ先輩に連れてこられてから十日余り。
今日は休みのバイト君達の代理として、ユキちゃんとともに雇われた。
むしろ、スケープゴートとしてバイト君に連れてこられたのだろう。
ピコ先輩のことを恨んでもいいが、所詮私も暇人なのだ。
 
 
 
 
 
別に客が少ないわけでもない問屋の前で、じっと座っている。
一応問屋に雇われている形だから、給料は一定の額を終了時に渡されると聞いた。
何でわざわざそんな事にするのか。
運び屋が、勝手に店を出せばいいのに……
とは別に口に出して言わなかった。
きっと、何かあったのだろう。
 
 
あまりにも退屈なので、罪悪感に近いものを感じる。
憂鬱になってきたので、店内に入り何か手伝うことはないかと訊ねたが、外にいてと追い払われた。
私、何か悪い事しましたか?
 
 
じっと座ってるだけで高い日当。
なんか、気持ち悪い……
 
だいぶ日が高く上っている。
そろそろ、仕事時間が終わる。
ユキちゃんも帰ってこないし、不安が募っていく。
 
言いようもなく一人悩んでいると、白い鳩が飛んできた。
鳩、というか。丸まるとした体の、どこかキャラクターという印象を与える生物。
急降下して私の足下に降りる。
ユキちゃんのフェイクだ。
足に取り付けられた伝書管を取り外す。
ここに来たからには、宛先は私のはずだし。
 
小さな紙に書かれた短い文章。
「さ、き、に。かえる?きゅうい、よう、もら、つておい、て」
先に帰る。給料もらっておいて。
読みにくいが、何とか読めた。
たぶん配達は終わったのだろう。何か用事かできたのかもしれない
白い鳩が返事を望むように見上げている。
「ちょっと待ってて」
手のひらを見せ制止を促すと、鳩は小さく飛んで私の腰かけていた木台に止まった。
 
 
立ち上がり、どうしようかと店内に入りかけたところでタイミング良く雇い主がやってきた。
「今日の最後の仕事な。ブラックスローンまでだ」
雇い主の後ろにいた客に細い目で見下ろされて、頭の中は白くなった。
「きょ、教官」
「ん」
落ち着いた声、不機嫌そうな深い藍色の瞳は紛れもなく、シュエ教官の姿だった。
 
 
 
 
最後の客だと言うことと、行き先が帰る場所だということで今日はもうこの店には帰ってこない。
雇い主にそのまま帰れと言われたからだ。
そんなに邪険にしなくてもいいじゃないか。
でも、雇い主はこの最後の客を放っておいて、給料の精算を始めようとした。
そのときユキちゃんの鳩が目に留まって思い出す。
「あ、もう一人の子。何か用事があったらしくて、先に帰りました」
文句を言わないどころか気にした風を全く見せずにそうか、と雇い主は二枚の特殊な小切手を差し出してくれた。
なんだか違和感を感じながらも礼を言い、白鳩が運んできた紙の裏にメッセージを書く。
「うけとりました」
慣れない文字のせいで文字が一つ一つでかい。「した」が入らなくなるかと思った。
 
とりあえずくるくると丸めて伝書管へ入れる。
一緒に小切手も入れておいた。
 
よろしく、と頭を突くと鳩は白い翼を広げた。
 
ファンシーな光景を感じながら、白い鳥が青空に消えていく姿を眺めると、自分にもあんな可愛いフェイクが欲しくなってくる。
だって、なんだか自分のカードはゴツいのが多いから……
 
 
「用は済んだか」
後ろで無言で立っていた依頼人はゆっくり動いた。
中身は判らないが面積の大きな荷物がおかれている。
他に小脇に抱えるくらいの箱が一つと細長い木箱が一つ。あと、白い紙袋がここから見ると三角形になっている。
どうやって運べばいいんだろう……
「振動は最低限に」
授業と同じ調子で無表情は簡潔な言葉を述べる。
「えっと、とりあえず荷物はフェイクに乗せて飛ばしますけど、どうします?荷物と一緒に帰りますか?」
頼むと呟いたのを聞いて、自分の腰に巻いていた紐をはずし、フェイクを召喚する。
淡い光がみるみる形作っていく。
 
姿を見せたのはハルキュオネ。風属性らしい淡い黄緑色の巨大な鳥。
鳥は頭に付いた長い飾り羽をピロッと立てて、首を傾げた。
 
紐で荷物をまとめると、そのまま担いでハルキュオネの背に乗る。
「教官、乗ってください」
無表情は小さい動きながら眉をひそめた。
「何か問題でも?」
「いや、学校へ行く前に寄る所がある」
「寄りますよ。ハルキュオネは速いから急ぎの用でも大丈夫です」
すると今度は口元に手を当てて、教官には珍しく困った表情が浮かんでいる。
「どうしました?」
聞いてはみるが返答はない。
しかし、大鳥に乗りたくないという雰囲気は何となく伝わってきている。
「……もしかして、怖いとか」
キッと睨まれた……気がした。
「えっと。他の奴にします?」
相変わらず一点を指す目はじーっと私を見ていたが、反応に困っているらしい。
鉄仮面だと今まで思っていた顔には意外と表情があったようだ。
顔から力を抜いたような小さなため息を一つすると青い目はこちらを見上げた。
「お前のフェイクはどれも大きい、変えたところで同じだ」
あぁ、この人大きさが問題だったんだ。
「じゃぁいいですよ。私だけでフェイク飛ばして、荷物を持って帰りますから」
「待て」
何ですか。
呆れたと目を向けると、ちょっとだけ戸惑いが見て取れた。
「僕が、その荷物と一緒に、寄るところがある」
面倒くさい客だ。
「で、どうしたいんですか?」
無表情は少しやつれた影をみせながら乗せてくれとうめいた。
 
 
十一枚目
目的地は、遠いようだ。
他のフェイクの邪魔にならないように空高く上ったハルキュオネは、大きな影を下に落としながら、強い風を撫でていた。
 
 
軽い気持ちで初飛行を試みたが、予想以上に強い風で目を開けるのもつらい。
大鳥の背に張り付くようにして踏ん張りながら遠い後空を見る。
荷物の振動は避けるようにいわれたが、空路を選んだのは逆効果だったかもしれないと反省する。
 
そういえば、前にハルキュオネに荷物運びを頼んだものの、いざ荷を解いた時には惨状になったことがあった。
……今更思い出しても、どうしようもないな。
 
 
「きょーかーん」
大きな声を張り上げて、後ろにいるはずの人物に呼びかける。
「まだですかー」
「……」
行き先と降りる目標は一応ハルキュオネに告げた。
体を預けている大鳥に任せれば着くことぐらいわかってる。
けれど、あまりにも不安だった。
相変わらず後ろの人物はうんともすんとも言わない。
もう少し。とかこの辺り。とかそういう指標がもらえるのは、まだまだ先なのかもしれない。
 
後ろを振り返る。
人物はこちらを見ようとはしない。
ただ、俯いて鳥の背に顔を押しつけているように見えた。
あぁ、まずい。
 
「ハルキュオネ、高度と速度を下げて」
ピーッと高い笛が鳴り、傾きを感じると共に体の感じる重力と圧力が減った。
下の空を飛んでいたフェイクたちの姿はもう無かった。
一瞬と感じていたうちに町から離れていたようだ。
かなりぶっとんだ飛行だったらしい。
 
「ごめんなさい」
「……いや、いい」
速度を下げたせいか羽ばたきの回数は多い。
「元々、急ぐ用では無いことを伝えるべきだった」
この人相当参っているようだ。
「いったん降りますか?」
「いや、もうすぐだ。着いてからでいい」
言葉ではそう言っても、顔がずいぶんと青い気がする。
 
 
体にかかる圧力が減ったおかげでずいぶん楽になった。
ゆったりと座り直し、両手で鳥をつかみながら下を見下ろす。
緑の絨毯。
まさにそんな光景だった。
いろいろな木が生えているのだろうか、所々黄や赤の葉があるせいで模様ができている。
それにしても、まっ平らな森だ。
 
その絨毯には、きれいに切り取られたような穴があった。
穴、というより、ドーナツ状の土地。
真ん中に他の木と比べ物になりそうもないほどの巨大な木が視認できた。
枝打ちの手を加えるものもおらず、陽光を得るために競う相手もおらず、特別に育った木は、周囲に向かい大きく手を広げているように見える。
 
そこを狙うように体を支える土台は傾き始めた。
目的地らしい。
何故あんなところに行きたいのだろう。
 
 
のんきに考える暇もなく、傾いた鳥は荷物をはためかせたままだんだんスピードを上げていく。
これ、落ちる?
いやな予感。
「は、ハルキュオネ。もっと、ゆっくり」
頭を撫でながら言葉をかけてみたが、聞いちゃあいない。
くちばしを先頭に、体は傾きながら落ちていく。
 
やめて、やめてと鳥の体を手でたたく。
しかし、涼しい顔をして大鳥は降りていく。
地上が大きくなっていく。
あぁ、あのドーナツこんなに大きいんだ。
もう目を開けるのもつらい。
つかんでいる手を頼りに顔を羽毛に押し込めた。
 
 
大きな音。
 
羽をはばたかせる音だというのはすぐにわかった。
羽毛に埋もれた顔でたくましい筋肉の動きと伝わる音が感じられた。
 
圧力から解放されて、一瞬、体が宙に浮いた気がした。
いや、もうすでに飛んでいるけれど……
 
何度か羽ばたきが聞こえ、体を支える土台は上下に揺れた。
それっきり、五感は何も情報を得ようとせず、体が感じるのは変な浮遊感だけになった。
 
顔を上げてみる。
体を預けていた鳥は、体制を低くして降りるように告げていた。
「なんなのよ」
こちらを見つめる緑のビー玉を見据える。
自慢気に見えるのはなぜだろう。
「……ありがとう、でも、もうちょっと優しく」
言って降りてやると、ピーと鳴いて体を左右に振った。
何か重い音がした。
 
今のは、多分何かが落ちた音。
でも、荷物は全部自分が、体にくくりつけた上で持っている。
ということは、落ちた物というのは一つしかない。
 
風にあおられひどい形になった淡い色の前髪を普段のように手ぐしで降ろしてから、物体が落ちた方をそっと覗く。
膝を抱えるようにして、丸まった背中が空を向いていた。
 
 
 
 
 
少しして、気持ちも落ち着いたのか、立ち上がった男はそれでもふらふらとおぼつかない足取りで目の前の大木へと歩いていく。
それが、先ほど上空からみたドーナツの中心だと気づくまでそう時間はかからなかった。
ふと、教官は両手で頬を叩いた。
実際に気合いを入れるときにこんなことをする人を始めてみた。
意外。
 
目つきを鋭くさせた男はキッと空を睨む。
「ばあさん、持ってきたぞ」
その声は普段教官として聞く声とは大きく違って聞こえた。
響くような大声は木の上の鳥を驚かせただけではない。
ゆっくりと蛇が降りてきた。
自分の持つフェイク【アケオロス】と比べると巨体ではないが、よく知った蛇と比べれば大きさは桁違いである。あと、長い。
何しろ大木の上の方から頭が伸びているのに、体の端が見えない。
細長いロープに空缶の頭をつけたような、酷い作りだ。
ぱっと見て、その奇妙な生物がフェイクだと解る。
独特の冷たい印象を感じた。
 
舌をチロチロと出しながら、降りてきたフェイクに教官は警戒することなく触れる。
誰か所有者がいるようだ。
ならば大丈夫だろうと思い、荷物を持って近づくと、男にすり寄っていた蛇は急にこちらに向き直した。
「止まれ!」
焦りを含んだ指令が飛んだ。
それよりも蛇の方が速かった。
どんな角度でやってきたのか、ぐんぐんとこちらにロープについた赤い舌が迫る。
どう動くのか考えられなかった。
考える時間はないことに自分でも気付いた。
 
とっさに身を伏せる。
 
何か冷たいものが触れた。
見上げるとすぐ上に避けたはずの蛇がいる。
ただ、赤い舌の出所はゴム風船のように膨らんでいた。
「え?」
先からぽたりと垂れた水が、額にかかった。
「止まれ、【ミズイワイ】!」
次の瞬間、目の前で噴水ショーが始まった。
 
 
 
 
 
 
ボタボタと水滴が落ちるのが不快だった。
長い髪が背中に張り付いて、上から下へ大河の流れを作る。
自分が濡れていることだけでも不快なのに、身体の上から滴り落ちてくる水滴がまだある。
 
ふと手に持つ荷物で体を庇ってしまったことを思い出した。
教官の荷物。濡れてしまった。
 
しゃがんだまま動けないのを見てか、駆け寄ってくる足音が聞こえる。
「立て。逃げろ、まだ終わっていない」
指示の声だと気づいた時、またイヤな気配がした。
見上げることもできない。荷物で頭を覆ったまま動けない。
 
また別の影が差した。
 
 
蛇との間に乱入してきたのが教官だとすぐに解った。
それが弱点だと判断していたのだろう、巨大な悪魔を討ち取ったといわんばかりに水風船の根本を握り、天に振りかざす。
しかし、教官の読みははずれていた。
 
逆鱗に触れた、と思った。蛇の頭はますます大きく膨れ上がる。
それは、次の攻撃がどれほど強大なものかを予想させ、同時に呆れた。
 
実際、放たれたのはただの水だが、調子に乗って大量の水を入れてしまったバケツがひっくり返ったような、とにかく一瞬の出来事だった。
 
局地的な大雨の範囲から逃れることはできず、二人とも酷い姿となる。
「【ミズイワイ】」
それが、フェイクの名前なのだろう。
勝ち誇ったように舌を動かす蛇を、水を吸ってくたびれた服の男はぎりぎりとそのまま締めあげる。
「僕と荷物と、あとストームも、ばあさんのとこまで上げてくれ」
ピュッと水鉄砲を放ってから、ミズイワイは体を伸ばし、シュエ教官に巻き付く。
一瞬にしてそのまま木の上へと消えて行ってしまった。
 
取り残され、ぽかんと大木を見つめる。
 
ふと、体に違和感を感じる。
いつの間にやら、先ほどの細い蛇が体に巻き付いている。
きつくはないが気持ちの悪い感覚にふりほどこうとしたが、荷物を持った状態では大きな動きなどできなかった。
抵抗したことに怒ったのか、顔に向かって水鉄砲を放たれた。
顔を拭おうにも手が使えない。
目も開けられないうちに気が置いて行かれるような速度で、体は上空へと持ち上げられた。
 
 
十二枚目
木の上には、粗末な建物があった。
さながら小さい頃に夢見た、木上秘密基地を大規模に建造したような小屋。
扉の前にはベランダと呼べる立派な足場と柵。
そこに足を着かせると、蛇はするするとどこかへ消えた。
 
 
 
荷物の届け先は、ここなのだろうか。
そっと扉を叩く。
「さっさと入れ」
高めの男声。教官の声だった。
おそるおそる手をかけ、開く。
 
全体的に暗いが、隙間や天窓から入り込む光で照らされた室内。
入り口が重点的に照らされているせいで奥の方が暗い。
「誰か連れてきたのかい?」
声に目を凝らせるとタオルを手に持つ老人が、椅子に腰掛けるシュエ教官の世話をしていた。
曲がった腰にもかかわらず重たそうに幾重にも重ね着をしたお婆さんだ。布の帽子の下から薄い髪の毛が長く伸びている。
片手で口元を被い、まぁと声を出す。
「こんなお嬢さんまで。全く何してるんだい」
「ばあさん、ストームにもタオルと、あれば服を貸してやってくれ」
はいはいと元気な足取りで奥へと進む。
「ご苦労。ねぎらってやる」
雫をしたたらせる椅子から立ち上がり、光の下へと出てきた。
たくましい上半身があらわになった姿が目に入り、見上げたまま棒立ちになってしまった。
対して男は気にした風もなくタオルを首に掛けると、持っていた荷物を置けと指示をだす。
我に返り、荷物を置こうと下を見ると、一歩先からカーペットが敷いてある。
濡らしてしまうのも申し訳ないので、せめてタオルを受け取るまでこの場に立っているつもりだ。
 
 
暗い室内。数歩先に立つ教官の顔さえもぼんやりとしているが、火の気は御法度だと木々の音が聞こえる
木の板を並べた壁は窓の他に、所々隙間を造りながら光と風を中へと迎えていた。
雨でも降ったらどうするのかと考えながら辺りを見回す。
他の壁面には足下に敷かれている布と似たような幕が掛けてある。奥が暗いのはそのせいらしい。
暗くてよく分からないが大きな模様が描かれているようだ。赤い色をしているのだろうが暗がりでくすんだ色にしか見えない。
 
また、視線を回すと、部屋の片隅で家を支えている幹が自己主張をしていた。脇の扉から幹の向こうにも部屋があることがうかがえる。
 
「どうした、ストーム?扉を閉めろ」
室内を見渡す様子を怪しんだのか、声をかけられた。
すでに習慣となってしまっていたのか、彼の命令口調が勝手に体を動かす。
いつの間にかそばにいた教官に荷物を取り上げられてしまう。
仕方なく扉を閉めると、周囲が一気に暗くなったため少々不安になった。
 
 
どうすればいいか呆然としていたところに老婆が戻ってきた。
タオルを差し出され、軽く髪と服の上の水分を取る。
「ごめんねぇ、お嬢さん。馬鹿な孫で。いつまでたってもフェイクに嫌われて」
腰が少し曲がっているせいで、見上げるように眺めてくる目は老人ではあるが、かつては強く印象を与えたのではないかと思うほどたくましいものだった。
「ご存じの通り木上なもので、暖の取り方は限られててね。奥の部屋に【ヒカリゴケ】を放してあるから、そこでお着替え」
 
 
 
老婆に連れられ、模様入りの布がかかった扉を開ける。
目がくらむほどの光が、四面の壁から放たれていた。
驚いたことに、光源は壁際でうごめいている。これが【ヒカリゴケ】なのか。
手を伸ばしてみると、ぼんやりと暖かさを感じる。白熱電球のように熱を放っているようだ。
さすがに見た目のグロテスクさから、触れようとは思わなかった。
 
服を手渡され、扉が閉められた。
目が慣れてきて、もう一度部屋を見ると、なにかの台が置かれていることに気付いた。
どうやら機織り機らしい。美しい細工のされた織りかけの布が奥に伸びている。
そういえばヒカリゴケで覆われている壁も、隙間に赤や青といった色が見える。
さっきの暗い部屋にも模様は見えないが垂れ幕がいくつもかかっていた。
あの女性の仕事なのだろうか。
 
 
とにかく今はうっとうしく貼りつく服を着替えたい。
あらかた水気を取った服を脱ぐと、作業台に置くわけにも行かず、床に置く。
水が嫌いなのかヒカリゴケがザワっと逃げるように動いた。
気持ち悪い。
できるだけ光源達を動かさないように、先に脱いだ上着の上へ重ねるようにしてズボンをおいた。
部屋がぽかぽかと暖かいので、もう少しこのまま体を乾かしたいのだが、全裸で、しかも他人の家にいるというのは気に入らない。
 
さっき渡された服に袖を通し、ボタンを留めた。白いシャツのようだが、古いのか型が崩れ色も落ちている。
それにデザインが丸襟だったり、刺繍がされていたりして……子供服っぽい。
サイズもちょっと小さい。でもまぁ、大丈夫か。
一方、下はキュロットスカートになっていた。渋めの色で、婦人服風という出で立ちだ。
模様には人型っぽい物や町らしき風景などが描かれている。何かストーリーになっていそうだ。
これは大きいのを見込んでか、サスペンダー型のベルトが用意されていた。
洗濯ばさみに尻尾が着いたような留め具が懐かしい。
 
 
着替えが終わったので濡れた服を拾い上げて、暗い部屋に戻る。
扉を開けると出会い頭に教官が立っていた。
「もういいか?」
この部屋に入りたかったのか、相変わらず半裸の男は片手に荷物をぶら下げていた。
「糸が濡れてしまったからな、乾かさないと」
道を譲ると、紙袋から棒に巻き付けられた糸玉をいくつか出した。
そういえばヘビから放たれた滝から頭を守るために荷を犠牲にしてしまっていた。
「手伝いましょうか」
身を屈めていた男は、糸を絡ませないよう気をつけながらパラパラとほどいていた手を止めずに、少しだけ顔を柔らかくした。
「頼もう」
 
 
「ここ、教官のお祖母さんの家ですか?」
糸を乾かすため、壁から突き出た杭に巻き付けて張りながら尋ねた。
「ここはじいさんのアトリエだ」
新しい糸巻きを取り出してまた広げ始める。
「お祖父さん?」
あぁ、と返事があった。
「元は絵描きだったじいさんが造ったんだが、この前死んでな。ばあさん用の部屋も一つだけあったが、今は全部がばあさんの仕事場になった」
 
見てみろと、壁に貼りつくヒカリゴケを片手で払うと、額に入っていない二つの絵が姿を現した。
モノトーンで描かれた風景だ。
全く同じ物を描いているようだが、微妙に雰囲気が違う。
近づいてよく見ると、理由が分かった。
「じいさんが絵を描いて、ばあさんが再現する。逆のこともあるが」
描かれた絵と織られた絵だった。
「同じ物を作るって……仕事で、ですか」
少しだけ手を止めて、無表情は下を向いた。
「違うな。言ってみれば、ただの年甲斐のないバカップルだ」
何が違うのか分からないけれど、仕事の関係というのは否定したい様だった。
「じいさんが死んでから、同じ柄を織り続けてる。何を考えているのか分からないが、たまに怖くなる」
隣で作業台を見る教官がやけに不安そうに見える。
対照的に機織り機から伸びる織りかけの布は明るい色をしていた。
 
 
「心配でうかがいに来るのですか?」
「そんな訳が」
口を閉じ、いつものように難しい顔をする。
「ただの使いだ」
本心でも嘘でも、祖母思いな様子が伝わってきた。
なんというか、優しい気持ちがこみ上げてくる。
「どうした。うれしそうだな」
「いいえ、別に」
 
 
 
「シュウちゃんの分の着替えだよ」
全ての糸を張り終えた頃にお婆さんが部屋に来た。
こちらを見て何故か目を輝かせる。
「お嬢さんもよく似合うわ。小さい頃のシュウちゃんそっくり」
え?
シュウちゃん呼びも気になるが、もっと気になることがある。
「そっくり?」
隣で上着を羽織った教官を見上げる。
嫌そうに目をそらされた。
「この服、もしかして教官の……」
「そう。子供の頃の服よ」
完全に女物だと思っていたが、まさか……こんな、最終的に婦人服っぽい服を。
しかし服装だけで「そっくり」と言われるわけがない。
さて、どういう事だろうか。
 
「じいさんが長髪好きでな。伸ばしていたんだ。小さい時」
目を泳がせるようにして言う様子が、良い言い訳を探しながら謝罪でもしているかのようだ。
しかし、シュエ教官の長髪か。
見たい。超見たい。
「学校に入るからって今よりも短く切っちゃったのよ。かわいかったのに」
「見た目の問題ではなく、校則だ」
周りの女どもに一切気を遣うことなく、着替え終えた教官は普段通り不機嫌そうな顔を向けた。
「校則が無かったら、切らなかったんですか?」
「切ったな。むこうじゃ昔は男も女も長髪は無精の証と言われた」
ひどい言われ様だ。
 
「若い男がいつまでもかわいい格好していても困るけど。嫁が見つからないわ」
冗談めかして笑うお婆さんと目が合う。
「肖像が残ってるわ。見る?お爺ちゃんのお気に入りだから習作なら沢山あるわ」
よっぽどうらめしい顔でも浮かんでいたのか、老婆が魅惑的な囁きをこぼした。
老婆は深いしわの中ににっこりと笑みを浮かべ、横目でちらりと男の様子を覗った。
「頼むからやめてくれ」
顔を隠し悲痛な声を上げる男を無視して、ヒカリゴケを一房肩に乗せるとぱっと走り去ってしまう。
「元気なお婆さんですね」
返事は無かった。
 
 
十三枚目
亡くなったお爺さんのお気に入りだったというのは本当らしく、お婆さんの持ってきた紙束には髪の長い利発そうな子どもの凛々しい顔や何ともない仕草が沢山描かれていた。
アルバムを見るより鮮やかで、動きがあると感じたのは、描いた人の技術だけではない様だ。
 
あまりにその量が多いので、空気に耐えかねたらしい元モデルはとっくに部屋を出て行った。
私だって、自分のアルバムを大きく広げて見せられたら耐えられない。
しかも教え子とか……死のう。精神的に。
 
ページをめくり、時間がたつにつれて孫の説明がヒートアップすることにも少し参るところがある。
でも、可愛いんだこれがまた。
小さくても一人前だと言わんばかりにキリッとポーズを決める姿。ミズイワイに驚かされて飛び上がっている。かと思うと満面の笑みでヒカリゴケをつかんで見せてくる無邪気さ。まぁ、ヒカリゴケは気に入らないんだけど。
煩雑な線で百面相が描かれた用紙には一枚一枚に愛が込められていた。
 
 
孫自慢が終わったところで、礼を言って孫を捜す。
どうやらもう木上ハウスにはいないようだ。
ベランダに出ると、ヒョロッと細長い物が顔を出した。
「シュエ教官は?」
尋ねると降りてきた首はすっと斜め下方を見る。
「私も降ろして」
蛇は少し顔を見てから、手を伝い体に巻き付いてきた。
ずいぶんとゆっくり降ろされた。
持ち上げる時と降ろす時では勝手が違うのだろう。
礼を言うと、またすっと上方へ消えていった。
 
「あの子が指した方は、こっちかな」
幹を回り、周辺の狭い草原を見渡すが姿は見えない。
林の中かな。
少し歩くと薄暗い木陰にしゃがむ男をとらえた。
「教官」
気付いていないのか、返事は無い。
仕方なくさらに近づく。
「何しているんですか」
びくりと体をこわばらせ、そのまま固まった。
回り込んでみると、ガーゼルといっただろうか、キャンバス用の三脚を立て、絵を描いている最中だったようだ。
「何をしている」
「それは今私が聞きました」
顔にこそ出さないが焦っているのだろう。そうかとだけ答えた。
「見ての通りだ」
言いながらキャンバスを体で隠す。
「……何かやましいことでもしているのですか」
「そんなことはない」
「なら隠すことないでしょう」
不機嫌そうな沈黙の後、不自然にねじっていた体をどけた。
「まだ練習中だ。じいさんのようにはいかなくてな」
ただ、風景が描かれていた。
「下手な絵を見られるというのは良いものじゃない」
「そんなことないですよ」
「お世辞はいらん」
「そんなつもりじゃ」
下手ではない。上手いと思う。が、写実的というには何かもの足りない。
「練習不足だ。一日ずっと絵を描いていたじいさんに及ぶわけがない」
 
「教官」
「なんだ」
「教官は教官ですよ。本業と趣味は違います」
キャンバスを見つめていた目がこちらに向く。
「教官にはまず私達の指導を一番に持っていて欲しいです。だから」
「ストーム、そこに座れ」
いつも通り淡々とした指令口調に近いトーン。感情が読み取れない。
言われたとおり、指さされた木の元に座る。教官とキャンバスを挟んで対面するような形になった。
「練習に付き合え。動くなよ」
どうやらモデルになるようだ。……モデル、か。
「……わかっている。そんな簡単にじいさんのようにはなれない。なれるなら絵描きの職が成り立たない」
手を動かしながら淡々と語る。
「だが、休日ぐらい仕事から離れさせろ。今日は教官じゃない」
「それもそうですね、すみません」
「いや、いい」
 
木漏れ日が赤みを増した。さやさやとささやく葉擦れが心地よい。
風が冷たい。
教官が何か言っている。
 
 
あぁ、良い気持ちだ。
 
 
 
 
 
 
 
「はっ」
目が覚めた時にはもう辺りは暗かった。
頬がくすぐったい。それに、足が地面を感じない。
ここがどこで、何が起こっているのか思い出せない。
 
「起きたか」
顔のすぐそばで声がした。
「え」
背負われていた。くすぐったかったのは負ぶっていた男の短い髪がちくちくと刺激していたせいらしい。
「あれ、教官」
「暢気なもんだな。木にもたれたままずっと寝てたぞ、動かしても起きないから仕方なく負ぶった。怒るなよ」
呆れた様子で、歩き続けている。
「どこに行くんですか」
「帰るんだ」
どこにと言いかけてやめた。
「寮の点呼には間に合いそうにない。すまない」
「そ、そうですか」
「後で正式に手配しておくが、事後報告は嫌われるからな。僕の権限じゃ、出てしまった外出禁止令には文句はいえない」
「たいして気にしませんよ。元々行動範囲は校内ですから」
 
 
「ストームが様子を見に来た時に引き上げたら間に合ったかもしれないが」
「なんか、すみません」
「いや、僕の判断ミスだ。人を描く事が最近なくてな」
調子に乗りすぎたと呟きが聞こえた。
「少し前までよくウーを描いたが、最近捕まらない」
「ウーって誰ですか」
教官の顔がこちらを向く。すごく近い。
 
「保健室の女男」
あぁ、髪の長いふんわりローブを着た保険医さんのことか。
「保健室の先生、名前聞いたことありませんでした」
「そうか」
 
「それで、その、機会があれば、また描かせてくれないか」
「え、何を」
「お前をだ。嫌なら拒んでもいい。別に誰でもかまわない」
なんか、少し照れる。後半は聞かなかったことにしよう。
 
「誰でも良いなら、最近人を描かないって言ってたことと矛盾しませんか」
「……お前、友達少なそうだな」
「ばれましたか」
 
 
 
しかし手首に違和感を感じる。腕は負われている都合で教官の胸元にある。
のぞき込んでみると濁った色でまだら模様のできた布で両の手首を留められてた。
「教官。これは何ですか」
肘を曲げ、高い位置に持ってくる。
「眠っていても背中から落ちないようにするためだ。その長さじゃ上体固定は無理でな。なんだ、不満そうだな」
そりゃ縛られて満足な人はまれでしょう。
「……もう降ろしてもらっても結構ですよ。そもそも負ぶってもらわなくても」
いや、帰る時間になっても起きなかったから仕方ないのか。
気を損ねた様子もなく、男はかがんだ。
足を地に着けたのを確認すると、膝の裏を下から支えていた腕を放して、まだらの布を解きにかかった。
 
「僕がキーパーなら良いのだが、あいにくフェイクとはいい関係が築けた試しがなくてな」
「キーパーじゃないのですか?」
「そうだ、元々戦闘科上がりだからな」
キープ科の先生なのに、キーパーじゃないだと?
けれど、確かに教官はカードを持っているところは見るが、学校でフェイクを連れていたところなんて見たことがない。フェイクが放されている訓練用地にも教官が入った事はないと思う。
思い返せば、フェイクを使えるなら問屋で私を雇って荷物運びなんかさせる必要無いし。
後【ミズイワイ】の反逆からフェイクに好かれないのはよくわかった。そうでなければ私のフェイクを怖がるはずがない。
「戦闘科で教えていたのにキープ科の教官になったのですか」
「違う。戦闘科ではまだ教鞭を執ったことはない」
生徒だ。と聞いて驚いた。
長髪は無精の証と言い放った学校は私の学校だったというのか。
どうしよう。私長髪だよ。
 
 
 
まだ違和感の残る手首をひねりながら、カードを用意する。
それが昼と同じ大鳥のカードだと気付くと、教官の表情に一瞬影が差した。
「鳥目で見えない。なんてことはないだろうな」
普段の様子から見れば心底弱っている様子で、もう二度と乗りたくないとうかがえる。
あの暴風は確かにこたえたが、距離ある場所には一番良い移動手段だと思うんだよな。
「えーと、まぁ、たぶん」
「たぶん?」
怖い。怖いぞ。聞き返されただけなのに何でこんなに威圧されているんだろう。
「いえ、鳥目では無いです。夜道でも飛びます」
前に使いにやって夜更けに帰ってきたことがある。たぶん羽ばたく音で幾人か寮の人起こしちゃっただろうな。申し訳ない。
 
「大丈夫ですよ。行きみたいに無茶しないよう、飛ぶ前に強く言っておきますから」
いつもより疑り深い目が振り返ろうとした頬に突き刺さる。この人の眼光は質量すら持ち得るのだろうか。
「帰りましょう」
ごまかすようにフェイク嫌いの手を引いて、帰路についた。
 
校門前で座り込んでしまった背中をみつつ、申し訳ない事したなといくらか反省した。
 
十四枚目
昼の授業は自習だった。
鉄仮面のシュエ教官は生徒達に莫大な筋トレメニューを課しただけで、結局姿を見せなかった。
 
初めて見た代わりの先生への緊張も解けた頃、相方のユキちゃんがうわさ話を始める。
「シュエ教官、女生徒たぶらかした罰で謹慎らしいよ」
「なにそれ」
「いや、たぶらかしたんじゃなくて、手込めにしたんだったかな」
言葉を失わざるをえない。
心当たりがあると言えば、昨夜の帰りが遅かったことだろう。
どっから出た噂か知らないが、凄い速度だ。眠りこけていた午前中の内に隣人にまで広がっている。
 
腹筋を使い身体を起こしたとき、噂好きの少女の背後に恐ろしい影が差した。
「シュエ先輩はそんな事しません」
先生のゲンコツに、ユキちゃんが頭を押さえる。
「暴力反対ー」
頭を確認するようになでながら、ぶーとふてくされるユキちゃん。
目の前の小柄な先生は涙を潤ませた目で応じる。
「シュエ先輩は悪い人ではありません。今日は、ご予定が、あるはずで……」
「な、泣かなくてもいいじゃん」
「先生落ち着いて」
ビー玉のような綺麗な目が憂いの緑に輝く。
 
式典のようにきびきびとした動作できびすを返し、館内に声を響かせる。
「この噂、聞いたことある人」
素直な生徒達は遠慮がちに手を挙げた。
「噂好きの子は罰として腕立て追加1000回」
「げっ」
不満を言いたいが、涙を湛えた童顔に対し強く言える生徒はここにいなかった。
それにこの女は口答えすれば罰を返す面倒臭い先生だと言う噂の方が先に轟いていた。
結局誰もノルマを終わらせないまま、授業終了の合図が鳴る。
 
「うー、頭がんがんする」
突然の限度を越えた負荷によりがくがく震える足でユキちゃんに付き添いながら、保健室へと向かう。
「どうして頭なの?」
「うーん、あの先生のゲンコツかなりやばい」
見た目には注意を引くためにゆっくりした速度で軽く小突くようすだったのでそうは思えないが、ユキちゃんにしてみれば頭蓋凹んだと思ったとのこと。
 
寮舎への渡り廊下を曲がると、長蛇の列が視界に飛び込んできた。
最後尾の同級生に声をかける。
「何の列?」
「……聞いたことないのか? ブラックソーン名物、花の列」
「なにそれ」
知らないのかとあきれ顔の同級生。
一方ユキちゃんは失敗したと言いたげにひたいをぺちと叩いた。
「そっか、あの先生がホアきょーかんか」
「ホア教官がこの列とどう関係あるの」
「お前、足は?」
「がくがくだよ」
「腕は」
「だるくてあがらない」
「腹は」
「ひどく痛む……なるほど、保健室への列か」
湿布をもらうとか、痛み止めをもらう為に並んでいるようだ。すれ違った同級生は薬入れと包帯を握っている。
 
ユキちゃんが笑って手を引いた。一緒に列に加わる。
「本当は違う意味なんだよ。苛烈な訓練で怪我人続出してたとか」
「……今日はただの筋トレだったね」
よくそんな先生を働かせるなと口から出そうで出なかった。
 
診察が早いのか、列がはけるのは早かった。
直前の生徒など廊下にも聞こえる声で「湿布くれ」と叫んですぐ去っていった。
 
「君たちで最後かな」
保健医は包帯と塗り薬を持って待機していた。
「昨年までは戦闘専科の花の列とキープ専科の学の列ってのがあったんだけど、今年の初めてだよキープ専科の列は」
湿布の巻き方を簡単に説明される。セルフサービスのようだ。
 
「センセー聞いてよ」
「筋トレの話は聞かないよ」
「ホアきょーかんが殴ったー」
ユキちゃんの言葉にそれまでおっくうだったウー先生は血相を変えて包帯を机に投げた。
「どこだ、どこだどこだ? 痛みは? 腫れは? 熱っぽくないか。吐き気はするか?」
長髪を振り乱し、低い声には鬼気迫るものを感じる。
「アタマ、痛いかな」
びっくりしながら控えめに患部を押さえるユキちゃん。
「どうするか。あの子は本当に……眠くないか? 吐き気はしないか?」
大丈夫と返事を聞いて、少し落ち着いたようだ。
「よかった。でも頭を打ったときは後から症状が出ることも多いから。少し様子を見ようか」
そう言いながら髪の毛を押さえて患部を見る。
「たんこぶになってるな」
ひとまず冷やしておくために氷嚢を用意する。
「今回本当に手当が必要だったのは君だけだよ。一体何をしたんだい」
呆れた様子で優しく氷嚢を置いた。
「シュエきょーかんが休みだから、なんで来ないんだろうって話してたら怒られた」
「ユキちゃんが悪口言うからだよ」
あっははと低い声で高らかに笑い出す
「うわさ話なら俺も聞いたよ」
保険医の目は意味ありげにこちらを向く。
「ひどい話だよ。シュエがそんな人に見えるかい」
「そんな人に見えないから面白いのー」
ユキちゃんの返事に複雑そうな笑顔を浮かべる。
「それにシュエきょーかん、怖いけど顔はいいほうだし。迫られたらトキメケる自信あるよ」
別にユキちゃんの好みは聞いていないが、一部の女生徒に人気がある教官というのは噂に聞く。
今回の悪い噂はその評判も手伝っているかもしれない。
「そうかいそうかい。みんなシュエのことばっかり好きっていうんだよ」
「センセーのことも好きだよ」
「そうかい、ありがとね」
すねた保険医をよしよしと慰める。
「でもあいつ、ロリコンじゃないよ」
あっはっはーと笑う保険医の真意はわからないが、ユキちゃんも不敵に笑う。
「ぼんきゅっぼーんってやつですね」
「そうだねー。そっちの方が好きらしいね」
たまにユキちゃんのノリについて行けなくなる。
 
「まあ、昨日の帰りが遅かったのは君に聞けばわかるかな」
そこで、二人の目が集まる。
「そう言えば、ストームちゃん昨日いつ帰ったの?」
「実は大体のことをシュエから聞いてるんだけど」
「何してたの?」
なぜか煽ってくる保険医。それに応じるように、勢いがついてくるユキちゃん。
「昼寝してたら、寝過ぎちゃって。気がついたら夜になってて」
しどろもどろで答えたのがまずかった。
「寝てたの? きょーかんと? それはマズイよ」
「いやいや、教官は寝てないよ。天気がよかったから外でぼーっとしてたらいつの間にか寝てた」
それもマズイよ。と目をまん丸くして呆れるユキちゃん。
保険医はなるほどねと微笑んでいる。
自分では上手く説明できそうになくて、保険医に助けを求める視線を送る。
「そろそろ仕上がっている頃かな、シュエの様子を見に行こうじゃないか」
 
 
教員宿舎は寮舎の上階にある。
生徒達は普段三階より上には上がらない。
保険医にが笑顔でエスコートするので、緊張しながら階段を上がる。
東側の端の部屋で足が止まった。
「さあどうぞ」
ドアを開け、入るように促された。
室内の作りは生徒の部屋と大差なかった。間仕切りで二人分の個室と一つの大部屋になっている。
「え、すごーい」
ユキちゃんの声が響いた。
共同部分の大部屋にはキャンバスがいくつか重ねるようにおいてあった。
手前の一枚だけが見えた。美貌だけでなく纏う空気というか、空間をそのまま写し取ったような保険医の肖像画。その仕上がりは丁寧で、雑多に置かれているのが惜しく思えた。
「なんだ、連れてきたのか」
のそりと立ち上がった教官はこちらを見下ろす。
「見せたいんじゃないかなーと思ってね」
保険医の言葉に眉尻をちょっと下げて、奥に通すように道をあけた。
「今しがた仕上がったところだ」
部屋の奥、日の当たる窓辺に一枚の絵が立てかけられていた。
あそこだ、あの森だ。
光を浴びた枝葉と重なり合う樹木により生まれた闇が広い樹海を語る。あの時の匂いや風すらを感じさせる。
「そっちはまだ描きかけなんだが」
見ると昨日持っていた木箱が側に置いてある。絵の具入れだったようだ。
 
 
「ほほう、これはこれは」
ニヤニヤとしたユキちゃんがこちらを見ろと手を引く。
「あ、あっ」
私だ。無防備にふやけた顔が描いてある。樹木にもたれかかり、この世の全ての幸福につつまれたような絵だ。
「や、なにこれ、めっちゃ、その、はずかしい」
一見笑顔に見えるがそのどこにも向けられていない表情は、寝顔だなと気付いてしまう。
見てられない。本当に直視できない。
転生している身としては正確には自分の顔ではないが、そこそこ長く付き合ってきた私の顔である。
なんというか、この顔の向こうに私がいるというのがとてつもなく恥ずかしい。
なんて、のんきな顔をしているんだ。なんて顔を見られているんだ。
 
 
正直、もうシュエ教官の顔見られない。
斜め下を向いたまま、口を開けなくなってしまった。
 
「よかったねー、シュエ、いいモデルが見つかって」
「いつもお前だけでは味気ないからな」
「しっかし良い出来だ。これ廊下に飾ったら疑いが晴れないかな」
「いやー、逆だよー。これはもう完全に奴の女って思っちゃう」
保険医とユキちゃんはキャッキャと楽しそうに会話する。
「なんの疑いだ?」
「あぁ、今日は一日ここにいたから知らないのか」
 
うわさ話がどこから来たかはわからないが。
「口の軽い奴がいたものだ。想像力もな」
「センセー震えてる」
「後でホアに礼を言っておきなよ。心乱れながらも自習に付いていてくれたんだから」
「ホアきょーかんにゲンコツされたんだからー」
「あいつのゲンコツ。それは……よく無事でいたな」
頭をさする手が見えた。痛いんだからねとユキちゃんが振り払う。
 
 
「センセーは結局なんで今日授業しなかったの」
「もともと昨日今日は休みを取っていた。買出しと祖母の家へ向かうために休暇を取ったが、ストームのおかげで昨日のうちに行って帰ってしまった」
「休講にしておけばよかったのに、申請が面倒だからって代理頼んで。帰ってきたのに代理を頼んだ先生に会いそびれたからそのまま部屋にいたの。やらなきゃ駄目なところをやらなかったのは君が悪いんだからから当然の罰だよ」
「そんなに悪いことか」
「印象は凄く悪いよ。生徒達にも同僚にも。そこにいるのに仕事に顔をださないんだから」
ホア教官に会いに行きなさいと厳重注意されている。
「そうするよ」
 
「ねー、きょーかん」
立ち上がったシュエ教官を呼び止める。
「ワタシのことも描いてくれないかな。その絵と対になるみたいに」
「対?」
少しの間を置いて、回答があった。
「地獄の門番にでも描かれたいか。異空間物を描く事は苦手だぞ」
「対極にしちゃだめ!!」
 
 
十五枚目
先生達の部屋を去り、自室に戻ると青い紙が貼ってあった。
「外出禁止れーが出たの?」
ベッド脇に来てくれた同室のユキちゃんに頷いて返すとケラケラと笑った。
「はー。遅いなーとは思ってたけど門限後だったかー」
 
「ところで、ワタシのバイト代は?」
「へっ?」
差し出された手に首をかしげる。
「メッセージくれた伝書鳩に持たせて返したよ。受け取ってないの?」
さっきまでケタケタ笑っていた彼女が急に固まり、ゆっくり目が見開かれていく。
「うっそー、どーしよ!!」
急に声を上げあたふたとする。
鞄をひっつかんでつむじ風のように走り回った。
「あの鳥、野良のフェイクなんだよ。近くにいたからちょっとお願いしただけなの!」
野良のフェイク。そこらにいる鳥に伝言を持たせて運んだという彼女に呆れつつ、だんだん事の重大さを理解した。
彼女のバイト代は見知らぬ鳩のせいで行方不明になったのだ。軽率な自分の行動にも血の気が引く。
「ごめん」
「ごめんじゃ見つからないよ、探しに行かなきゃ」
ほらアナタもと腕をひかれる。
「どこに?」
「お城だよ。捜し物ならあそこが一番」
「いや、でも外出が、その、できなくて」
ちらりと部屋の前の青紙を見る。内容は何度見ても変わらない。
くるくると表情が変わり、そうだったーと大きなため息をつかれた。
「仕方ないなー、知り合いでも当たろーか。カード専科で雷属性の友達とかいない?」
 
「こんにちは」
上階にある能力開発室。そのうちの一つに訪問する。
少しだけ引き戸を開けて、のぞき込むように挨拶した。
「やあ、昨日は助かったよ」
ちょっとだけ誰もいないことを期待していたが、彼らはそこにいた。
お団子頭の同室者と机を並べて、書き物をしている。ひよこ頭はこちらに気付くと手に持っていた紙を置いて立ち上がった。同室者の女性は、ちらりと出入り口にいるこちらを見たが、引き続き右手を動かしていた。
「どうしても間に合わせないといけない資料があってね」
こちらに歩み寄ってきたピコをよく見ると顔面は蒼白で、傍目にも明らかな寝不足。
冊子や用紙は二人のいた机を取り囲むように積み上がり、近寄りがたい雰囲気を醸し出す。
あいかわらず彼女は手元に視線を落とし、筆記をやめることはない。
「お忙しそうですね」
「まあね」
ピコはへらっと力無く微笑んで、部屋の奥を顧みる。返事をするようにお団子がこちらに声をかけた。
「そーよ、忙しいの。でも構わないわ。はいっていらっしゃい」
おそるおそる室内に入る。前回訪問したときとは異なり冊子が入った箱があちこちに積み上げられていて足の踏み場が危うい。
「ごめんよ、データの整理が追いついていなくてね。数字ならサイクスの方が強いんだけどあいつ今体調不良でさ」
「早く続きやってよ」
はいはいと力無く答えながらピコはもとの紙山に戻る。
定規やらなんやら文具一式を左右の手に持ち替えながら机に向かう彼女は近寄りがたく、部屋の端に寄せられたソファにユキと二人で腰掛けた。
「ピコ君、アレがない。【シオカゼ】のカード。どこ?」
彼女の言葉にうーんと思い出すように上を向いた。匂いをかぐようにすんすんと彼の鼻が鳴る。思い出したのかストーム達が腰掛けるソファの方を向いて指を立てた。
「悪いけど、その辺にある黒い表紙の本を取ってくれないかい? 緑で縁取りしたカードホルダー」
彼の指す先には、紙の箱が何段か積まれている。
「二段積んである箱の上側、右に平積みされてる上から三冊目」
上の箱を取り、中を覗くと見覚えのある模様が入っている。自分も所持しているカードホルダーと色は違うが同じ模様だ。
一ページに九枚入っている。ホルダーというか事典のような大きさ。
困ったことに同じようなホルダーがたくさん入っている。
左からは背表紙を見せるように並んでいるが、右側は平積みされていた。言われたとおり三冊目を手に取る。
「その二〇ページ辺りで、右の二段目のカード……やっぱり、そのまま持ってきて」
彼に背を向けたまま指示を聞く。本当にこのホルダーで良いのか不安ではある。
「これ、ですか」
「そうそれそれ、ありがとね。はい、セーシルちゃん」
一段落したのか、顔を上げてカードを受け取った彼女の顔も酷く疲れている様子だ。
一枚のカードを受け取ると手元の資料に重ねて留めた。
それとは別に、ピコはぱらぱらとページをめくり二枚のカードを抜き取るとリスのような生き物を召喚する。
「今、眠気覚ましを入れよう。そういえば、隣のかわいい子は同級生?」
「同室のユキちゃんです。えっと」
「はじめまして、キープ専科のユキです。お忙しいところ申し訳ございませんが、折り入ってお願いしたいことがありまして」
ユキは差し出しされた手を握り返す。
「僕はピコ。カード専科の成年クラス。ストーム君とは授業を一緒に受ける仲でね。あっちのいらついているのがセーシル。僕らのブレインさ。一旦座るといいよ」
かしこまっているところ、足下でカチャカチャと音がした。
さっきのリスのような生物が食器を運んでいる。促されるままにソファに座り直し、目の前のカップに注がれていく漆黒の液体の行方を見守った。
 
紙の山の上でこぼすのではないかという心配を余所に、小動物達は器用に運んで回る。
その足下からカップを手に取ると、一口飲み込んだ。
「フェイク探しか」
向こうで聞いていたセーシルが大きく伸びをしてから失礼と一言断った。
「行ってきていいかな」
「かってにすればいいわ。サイクスならともかく、ピコの検索は今あまりいらないし」
「酷いなセーシルちゃん。あれだけこき使って置いて」
「気分転換に部屋の外の空気でも吸いに行けばいいのよ。あとで資料の片付けだけしてね」
力無く返事しつつ立ち上がり、リスたちに合図する。
「特徴はある? 僕的には文字に関するものが嬉しいのだけど」
「文字?」
「そう、カードなら持ち主のサインとか、フェイクならしたためたメモや刻印とかを持たせていたほうが判別がしやすいのさ」
ユキちゃんの方を見る。カードの姿は見ていないようだ。
「それなら、メモを持たせました、えっと……」
「これに書いて。出来るだけ同じように」
リスが白紙を持ってくる。手元にはいつの間にかペンが用意してあった。
細い紙だったので縦書きで描いた。同じように書く。
「う、け、と、り、ま、した」
「字が下手だよね」
さっと紙を奪われる。一言余計だ。
「特徴的な字は歓迎だけどね。見つかったよ」
意地の悪そうな瞳は疲れを飛ばしたのか、輝きを取り戻していた。
 
学園都市と言うだけあって、一歩外に出れば立派な図書館がある。それも系統や所属学校によってそれぞれ収集の色が違うらしい。
もちろんブラックスローン傭兵学校の校舎内にも簡易な図書室がある。キープ科の幼年クラスにはあまり縁のないところだ。
まばらに人がいる。
全員白の衣を纏い、小さな帽子を乗せていた。影のようにゆっくり本棚の間をすべるように佇む。
生徒ではないようだ。
「昨日は良い天気だったね。君のその指輪を見せてもらえるかい」
ピコは彼女の鋭い爪の生えた右手をとり、その中指にはめている指輪を見る。
棒状の飾りは真ん中で割れ、中から二枚の紙が姿を現した。
「もらっていくよ。これは彼女のものだ」
白い女性は何も言わず、優しく手を振った。
「なんですか今の人」
「人じゃないわ、フェイクよ」
「え、でも、鳩のフェイクに渡したはずなのに、今の、人型でしたよ」
小切手とメモをユキちゃんに渡しながら呆れたようにこちらを振り返る。
「人外生物でも条件を満たせば人型召喚ができるよ。会話する例もあるし」
「それなら、私が持ってるカードも人型に出来るのでしょうか」
「さあね、あいにく専門外だからさ。あぁでも条件を調べている研究者ならカード専科にもいるよ」
うーんと伸びを一つして、図書室から出る。
「探すの手伝っていただいてありがとうございました」
構わないよと手を振り、元の部屋へと去っていった。
 
「学校の【シショバト】だったのかー」
手元の細かくたたまれた紙を見ながら、ぽつりとユキちゃんが呟いた。
「【シショバト】?」
「そー。知的で人とも友好的な鳩のフェイクだよ」
ちぇーっとすねた様子を見せる。
「あんなになついてくれるフェイクはじめてだから、ついに鍛錬の成果がモテ期としてきたかと思ったのに。ここで顔を覚えられてたんだわーきっと」
そういえばユキちゃんは読書好きであった。ここにも通っているのだろう。
「普段人型だから全然フェイクって感じしないもん。ずるいよー」
「確かに、二つの姿があると同じ人ってわからないよ。仕方ないよ」
もーと唸りながら、手元のメモを弄る。
「とりあえず、見つかってよかった! 受け取ってないって聞いたときは血の気が引いたよ」
「ワタシもだよ。もう勝手に大事なものを預けたりしないでー」
「わかったよ。ごめんって」
 
廊下は静まりかえっていた。
今日はもう心身ともにくたくたで、二人して足を引きずるように自室へと帰る。
明日もまた訓練があると思うと、おっくうではあるが難なく終わればいいと思った。
 
 
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